
一昨日5月1日。
かかりつけの歯科医で診察を受けた後、至近のこちらを訪れました。
荒川の河川敷に近い処にあります。
旧陸軍熊谷飛行場桶川分教場に跡に整備された、桶川飛行学校平和祈念館。長く老朽化したまま公開されていましたが、あまりにも酷くなり一時公開を中止。設備を再建して昨年夏に公開されました。
悲惨な戦争の旧跡を残すことに、一自治体たる桶川市が注力している事実に、素直に心の中で感謝しました。
正門手前左には、弾薬庫が。
門を潜ります。
左に守衛棟。
土間の左に四畳半。
質素な造りです。
少し進んだ右側に、天井の高い建物。
こちらは車庫棟。軍用車両の整備に使われました。
当時の建物の模型が展示されています。
説明にあるように、後年の増築部は造りが幾分異なります。
検査用のピットが再現されています。
全体の写真を撮り忘れましたが、奥には南北に長い平屋が。
本部宿舎棟の玄関です。
入った左側でスリッパに履き替え、展示室へ進みます。
廊下の左側に展示室が三室、並んでいます。
最も手前には、桶川分教場に関する説明が展示されています。
航空に関する教本。
三角航法を記した地図。
鹿児島湾です。
実地教育で使用されたツール類。
壁の写真が当時の教育を伝えてくれます。
次の展示室は、寄宿室を再現したもの。
狭い部屋に18人分ものベッドが並びます。
足と頭を互い違いにしたとあります。
最後は、特攻隊に関するスペース。
1945年2月。教育機関としての分教場は廃止され、特攻員の養成所に特化されます。
数々の遺品…。
特攻隊、第二十三振武隊長、伍井芳夫さんのポートレートと、彼に関するキャプションが展示されていました。
こちらは第七十九振武隊の集合写真と説明。
…どんな気持ちで写真に納まったのかを思うと、胸が痛みました。
遺書。
遺品の写真左上隅のカメラの持ち主、石井孝さんが、妻・厚子さんに宛てたもの。幼き子を遺して出撃する無念さが滲みます。
こちらは伍井芳夫隊長のもの。
長男・芳則さん(当時生後四か月)宛てと、長女・満智子さん(同四歳)、次女・智子さん(同二歳)の幼き姉妹宛ての二通。どちらにも大変な苦労をした母を助けて孝行し、勉強しなさいとあります。
特に芳則さんに宛ての冒頭には、「物ノ道理ガワカルヨウニナッテカラ知ラセヨ」との注釈が…。きっと、奥様への最期の指示。
「将来大キクナッテ何ヲ志望シテモヨシ」…。
男子として自由に人生を選択出来ず、妻と子供の傍にいてやることも叶わず、子供たちの成長に寄り添えぬと知りながら離陸する「無念」…。
当時、手紙は全て検閲の対象。
僅か四か月、乳飲み子の息子さんへの遺言。
父親としての愛、人生の先輩としての助言、職業選択自由の世の到来予言、そして何よりも、「戦争は駄目だ」との隠し言葉が込められています…。
読みながら、涙が溢れました…。
航空機等の展示はなく、この地から戦場に赴いた数多の兵士の息吹を、静謐な空間が伝えてくれました。
長野県上田市の「無言館」と同様、今我々がこうして生きていられるのは、尊い数多の犠牲があってこそ、と思い知らされ、帰途に就きました。
桶川飛行学校平和祈念館
埼玉県桶川市川田中2335
048-778-8512
9:00-16:30
月休
ブログ一覧 |
博物館 | その他
Posted at
2021/05/03 14:17:34