
去る9月20日、所沢市にあるこちらを訪れました。自宅からは10キロ程ですが、これまで何故か訪れたことがなく、初の訪問でした。まだ再就職前の平日、見学者はごく僅かで、ゆっくりと楽しむことが出来ました。
こちらの施設は、日本初の飛行場として知られる所沢航空記念公園の立地。
1911年(明治44年)4月1日、航空の父とよばれる長岡外史が私財を投じて土地購入をはじめ、日本初の航空機専用飛行場を所沢につくったのがはじまり。同4月5日に徳川好敏大尉が操縦するフランス製複葉機アンリ・ファルマン機が高度10m、飛行距離800m、飛行滞空時間1分20秒の飛行を行なった。以来所沢陸軍飛行場として帝国陸軍航空部隊が使用した。
戦後(1945年)はアメリカ軍に接収され米軍所沢通信基地となったが、その後の地元市民による返還運動によって1971年に通信施設を残し約6割の土地が返還された。この基地跡地の一部(約50ha)が県営の公園として整備され、1978年の開園に至っている。(以上、ウィキペディアより)
今回の記事は、ボクはこの方面の知識に乏しいため、キャプション・ボードの写真を掲載します。ご興味のある方は、そちらをご参照下さい。
屋外には、巨大な飛行機が展示されています。
カラフルな色が印象的。
中に入ります。料金は500円でした。
玄関上には、こんな華奢な飛行機が!まさしく黎明期のもの、出来る限り軽く製作されたことが見て取れます。このタイプは4機作られましたが、これはレプリカとのこと。
展示スペースに足を踏み入れた途端、この複座機に出迎えられました。
ノースアメリカンT-60。同社製の戦闘機は第二次大戦中、零戦を始めとする日本機と死闘を繰り広げたことで知られています。この複座機は自衛隊で練習機として使われたとあります。
見学用の階段を上がります。
狭いコクピット。機材が所狭しと押し込まれています。
こちらは後方の席。練習飛行の際には、教官が着座したはず。
右側の機材は無線機でしょうか。
大戦中の偵察機は追いかけられた際、出来るだけ速度を上げるため、頻繁に空中から捨てたとのエピソードがあります。機長から投棄を命じられた偵察員が「そないなことしたら、えらい怒られまっせ!」と返したら「無事に帰って怒られるなら本望や。今は逃げるこっちゃ!はよ、やり!」。
巨大なヘリがありました。
これまたヘリ。いずれもコクピットを見学できず、ちょっと残念でした…。
朽ち果てそうな残骸が展示されていました。
キャプションによると、残されていた設計図を基に、
このレプリカが造られたそうです。
広場の向こうには、所沢市内のタワーマンションが見えました。
此処が今も飛行場であったならば、決して建つことはなかったはず。
時のうつろいを実感させられました。
まだまだ沢山の展示がありましたが、長くなったのでこのくらいにします。ボクは飛行機に関する知識に乏しいのですが、それでも充分楽しめました。エンジンの実物展示もあり、メカ好きの方にはお薦めです。
所沢航空発祥記念館
埼玉県所沢市並木1-13
04-2966-2225
9:30-17:00 月休
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Posted at
2024/11/10 14:28:05