
1月7日、土曜日。
ホームに入居する母の主治医との面談があり、現在予断を許さない健康状態にあることを告げられました。事実上「もう長くはない」と言われたにも等しく、何とも言い難い心境になりました。
昨日8日、日曜日。
普段の習慣から朝4時に目覚めましたが、前日の宣告が頭の一部に居座り、ただ茫然と座っているだけ。このまま独り家にいても、ただ徒に時間が過ぎるだけ。日常をかなぐり捨て、何処か未訪問の地を訪れようと決め、6時にロードスターに乗りました。
あてどなく走り始めましたが、従前より訪れたいと思っていた場所を思い出しました。ただ、片道およそ350キロ!頻繁に治療に訪れる長野県須坂市が200キロ、倍近く日帰り旅ではほぼ限界の距離。しかし思い立ったが吉日、高速のインターに向かいました。
という訳で午前11時、こちらに到着しました。場所は愛知県半田市。旧カブトビールの工場建物。こんな旧いレンガ建築が、今も偉容を誇ります。
明治維新とともに、日本にビールを楽しむ習慣が浸透、あちこちにビール醸造所が建設されました。明治2年(1869年)に横浜でスプリングヴァレー・ブルワリー(キリン)、明治9年(1876年)に札幌で北海道開拓使麦酒製造所(サッポロ)、明治20年(1887)に東京で日本麦酒醸造会社(エビスビール)、明治22年(1889年)に大阪麦酒会社(アサヒ)が操業を開始。
ここ半田では明治17年から18年にかけて、2、3社が醸造を開始。いずれも試醸の域を出なかったそうですが、明治22年(1889年)5月には「丸三ビール」と名づけた瓶詰ビール3000本が初出荷されます。明治29年(1896年)5月には株式会社とする発起人会を開き、同年9月に農商務省より丸三麦酒株式会社設立の免許を得て、取締役社長には中埜半左衛門が就任しました。
明治30年(1897年)9月には、この半田榎下8番地で大規模な醸造工場の建設が始まり、明治31年(1897年)10月30日にに竣工。設計は工学士妻木頼黄、醸造機器はドイツ・ケムニッツ市のゲルマニア社から購入。同年に機械技師A.F.フオーゲル、醸造技師J.ボンゴルも着任。ドイツ式の設備と醸造方式で、製品は「加武登麦酒」の銘柄で市販されました。
この広告塔、名古屋駅前に建っていたもののレプリカ。
青空に赤の地が映えます。
現代では、巨大建築は天に向かって聳える摩天楼ばかり。ところが洋の東西を問わず、この時代のものは面積で機能を充実する方式が大半。同じビール工場としては、嘗て鶴見川河口近くに存在した「日英醸造」跡が有名でした。晩年は廃墟のようになっていましたが、私企業の所有。遂に公開されることなく取り壊されてしまいました。おそらく、明治期のビール工場建築として現存するのは、日本ではこちらだけではないでしょうか。
現代に偉容を伝える主塔。
左端に千切り取られたような壁が見えます。
反対側から。
仰ぎ見ると、嘗ての切妻跡の「トマソン」が確認できます。
ビール工場時代は、この手前にも建屋が存在していたのだとか。目の前は現在、住宅展示場になっていますが、煉瓦造りの醸造所はそちらに延びていた様子。また瓶工場、木箱製造所、事務所棟、ボイラー室と煙突などが存在しました。
その後数度の合併を経て、昭和16年(1941年)12月までビール工場として使用されました。閉鎖後は中島飛行機の衣料倉庫となり、戦争中のアメリカ戦闘機による機銃掃射の跡が北壁に遺されています。
昭和23年(1948年)からは日本食品化工株式会社が操業を開始、日本でのコーンスターチの本格的な製造を手掛けますが、平成6年(1994年)9月に閉鎖、旧中枢部の煉瓦造遺構を残し、その他の施設の撤去が始まります。ところが解体作業の進行に衝撃を受けた市民から保存を望む声が高まり、平成8年(1996年)、半田市が買い取ることとなり、耐震工事を実施の上公開されました。決して大都市ではない半田市のこの英断、拍手喝采に値します。
中に入ります。
正面は受付カウンター。
常設展示は入場料200円。お支払いして見学しましたが、撮影は禁止。最盛期の工場の模型など興味深い内容でしたので、ちょっと残念。展示内容を冊子にし、2000円程度の有料で販売して欲しいと思いました。
5階建ての主塔への階段が、当時のまま残っています。
思わず上りたくなりました(笑)。
北側の壁は、何と5重構造!
醸造には冷却が必須のため、こんな堅牢な造りにしたのだとか。
こちらは、ホール西。
東側は、お土産屋さん。
食事スペースがありました。
丁度お腹かすいたので入りました。
赤レンガカレーをお願いしました。
コンソメスープがつきます。
カレーの味は特筆に値しませんが、トロトロに煮込まれた豚肉と、4つ入ったパリパリのソーセージは、大変おいしいものでした。
ショップでビールを買い求めました。
帰宅して味わいたいと思います。
朝6時出発、11時過ぎに現地着。食事を含め滞在75分。取って返し17時に帰宅。トンボ帰りの旅でしたが、充分楽しみました。
…明治期の偉大な建築に触れ、改めて人間の弱さ、儚さを教えられた気がしました。あの巨大な醸造所の建築に携わった先人は、間違いなく一人も生きていないはず。そう、人間の生命は有限。母の容態が心配ではあるけれど、旅立ちが来たとしても自然の成り行き…。親父の時もそうでしたが、延命治療はしない方向で行こうと決め、妹にも事実をそのまま伝えました。
訪れてよかった…。
本日の走行729キロ。
延べ195,061キロになりました。
1997年式ですが、3回に分けてアイザワさんで手術をした結果、今日もノー・トラブルで走破しました。
さて、お楽しみの「おみやげ」試飲!
左の瓶を開けました。
色は御覧のように「マックロ」!現代の黒ビールに近い味わいですが、ちょっと赤ワイン的なテイストも感じます。普段ビールをたしなまないボクですが、素直においしいと思いました。
右側は今夜、風呂上りに呑むつもりです(笑)!
半田赤レンガ建物
愛知県半田市榎下町8番地
0569-24-7031
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旧き良き建築 | 日記
Posted at
2023/01/09 11:57:34