
昨日、白沢峠で「生きていてヨカッタ!」と思いましたので、今日は「巣篭り」に協力です。毎週日曜日は84歳の母親を連れての買い物が恒例でしたが、今日からはボクが独りで行きました。
午前の早い時間に済ませ、あるレコード探しをしました。
何とか無事見つかったのがこれ、山下達郎さんの「Melodies」です。
勿論、ボクは山下達郎さんの大ファンですが、敢えて今日探そうと思ったきっかけは、先週報道された、ブルー・コメッツのリーダー、ジャッキー吉川さんのご逝去です。
このレコード、達郎さんの名刺代わりとも言える名曲「クリスマス・イブ」を収録した名盤。あまりにも有名ですが、実は意外と知られていないのが、A面の1曲目「悲しみのJODY」で8小節の短いテナー・サックスのソロを吹いているのが、元ブルー・コメッツの井上大輔さんなのです。
ブルー・コメッツ時代。
テレビの出演時、中央前列に3人が並びました。中央が井上大輔さん(リード・ヴォーカル、フルート、テナー・サックス)、右が三原綱木さん(ギター、コーラス)、左が高橋健二さん(ベース、コーラス)の布陣。全員短髪の背広ネクタイ姿。タイガースやテンプターズとは一線を引いたファッション。ソフトでメロディアスな旋律に、甘く抒情的な歌詞。今でも通じる作曲のセンスが凄かった…。中央に立つリード・ヴォーカルの井上さんは左右の二人より背が低かったけれど、吹かないフルートを両手で握り締めて懸命に歌う姿に、子供ながら感動したものでした。
当時のブルー・コメッツのフロントです。
ブルー・コメッツの文句のつけようがない代表曲と言えば、「ブルー・シャトー」。この曲は、井上大輔さんのペンによるもの。この他にも「青い瞳」なども書いています。後年には、当時のシャネルズの大ヒット曲「ランナウェイ」やフィンガーファイブの「恋のダイヤルナンバー6700」などを作曲、アーティストの代表曲になりました。一方、サックスやフルート・プレイヤーとしても多々のレコーディングを遺した、職人肌の「天才ミュージシャン」でした。
「Melodies」を発売日に購入、嬉々として針を落としたのが1曲目の「悲しみのJODY」。1番の歌詞を達郎さんが歌い終えると、野太いテナー・サックスが!ビリビリとした硬いリード特有の音で、絶妙のタンギングで低音から高音まで変幻自在に吹きまくりました。僅か8小節のソロ、もっと聴きたいと思いました。このプレイヤー、一体誰だろうと思い参加ミュージシャンの名前を見ると「Daisuke Inoue」とありました。
当時、大学4年の6月でした。
既に就職活動が始まっていましたが、マスコミ志望だったボクは、まだ学生会館で勝手にテナーやソプラノを練習しながら、チンドン屋さんのバイトもしていました。そんな時にこのアルバムが発売され、井上さんの強烈なテナーにノックアウトされました。僅か8小節のソロに、楽器を奏でるテクニックだけではなく、「歌ごころ」を感じ、「さすが井上大輔!」と頷きました。
そんな彼ですが、2000年5月30日、突然自ら命を絶ちました。
病気がちだった奥様の看病疲れと、自身の網膜剥離に悩んでいたそうです。そして翌年には、奥様が後を追い自死されます。
当時、ボクは妻の心の病気と闘っている最中でしたので、尊敬する井上大輔さんの自殺が物凄いショックでした。同時に「あれほどの人でも、凡人のボクと同様の悩みを抱えて生きているんだ…」と思い知らされました。
ジャッキーさんの死の報で、井上さんのことを思い出しました。
実際にお会いしたことはありませんが、ブラウン管を通じて見る笑顔は、とてもハンサムなのに人懐っこいものでした。
今日、何度も繰り返して「悲しみのJODY」を聴きました。
「こういうサックスが吹けたらなぁ…」と思っていた当時を、懐かしく思い出しました。あの頃は常に、夢や希望が胸に満ちていました。音楽を聴き、小説を読み、映画を見ると、その度に似ていて非なるロマンティズムのようなものが、次から次へと沸き出ました。振り返って見れば、きっとそれが「若さ」だったのだと思います。
今でも井上さんの足元にも及びません。
が、久し振りに聴き入ってしまい、あの頃感じたロマンティズムが胸に去来しました。
…そう、たとえ今年還暦でも、人生にはロマンティズムが不可欠!!
最後に。
ジャッキーさん、安らかにお眠り下さい。
あちらで、井上さんと旧交を温めて下さいね…。
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Posted at
2020/04/26 16:40:18