
【はじめに】
高校生の時、卒業する先輩から1万円で譲って戴いたのがMC1。この名前はあまり耳馴染みがありませんが、所謂型式名です。日本ではカワサキ90MSを経てKM90の名称で販売されましたが、ヤマハのミニトレが大ヒット、終始日陰の存在でした。ところが輸出先のアメリカではそのままこの型式名で市場に出て、小さな車格とパワフルな2ストエンジンが好評で、大量に流通しました。
以来40年。今も我が家に棲み続けております。
ここでは某ブログに掲載した内容を、一部修正しながら「引っ越し」掲載します。かれこれ10年以上前に書いたものですので、パーツの供給状況等に変化が生じている可能性がありますことをご承知下さい。
引っ越しの理由は、今もこの記事が残っている某ブログが、サービスの停止を発表したことです。本来の目的はボク自身の忘備録ですが、もし興味を持って戴けたらお読み下さい。
なお、90MS、KM90、対米輸出されたMC1の全てを対象としますので、カテゴリはMC1としますが、タイトルには日本で一般的に通っているKM90を使用します。
ウソのような、ホントのハナシ(本当に『実話』) その2(2009年12月1日)
(※1からの続き)
こちらのお店、新車の在庫はビニールを被ったシートのスクーターから、(じっくり見なかったけど)中~大型まで、全て「現代のマシン」。そんな中、完全武装のZと背後のガラスケース、メグロ三角旗など壁面のオブジェクトだけが「カワサキ」。
客が入れる(見ることが出来る)空間は「ショールーム+ファクトリー」、60平方メートルの我が住まいの半分以下。看板はH、Y。Sもあったかも知れませんが、「カワサキ(kawasaki)」は皆無。
「Green Shop」の看板もなく、緑色は「探せばあるかも」といった程度。
出勤前に玄関で一瞥する履き慣れた靴のように、ありふれた町の光景の切片そのものです。
ボクは、ある疑問を正直に伝えました。
「…社長。これだけメグロやカワサキの臭いがたち込めているのに、カワサキは、このZだけですね」
「オレは、メグロの販売店の丁稚からこの世界に入ったんだ。当時、重量車はメグロが大半だったから。独立して間も無く、いきなり『会社がいつまで持つかわからない』って、丁稚の先輩から聞かされた。その通りになった。メグロから『カワサキヒコーキ』さ」。
「子供の頃、空を飛びたかったんだ。当時、飛行機といえば『軍の機密』。
こっから左にもうちょっと行った処に二差路があってね。どっちだか忘れたけど、その先に織機工場があったんだよ。その空をブンブンヒコーキが飛び交ってた。近くに陸軍の飛行場があり、織機工場は丁度、滑走路の延長線の下だったのさ。毎日、砂利道でヒコーキを眺めたもんだ」
「ある日、顎を天に向けていたら、黄土色の軍服に赤い腕章の若い兵隊が、つかつか近づいて来た。すぐにわかった、『鬼より怖い憲兵』。
ところがやっこさん、オレの前で屈み、下から笑顔で覗いたのよ。
「坊や、飛行機が好きなのかい?」
「……」
「きっと君が大人になる頃には、安心して乗れるようになる」
「ヒコーキを操ることは遂になかったが、気がついたらヒコーキ屋の職人になってた。
ヒコーキになってからは、色んなことがあった。
メグロ上がりには、ヒコーキ屋の傘下に下るのは、ホント屈辱だった。
何しろ、ヒコーキ屋は当時、ツーストしか作ってなかった。丁稚だった頃の仲間で九州に帰って独立した奴は、さっさと宗一郎さんに看板を替えた。でも、オレはこの場所でカタカナ丸文字の「メグロ」を掲げてさ、横っちょに小さく「カワサキ」って入れたんだ」
「屈辱と思ってたら、直ぐに『てーへんなこと』になっちまった。
俺たち当時の代理店に『2スト3発エンジンの新車を販売する、今から講習を受け付けるから来い』ってんだ。
ありゃ参ったね。
耕運機に毛が生えたみたいな2ストばっか作ってたのに。カヴァーを開けた教習用のエンジン見本を、額をくっつけて見ても、まるで解からないのよ(笑)。
WはメグロのKそのものだったし、ZはWをやってりゃ、たとえDOHCでも、ちょっと勉強すればそのまま弄れてしまった」
「最初から『コレはスゴイ』って言ってた丁稚の兄弟子に、『こんなのヘンタイだ、売れたらオレのキ○タ○をやって3発にしてやる!』と、酔っ払ってゴネちゃったんだ。
後になってカワサキからパーツが出なくなったら、この先輩が、毎週電話を掛けて来るのよ。
『キ○タ○、あるよな?』
って(笑)。だから、ウチにゃ3発の部品は、もーないよ」
「うちが何故、ヒコーキの看板を降ろしたかって?
そりゃ、一杯理由がある。
最初は、カワサキが「新・特約店制度」を打ち出した時。金額は忘れちまったけど、要は「明日から看板料を取る、幾らだったかもう忘れちまったけど、結構な金を預託しろ、ってんだ。冗談じゃない。ヒコーキ屋のクルマは当時、発展途上そのもの。設計屋が「こいつはどうだ」と言わんばかりのクルマが次々と出て来た。メグロ上がりのオレは、最初は都落ちしたみたいな気持ちだったが、直ぐに夢中になっちまった。そうやって、明石とオレみたいな各地の職人が一緒になり、叩き上げて「ヒコーキ」は「カワサキ」になったというのに、「売りたけりゃ金を預けろ」だもの。それで、例のメグロとカワサキが並んだ看板を下ろしたのよ。だからウチは今、中に入らないと「ヒコーキ屋」の店とわからないのさ。今更緑の看板を出さなくても、息子がHとYには詳しいから、それで充分。たまにあんたみたいに昔のバイク、オレかガッチやってた頃を求めるお客さんが来ると、ついウレしくてね」
「今のところ、見つかったのは全部梱包しといたから、うちに帰って確認してみ」
開けました…
玉手箱かも…。
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2019/02/10 13:37:52