
暫く更新が出来ませんでしたが、皆様お元気でいらっしゃいますでしょうか。
この間、ボクは資格試験に向けて勉強に追われておりました。本番は、去る7日と13日でした。発表は8月下旬。マークシート方式の学科、記述式の論述、面接場面を想定したロールプレイング試験の3つ。正直、合格は難しいと思います。やはり年齢から来る、記憶力と臨機応変に対応する能力の低下を自覚させられました。
これからをどう生きるかがテーマですが、結果がどうなるかは別として、取り敢えず一区切りがつきました。なので一昨日から昨日にかけて、彼女を誘い伊豆へ一泊二日の小旅行に出掛けました。
今回、どうしても訪れたかったのがこちら、伊東市の「東海館」。木造三階建てで望楼を備えた、元旅館建築。現在は旅館としての営業はしておりませんが、内部を見学することが出来ます。
【戴いたパンフレットからの引用】
東海館は、昭和3年に稲葉安太郎によって操業されました。昭和13年の伊東線開通により、湯治客から団体客への客層の変化に合わせて館内を増築していきました。当時、評判の棟梁が各階を分担し、望楼は昭和24年に建築されました。その頃、周辺は低層建築のため、望楼からの眺望は素晴らしく、天城山がよく見えたと云われています。
また、狩野川台風で大きな被害を受けましたが、その後、時代に合った技術を取り入れながら修理改築を行いました。そして平成9年、東海館の長い歴史に幕を閉じ、平成13年に伊東の新たな観光名所として生まれ変わりました。
玄関横にキャプションが貼り出されていました。
中が楽しみ!
見学料は何と200円!
週末には日帰り入浴も出来ます。
玄関は大空間!
嘗ては多くの宿泊客で賑わったと想像しました。
玄関正面の中庭。
池がしつらえられ、小ぶりながらも太鼓橋が再現されています。
東海館の歴史コーナー。
従業員が着用した法被等が展示されています。
映写機が2台。
当時、伊東市に映画館が存在したのかは分かりませんが、上映会が催されていたのではと思いました。
幽玄な雰囲気の廊下…。
現代の小綺麗なホテルでは、決して味わえません。
耐震工事の様子が紹介されていました。
客室です。
典型的な和式旅館…。
敗戦後、この国は驚異的速度で復興し、コンクリートや金属を主体とする建築ばかりになりました。便利で快適になりましたが、反面、我々がいつの間にか手放してしまったものは数知れない、と思わされました。
繊細な組み木の書院障子。
富士山が優雅。
別の客室。
窓の外には川が流れます。
蒸し暑い日で、クマゼミが鳴いていました。
長火鉢。
これも手放してしまったものの一つ…。
日清戦争、日露戦争で活躍した東郷元帥(東郷平八郎)のコーナーがありました。彼は薩摩の出身ですが、リュウマチを患っていた奥様のために、ここ伊東市に別荘を建てたのだそう。伊東東郷記念館として、日曜日限定で公開されています。
フラッグシップ「戦艦三笠」の模型が。
実物は神奈川県横須賀市にあり、内部を見学することが出来ます。
こちらは、三階の大広間。何と120畳!
祝言の席や、
芸者を呼んでの大宴会が催されていたことでしょう。
望楼に上がりました。
超高層の建築こそありませんが、周囲には同等かそれ以上の建物が多くあり、当時を想像出来る眺めではありませんでした。
外から望楼を撮影しました。
反対側には川が流れ、対岸から全景を撮った写真をネットで事前に見たのですが、蒸し暑さに加え、巨大な建物を見学して土踏まずが痛かったため、今回は見送りました。灯りに満ちた夜の姿も素晴らしいそうなので、改めて行こうと思いました。
ヨットハーバーに立ち寄りました。
海べりに佇んだのは、本当に久しぶりでした。
潮の香とカモメの鳴き声に心が癒されました。
今後をどう生きるか、いろいろと想いが巡る毎日…。
間もなく64歳になりますが、男性の健康寿命が72歳とされている今、あと8年となった現実を、退職により深く認識するに至りました。
もう一つ、今日も収穫がありました。
東海館を建築した稲葉安太郎も、東郷元帥も、既に亡くなりました。
そう、どれだけ偉業を成し遂げた人物にも、やがて終焉の日が訪れます。
ボクとて、例外ではないと、改めて思いました。
東海館
静岡県伊東市東松原町12-10
0557-36-2004
9:00-21:00
毎月第3火曜日、元旦休
【今日の「オマケ」!】
この日は、伊豆高原に泊まりました。
一戸だけの貸別荘でした。
なかなか良い雰囲気。
オプションで、しゃぶしゃぶをオーダーしました。
こんな等級の肉を味わったのは、人生で初めてかも!
ただ、お腹はビックリしたようで、翌日は「哀愁列車」に(笑)!!
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旧き良き建築 | 日記
Posted at
2024/07/19 10:17:20