
昨日18日。
月に一度の難聴治療で、長野県須坂市を訪れました。
生憎の天候でしたが、帰りに少し足を伸ばし、かねてから訪れたいと思っていたこちらに立ち寄りました。
旧国鉄長野原線の終着駅だった、旧太子(おおし)駅です。
昭和20年1月2日、国鉄長野原線(現JR東日本吾妻線)の、渋川と長野原(現長野原草津口)間が開通します。同時に、長野原と僅か一駅の太子間が、日本鋼管群馬鉄山専用線として運行開始。戦況の悪化により鉄鉱石の採掘増量が必至となり、群馬鉄山と太子駅の間を索道で結び鉄鉱石を運搬、ここから貨車に載せて運び出しました。
敗戦後、国鉄長野原線として運行されましたが、鉱石輸送の廃止と吾妻線の長野原から大前への延伸により1970年(昭和45年)に休止、翌1971年5月1日に廃止されました。
地元の中之条町は平成20年代に入り、当地を住民用の公園として整備しましたが、駅の遺構が多く埋没していることが判明、発掘復元作業に着手しました。2018年(平成30年)4月に一般公開を始めました。
入場料は200円。
切符売り場で支払います。
改札を潜ると、目の前にこれらが鎮座していました。
かなり腐食していますが、この駅と群馬鉄山の間約8キロを結び鉄鉱石を運んだ索道で使用された「バケット」です。ロープウェイのようなワイヤーから一定の間隔を置いてこれが提がり、中に鉱石を入れて運びました。こちら一帯では既に索道の痕跡は見当たりません。どんなものかを見たい方は、「毛無峠」の記事をご覧下さい。峠に遺された実物の写真を見ることができます。
鉄鉱石の実物です。
結構な大きさです。
駅の西側にはホッパーの遺構が、無言で朽ち果てんとする柱を並べています。
ホッパーとは簡単に言えば「砕石機」。索道で運ばれた鉄鉱石を細かく砕き、下に敷かれたレール上に並んだ無蓋車に、なるべく隙間を作らずに積み込む設備です。
上から見たところです。
今は土に埋まっていた1階部分しか遺っていませんが、嘗ては4階建ての構造だったそうです。
剥き出しの鉄筋は錆び、敗戦直前の粗悪なコンクリートはボロボロです。いつ崩壊してもおかしくはないそう、ホッパー内部への立ち入りは禁止です。
貨車が何両か展示されていました
この2両は、静岡県の大井川鉄道から譲渡されたもの。
丸いハンドルはブレーキです。
こちらの無蓋車は、元ひたちなか海浜鉄道のもの。
美しいリペイントが施されています。
何の説明もありませんでしたが、入り口から最も遠い位置に置かれていた2両の無蓋車です。この見事な「枯れ」っぷりに、ボクはすっかり目を奪われてしまいました。
林立するホッパーの柱を従えて佇む姿…。
幻想的な光景です。
ホッパー側の側板は朽ちていました…。
「廃線」とか「廃駅」のカテゴリーではなく、むしろ「産業遺産」と呼ぶに相応しく思いました。
山中に突如現れる姿は、あたかも神殿のようでした。
この種の建造物がお好きな方は、是非一度訪れてみて下さい。
旧太子駅
群馬県吾妻郡中之条町大字太子251-4
0279-95-3055
【今日の「おまけ」その①】
太子駅の先に、旧いアメリカ製の鉄橋が遺されていると知り、訪れました。
名前は「吾妻橋」。既に通行は禁止されています。
ご覧のようにリベットが打たれた美しい橋。
足尾の「古河橋」に似たフォルムです。
残念ながら夏は木が繁茂しており、完全な姿を見ることは出来ませんでした。
再度、秋から冬に訪れてみようと思います。
【今日の「おまけ」その②】
菅平から406号線を下り、144号線に入りました。
この道は去年の台風の影響で、今も田代から大前は通行止め。
北軽井沢に抜けるには「つまごいパノラマライン」で迂回しますが、今は高原キャベツ収穫の最盛期!道路はトラクターのタイヤがまき散らしたドロだらけの上、昨日のこのあたりは強い雨。我がロードスターは、こんな悲惨な姿になってしまいました。
帰宅後の掃除が大変でした…。
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Posted at
2020/07/19 10:31:14