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2019年11月23日 イイね!

謎の箱…?

謎の箱…?※いつもいらっしゃって下さる皆様へ。
 
 書き終わってからこの冒頭を付け足しておりますが、結果的に今日の文章は、ボク自身が自分の過去を振り返った内省的なものになってしまいました。他人の過去をお読み戴いても面白いものとは思えませんので、ご興味のない方には時間の無駄、どうぞスルーされて下さい。

 

 今日は勤労感謝の日。
 午前中にホームセンターでレザークラフト用品を買い求め、帰路にタイヤショップに立ち寄り、来週土曜日のスタットレスへの交換作業を予約しました。月に一度になったとはいえ、これから4ヶ月間は埼玉から長野への日帰り往復には不可欠です。

 お昼前に帰宅しました。
 
 母。

「寒くなったからあんたの布団を増やそうと思い部屋に入ったら、デスクの前の床に箱が置いてあったけど?」

「ああ、あれね」

 2階へ行き、ケースを持って来ました。
 若かりし頃の、思い出の品。
 W1Sや川越スカラ座と同様、去年4月から1年間、毎集土曜日に須坂市を往復していたため、すっかり存在を忘れていたものの一つです。先日、ティン・パン・アレーのアナログ盤を探している時、そういえば暫く触れていないのに気づいて、今朝押入れから発掘したのでした。

「あたしゃ、手が痛いから開けることが出来なかったけれど、一体何だい?」

「今、見せてあげるよ!」

 左右2個のバネ式の金具を外し、蓋を開けました…。



「ああ、こいつはラッパだね。そーいやあんた、若い頃にプースカやってたね」

「ラッパとは普通、トランペットを指すんだ。これはソプラノサックスさ」

「もっとデッカイのも吹いていたね」

「ああ、そうだったね…」


 若い頃。
 
 音楽好きが昂じ、楽器を持ちました。
 幼稚園から小学2年生まで、母がヤマハ音楽教室に通わせてくれ、音楽を楽しく思っていました。ところが男子児童はどんどん退会して行き、やがてボクだけになってしまいました。社宅のガキンチョ仲間からは「男のクセに、女みたいなことをやりやがって!」等と、散々バカにされ、これが嫌で遂に辞めてしまったのでした。ピアノではなくオルガンでしたが、本当に勿体のないことをしたと今も後悔しています。
 でも、幼少時の4年間、鍵盤に触れた財産は結構大きなもので、絶体音感のようなものは身についたと思います。
 
 親父の転勤で東京から東北の地方都市に移住して中学校に入学。
 この頃、ポピュラー・ミュージックの素晴らしさを知り、アコースティック・ギターを手にしました。時代は「かぐや姫」の全盛期。きっかけは違ってもギターに手を伸ばす人が大変多い時代でした。放課後のクラスでは、ギターの上手な者が弾き、男女を問わず「わーかーかあったー、あのころーーー」なんて、一緒に歌っていました。
 ところがボクは、当時の日本のフォークにどうしても馴染めず、サイモン&ガーファンクルのコピーをやっていました。そのうちに「冬の散歩道」のLPを買い求め、インストの「アンジー」という曲の素晴らしさに圧倒されました。メチャクチャ難しい曲で、とても弾けたものではありませんでした。しかもそれが、作曲者がイギリスのバード・ヤンシュなるギタリストで、ジミー・ペイジにも大きな影響を与えた存在と知り、2度オドロキました。その原曲の輸入盤を仙台の一番町にあったヤマハ仙台店で客注で買い求めて聴き、3度オドロキました…。S&Gどころではない、怒涛のアコースティック・ギター…!北極海から吹きすさぶストームの如き演奏に圧倒され、同時に「オレには才能がない、どんなに頑張っても、こんなギターは絶対弾けない」と、観念させられました…。

 やがて高校へ。
 一応、進学校とされていました。
 学区にある各中学校の上位者が入学する処、あっと言う間に成績は下から20番になってしまいました。おまけに、特にボクのように標準語を話す東京生まれは嫌われ、完全によそ者扱いされました。
当時はディープ・パープルやツェッペリンの最盛期。高校の音楽サークルはハード・ロックばかりを挙って演奏していました。ボクも嫌いではありませんでしたが、自分で演奏したいと思っていたのは、もっと暖かく優しい音楽でした。
 
 独りでも、弾けばそれなりにギターは楽しいものでしたが、アンサンブルの妙を味わうことは出来ません。特にこの頃魅せられていたのが、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングや、オーリアンズといった、数本のアコギに男声コーラスを重ねるスタイル。12弦も6弦も、ギターはそこそこ弾けましたが、ボクの最大のウィーク・ポイントは

