
6月8日の土曜日、1ヶ月ぶりに須坂を往復しました。
今回、難聴の他にもう一つ、違う治療を予約していたので、予約時刻は開院と同時の朝7時。ところが、医療用機械が故障し修理中とのこと、8時に終了しました。
下道で帰路につき、軽井沢9時40分。何処もオープン前。下仁田10時50分。日昇軒の開店は11時30分…。そのまま上野村から神流町、志賀坂峠を越えて小鹿野を通り秩父に着いたのが12時10分でした。
丁度お腹がすいたので、久し振りにこちらに立ち寄りました。
「らーめん屋いとう」さんです。
昭和の当時、東京で深夜に食べることが出来るラーメンの主流は、所謂「背脂スープ」。細かい背脂を浮かせたコッテリスープが特徴で、数多くの名店が存在しました。今も存在するホープ軒(千駄ヶ谷)、千石ラーメン(白山)、弁慶(門前仲町)、香月(渋谷の並木橋)などの他、なくなってしまった土佐っ子(常盤台)、白山ラーメン(白山)など、枚挙に暇がありません。
また、当時見逃せなかったのが「屋台ラーメン」。
駅前やガード・歩道橋の下に、夕方になると何処からともなく現れ、未明が早朝に転じる頃に、誰にも見送られることなく去って行く「幻」のような存在でした。しとどに酔っ払い「確か、このあたりだったっけ…」と千鳥足で向かい、提灯を見つけると狂喜乱舞したものでした。
そんな「大時代」。
ボクが千鳥足で食べた、深夜の頻度ベスト3は、
1.土佐っ子(常盤台)… 今や伝説。ホントにおいしいコッテリらーめん!
2.渋谷駅南口の屋台 … ご夫婦と息子さんで営む、生姜が効いたあっさり!
3.巣鴨らーめん … 土佐っ子より脂が強く、醤油も濃い!
こちらのご主人は、嘗て山手線の巣鴨駅の北口から歩いて5分程度のところで「巣鴨らーめん」を営んでいらっしゃった方。今はありませんので直接的な表現をさせて戴きますが、「掘立小屋」にも等しい小さなお店でした。木造、低い天井には瞬きを繰り返す蛍光灯。逆L字型の立ち食いカウンターは、表面が擦り切れていました。でも、入れ替わり立ち代わり、深夜まで大勢のお客さんで賑わっていました。
東池袋大勝軒の山岸さんが、奥様を亡くされて暫くお店を開けなかった時。
お店の扉に無数の「開けてくれ!」、「待っている!」といった趣旨の書き込みがされたと聞きました。
こちらは、道路拡張で立ち退き閉店。すぐにお店は更地になりました。突然の出来事に、深夜に呆然とされた方も多かったと思います。ボクもそんな一人でした。
ご主人がこちらを故郷で開店した時。
インターネットで知り、すぐさま息子と駆け付けました。
その頃、「巣鴨らーめんが秩父に復活!」を知った嘗ての中毒患者さん達が、西武のレッドアローに乗り、都内から押し寄せたと聞きました。
当時は雑居テナントの1階でしたが、数年前に建て替えられ、同じ位置で営業されています。
のれんはありませんが、これが目印。
今日はラッキー、待ちのお客さんがありません。
券売機です。
嘗ては「裏メニュー」だった、塩ラーメン(700円)、玉子(100円)、メンマ(100円)を買いました。
「お待ちどうさまー!」
ご主人から渡して戴きました。
典型的な「あの昭和・深夜のラーメン」!
デフォルトの具は、チャーシュー、メンマ、味玉1/2、葱。
トッピングしたので、写真の通りです。
スープは塩味。これだけでも結構しょっぱいのですが、こちらの醤油スープに比べれば薄味。
メンマの味付けも「濃い」!スープよりもしょっぱいけれど、出汁や醤油、お酒で下味がつけられ、異なる味覚を楽しみました。
中細の麺。
ボソボソはしていないけれど、クタッともしていない茹で加減。
昭和のラーメンの王道です。
チャーシューは、小ぶりなバラが2枚。
ロールではなく、塊の表面を焼いて煮た四角形。
スープが濃いので、これでボクは充分でしたが、巣鴨では必ず「チャーシュー麺」を食べていました。当時は20代後半、今58、若かった…。
懐かしい味を堪能し、スープ以外は完食しました。
若かりし頃、寒風に曝され冷えた体で啜った当時を思い出しました。
らーめん屋いとう
埼玉県秩父市仲町3-16
0492-22-9800
【ボクのお薦め度】(味のランキングや評価ではありません)
★★★★★ + ★★
★1つ追加は、電気屋さんと同じ立地。駐車場にはさほど待たず止められます。
★2つ目の追加は、「昭和の味」。
若い世代の方にもお薦め。
当時を知る方には、もっとお薦め! 懐かしい味を楽しめますよー!
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Posted at
2019/06/09 22:23:59