
一昨日19日の土曜日。
長野県須坂市の治療院を訪れました。前回、難聴の他に腰痛の治療を受け、経過観察のため今回は2週間のインターバルとなりました。
今回、以前から訪れたかった信濃町方面に足を向けました。
こちらは「黒姫童話館」。
黒姫高原のスキー場の、更に上にあります。
生憎の天気。
ご覧のように霧が立ち込め、肌寒さを覚えました。関東地方もめっきり涼しくなりましたが、ここ北信の高原は、秋に突入していました。
「黒姫童話館」は、内外の童話作家に関する展示と、絵本の閲覧スペースで構成されています。さすが、教育県として知られる長野の施設です。
メルヘンチックなピノキオの置物が。
その右の絵本は「こんとあき」。
熊さんのお人形と一緒に、子供が大好きなおばあちゃんのお家へ出掛けるおはなし。息子が幼い時の「お気に入り」で、何度読んであげたか…。まあ、大抵は途中で眠ってしまいました(笑)。
実は、ボクがこちらを訪れた目的は、童話館ではありません。併設された「いわさきちひろ黒姫山荘」の見学なのでした。
童話館の後ろに、こんな三角屋根の建物が。
絵本画家として高名ないわさきちひろさんが、アトリエとして野尻湖の畔に建てたものを、童話館の近くに移築したのだそうです。
キャプションがありました。
元々は平屋でした。ちひろさんは野尻湖の水面が見えることにこだわって設計をお願いしましたが、カラマツの生長で見えなくなったため、2階を増築したのだそうです。
玄関を入ると、木の猫が迎えてくれました。
大雑把な彫り物ですが、猫特有の仕草を余すことなく伝えてくれます。
下駄箱スペースから。
玄関から奥を臨みます。
右奥はリビングルーム兼キッチンです。
こじんまりとしたスペースですが、質素で女性らしい空間です。
半年間続く冬は、薪ストーブが欠かせません。
ストーブに関するキャプションがありました。
スキーなどに出掛けた家族を待ちながら、ちひろさんは、このストーブで料理をしたそうです。また、このストーブは、3つの作品に描かれているそうです。
ちひろさんが歩まれた人生が紹介されていました。
つとに知られているのは、日本共産党の松本善明さんのご夫人であること。ちひろさんは比較的裕福な家庭で育ちましたが、戦災で家を焼かれた経験から、戦後日本共産党へ入党します。敗戦前には断り切れない縁談が持ち上がり結婚したものの、1年後に夫が自殺。二度と結婚はしないと誓いましたが、松本さんとの運命的な出会いが待っていたのでした。
幾つか作品が展示されていました。
「ストーブに薪をくべる少女」。
早速、出て来ました。
ほんわかとした少女の体は、赤や黄色で塗られています。
ストーブが放つ「暖」と、少女の穏やかな「心」が、見る者に伝わります。
「わらびを持つ少女」。
わらびと同じ緑のタッチで描かれた少女は、どこか寂しげに見えます。「やわらかさ」とか「繊細さ」を、シンボリックに表現しています。
「花の童話集」から。
宮沢賢治の世界に魅せられたちひろさんは、彼の文章から受けたイマジネーションを絵で表現しました。こちらは、何処か和的な水墨画に洋的なクロッキーを重ねたような、一種独特の世界。強く惹き付けられました。
1階の画室です。
四畳半の和室に座卓を置いて描いていたようです。
座り机に椅子でないのは、当時の日本人としては当然だったのかも。
野尻湖の畔に建てた当時は、ここから水面を眺めたのでしょう。
さて、玄関から階段を上がると、
ここが2階の画室。
カラマツの生長で野尻湖が臨めなくなり、2階を増築しました。
反対側は寝室。
現代の「ロフト」を思わせます。
玄関の横には「兎ぶろ」。
キャプションを、そのままご紹介します。
『ある日ちひろがおふろにつかっていると、急に夕立ちが降ってきました。雨と雷におどろいた子兎は、この軒先にやってきて雨宿りをしたそうです。それをちひろはこの窓から見ていたといいます。このことがあってから、「兎ぶろ」の愛称がつきました』
…光景が目に浮かびます。
こじんまりとしたこの山荘、主が女性の一流クリエイターであることを、静謐な空間が見事に語っていました。当時、既に画家として成功を収めていましたが、成金趣味的な部分が全く存在しません。例えばリビングルームの天井材は、薄い板材を一定の間隔で釘打ちして固定してありました。まさしく、ちひろさんは「ここで絵を描く」だけのために建てたのだと思いました。
文章、絵、彫刻、演奏…。
所謂「芸術」とか「創作」とされることを行うには、「環境」は大変重要なファクターとなります。
一方、大成する前に、場所を問わずに努力を重ねた方もいらっしゃいます。有名なのは村上春樹さん。当時経営していた国分寺のジャズ喫茶のカウンターの中で、時間が空くと執筆していたそうです。同様なのが、デビュー前は陸上自衛隊員だった浅田次郎さん。雨降る塹壕の中で一夜を明かす訓練の時、疲れ果てて泥のように仲間が眠る中、メモ帳を取り出しペン型ライトの光を頼りに執筆したといいます。
最近のこと。
プロットに行き詰り10年も放り投げたままの小説に、再び取り掛かりました。
今年、還暦。
一人の人間として生を授かった以上、何か生きた「証」を遺したいと、心の底から思うに至りました。
こちらを訪れ、大いに刺激を受けました。
あの座卓に座って背中を丸め、丁寧な手つきで筆を握り、紙に走らせるちひろさんの後ろ姿を見た気がしました。
ジャンルを問わず「制作」とはイコール「孤独」。
それに打ち勝った者だけが認められます。
心が洗われました。
山荘の外には、落ち葉が散り始めていました。
大変に寒い高原でしたが、心は温かく、希望に満ちていました。
刹那的に生きることを好まず、何かをやり遂げたいと思われる方には、こちらの訪問をお薦めします。ちょっと遠いですが、帰路につく時には心に希望が満ちていると思います。
いわさきちひろさんは1974年8月8日、肝臓ガンのため死去されました。
享年55歳。
いわさきちひろ黒姫山荘
長野県上水内郡信濃町大字野尻3807-30
026-255-2250
9時-17時
※場所柄、秋から冬、早春までは閉館する可能性があります。
お出掛け前にお問い合わせをお願いします。
Posted at 2020/09/21 12:42:04 | |
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