「歌が、どーしょーもなくヘタクソ!」

なのでした(笑)。
 
 やがて、受験。
 成績が悪く浪人をしましたが、1年後に大学に入学しました。

 実は高校時代、上記とは全く異なる音楽に魅せられたのでした。
 その引き金になったのが、今も活動を続ける、キング・クリムゾン。イギリスのプログレッシヴ・ロックの王道を行くグループですが、ロックなのにアルトサックスやヴァイオリンをフューチャーする、画期的発想と音楽性を誇りました。これが、サキソフォンとの邂逅でした。
 
 大学は飯田橋で、今の総長は女性。毎年、就職部に新卒募集の目的で行きます。旧い校舎を建て直しキャンパスは綺麗になりましたが、ボクの学生時代は中核派の巣窟で、毎日のようにアジテーションの演説が飛び交っていました。

 浪人時代。
 上京しテレビを持たない生活でしたので、楽しみはラジオ。
 当時、民放FMは、東京、名古屋、大阪、福岡にしかなく、ボクが高校時代を過ごした町ではNHKしか聴くことが出来ませんでした。そんな田舎者は、FM東京の深夜放送「アスペクト・イン・ジャズ」を聴いてブッ飛びました。マイルス、コルトレーン、アダレー、モンク、ブラウニー、etc。全てこの番組で知り、すっかりジャズに魅せられてしまいました。お金に余裕がなく、1本しかない120分のカセットテープを毎回片面ずつ録音して聞いていましたので、2週間後には重ね録りの日々でした。

 そんな暮らしをしていたので、入学と同時に学生会館に足を向け、ジャズサークルを探しました。
 あるボックスの前で、丸椅子に座り座布団をスティックで叩いている男性に出くわしました。

「こちらのサークルの方ですか」

「いや、オレは場所だけ借りているのさ。ここの学生でもない」

「こちらのサークル、雰囲気は如何ですか」

「オレからすれば、幼稚園児の余興だね」


 …そのまま、学生会館を出ました。
 サキソフォンを吹いたことのないボクは、「赤ん坊」以下と自覚したのでした。

 こうして、大学で音楽サークルに入ることは叶いませんでした。

 それでも、どうしてもサキソフォンが吹きたくて、アルバイトで貯めたお金で、中古のテナーを購入、あのドラマー同様、学生会館の廊下で勝手に練習を始めました。無名のメーカー、確か5万円程だったと思います。何度か購入した御茶ノ水の楽器店に通い、店員さんに指導して戴きましたが、あとは全て独学。いっぱしの「テナー奏者」には、遂になれませんでした。何しろ、コンボ(カルテットとか、クィンテットのようなバンド)で吹いた経験はゼロ!それでも、それなりに吹けるようになると、ヘタクソほど色気が出るもの。コルトレーンの「マイ・フェバリット・シングス」を吹きたい、なんて大それたことを考えてしまったのです。

 またしてもバイトで貯金、何とか1年後にテナーと同じB♭管のソプラノを買いました。勿論、無名の中古。それでもテナーより高いものでした。

 同じサキソフォンでも、テナーとは全く異質の楽器でした。
 高音楽器で尺は短く、手に持った感触は「かわいい!」
 ところが、こいつが難物で、なかなかまともに鳴ってくれません。
 全長も短く、マウスピースもリードも小型のため、咥えた口を引き締め、そこそこの量で一定に吹きこまないと、直ぐに音程がズレてしまいます。
 これまた学生会館で、勝手に練習に励みました。

 ある日のこと。
 練習中に、初対面の大柄な男子学生に声を掛けられました。

「ちょっと、頼みがあるんだ…」

「何ですか、貧乏人ですから、逆さにしてもなんーにも出ませんよ」

「逆だよ。大した稼ぎにはならないが、困っているオレを助けてくれよ!」

 その週の土曜日。
 ボクは生まれて初めて「かつら」を被り、東洲斎写楽の役者絵のような姿で、目黒の権之助坂を上がり下がり、一日中ソプラノを吹きました。ボクの後ろには「チン!チン!」、「ドン!ドン!」

 彼は、チンドン屋さんの長男。
 ボクは2年生で彼は4年生、既に就職が内定していました。
 当時、既にチンドン屋さんの面々は高齢で、クラリネットを吹いていた方が体調を崩され、歩きながら演奏するのが無理になってしまったのでした(余談ですが、歩きながら管楽器を吹くのは、ホント大変!)。
 彼は父親から、

「お前はこんな日銭の稼業を継ぐな、勉強して進学し、俺たちが這い蹲って演奏している街に建つ会社で、かつらも化粧もせずに働け」

と言われて育ったそうです。ところが父親の稼業の危機に、楽器を吹けない自分に何が出来るのか、散々考えて学生会館に来たのでした。

 この時。
 江戸時代の役者みたいな扮装で、坂を上がったり下がったりしながら、ボクは初めて「人の前」で演奏しました。同時に、サキソフォンを演るようになり、初めての「コンボ」加入でした!ヘタクソなので、つっかえると背後の「ドン」が一拍待って元に戻して下さり、横断歩道が赤になり、唐突にコーダにすると、

「チンチンチンチンチン!!!!!!」

と、掻き鳴らしてくれました。ボクにとって、アート・ブレイキーのドラムロールにも等しいものでした。奏者は今のボクと同じ位の齢の方でした。

 いやー、この「バンド」初体験は、本当に「楽しかった」です。
 当時のチンドン屋さんは、レパートリーは5、6パターンでした。大体、「チン、ドン」が一定のリズムを刻み、クラやソプラノが後から載るパターンで、旋律に制約はなし。都都逸の定番から、寄席の大喜利の題材「売り名をわーすれて…」、果てはボクの勝手なセンスで、「宇宙戦艦ヤマト」、「天才バカボン」などのアニメソングを吹きました。それっぽく明るく吹けば、子供たちが笑顔を向け、後からついて来ました。また、パーマ屋さんの新装開店の時は、尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」や、平 浩二さんの「バス・ストップ」を吹きましたが、擦れ違う女性が聞き入っている時もありました。



 これが、ボクのソプラノです。
 ずっと忘れていましたが、

 「●●パチンコホール、総台入れ替え!」と呟き、久し振りに吹きました。
 
 

 …でも。
 手入れは時々していましたが、全く綺麗に鳴りませんでした。
 
 理由は、ボクの「歯」。
 
 44歳の時。
 亡き妻の心の病気と10年付き添い、彼女が亡くなった翌年。
 左下の歯茎に癌ができ、奥から5本を失くしました。
 当時、W1S仲間のドクターにセカンドオピニオンを求めると、原因は長年の心労、との診断でした。

 3年前。
 右上奥歯3本を、歯周病で失くしました。

 口の環境が全く変わってしまい、そもそも「音」になりません。

 でも、今日はそれなりに、権之助坂を往復する気分になりました(笑)。


 当時のその後。
 
 チンドン屋さんでリード楽器奏者のリクルートは大変だったようで、その日の仕事が終わると、直後に次の場所と時間を伝えられるようになりました。当時、ハンバーガー店が500円、家庭教師や塾講師が1200円でしたが、1800円戴いていたのを覚えています。卒業したら、そのままウチに来いと散々言われましたが、レコード会社から内定が出た旨を告げると、大変喜んで下さいました。

 

 今日の「感想文」!

 一つ。
 
 当時「マイルスだ、コルトレーンだ」!などと崇高な理想を抱えてソプラノを始めましたが、久し振りに吹けば「いらっしゃいませ!いらっしゃいませ!本日開店!本日開店!」のハ長調ばかり!
 でも、当時を思い出して、(メロディになっていなかったけれど)楽しく吹きました。

 二つ。
 
 サキソフォンは「楽しい」!
 指使いは、小学校で誰もが吹いた「リコーダー」と、基本的に同じ。
 リード楽器なので、初心者でも直ぐに「音」が出ます。
 ボクのように還暦近くても、全然これからイケますヨ!
 久し振りに吹き、この楽しさを再認知しました。
 
 ただ、音が低い順にバリトン、テナー、アルト、ソプラノの4種類がある中で、最も「鳴らしにくい」のがソプラノ。値段もそれなりにしますので、新たに購入する場合は、アルトかテナーの中古をお薦めします。ちなみに、ダイナミックでムチャクチャかっこいいのはバリトン!ジャズではジェリー・マリガンやペッパー・アダムスといった巨匠が存在しますが、何しろ「デカくて重い」!プライスも張りますし中古も滅多には出ません。
 それに、サキソフォンは音がデカいのが難点…。小さなソプラノですら、かなりの音量!(おまけにソプラノは「高音」!)
 歯を失ったハンディはありますが、ボクは再チャレンジを決めました。カラオケボックス等での練習を考えています。

 三つ。

 ギターやピアノのように、「和音」を奏でる楽器ではありません。
 キーを一つ押して吹けば、そのキーに従属する音だけが出ます。
 
 逆に言えば、それだけに「ヘタ」が直ぐにバレてしまいます。


 でも、最初はみんな「ヘタクソ」(笑)(!)


 
 



 
 
 
 


 



Posted at 2019/11/23 18:16:36 | コメント(1) | トラックバック(0) | 楽器 | 日記

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