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2024年06月04日 イイね!

晴れて「失業者」となりました

晴れて「失業者」となりました 去る5月30日。
 勤めていた会社から、漸く離職票が届いたので、ハローワークへ行きました。







 3月一杯までの出社で有休を消化していたため、漸く「無職」となりました。大学を卒業以来、初めての経験。



 午前9時、おっかなビックリの心境で玄関を潜りました。
 作業そのものはベルトコンベア式に進み、2時間ほどで終わりました。

 ボクも含め、多くの「求職者」が訪れていました。
 老若男女との表現が相応しく、年齢や性別はバラバラ。まだ大学生のような若い方、お子さんを連れて訪れたママ、ボクのようなシニア。中には明らかに70代と思われる方もいらっしゃいました。街中を歩いていたり電車に乗っている時、周囲の人たちは皆、仕事に追われているのだろうと想像しておりましたが、ボクのように仕事を求めている方がこれ程いることを、初めて知りました。と、同時に、勇気づけられましたが、この国の雇用の現状を、初めて思い知らされもしました。

 登録を済ませて番号を貰い、画面で少し職探しをしました。
 予想はしていましたが、やはり60代の求人はなかなかありません。ボクが長年積んだ総務管理職は皆無。多いのは警備、清掃、介護の仕事。どれも全く経験がありません。やはり60代ともなると、「環境」が激変すると認識しました。この歳になると「引退」して年金生活に入る方が多数派で、働き続けたいと思う人が少なくなることも作用しているように思いました。

 さて、これからどうしようか、と思いましたが、不思議と悲壮感はありませんでした。そう簡単には行かないと覚悟していた事もありますが、これまでの5回の転職とは異なり、正規雇用にこだわっていない自身がいるからだと思います。2ヶ月後から失業手当が支給されること、それが切れる頃には特別支給の年金受給が始まる予定であることから、非正規や派遣、アルバイトでもよいと考えています。

 ボクが働き続けたい最大の理由は、「独居老人」であること。
 社会との繋がりはキープしたいと思っていることです。
 これから年を重ねるに従い、体力も覇気も確実に衰えて行きます。そんな自身を嘆くのではなく、「受容」しながら、無理なく働きたいと思っております。

2022年10月12日 イイね!

『自分に還る 50代の仕事と暮らし』(石川理恵 著)

『自分に還る 50代の仕事と暮らし』(石川理恵 著)昨日『自分に還る 50代の暮らしと仕事』(石川理恵 PHP研究所)を購入、帰路と今朝の往路の通勤電車の中で、ざっと読みました。

 サブチャンネルでも触れましたが、ボクも含め50代から60代男性の給与生活者の多くは、終身雇用を前提としたシステムの下、競争に否応なく飲み込まれた方が多くいらっしゃるかと思います。ところが、バブルの崩壊やリーマンショックなどの影響から、始発駅(入社)から終着駅(定年)まで敷かれていたレールが突然外されたり、途中でポイントを切り替えられ予想もせぬ支線に導かれる例は、枚挙に暇のない状況になりました。かく申すぼくも、5回の転職を余儀なくされました。倒産、出向、給与カット、リストラ等に遭い、天を仰ぎ途方に暮れ言い知れぬ恐怖にさいなまれた(ている)人は、決して珍しくありません。また、前途を考えれば、不安しか浮かばない方も…。
 
ところが、女性の場合。
 
 日本型雇用にあっては、結婚や出産、その他の要因から、なかなか長期の就業が難しいのが実情。また男女雇用機会均等が叫ばれて久しいにも拘らず、現実は完全に後追い。「130万円の壁」もあり、短期での退職、非正規雇用、アルバイトの雇用に甘んじることは珍しくありません。しかし、そんな彼女たちは好むと好まざるに関わりなく、あちこちに頭をぶつけ瘤を作りながらも、実にしなやかに、したたかに生きています。
この本では6人の女性をピックアップ、紆余曲折、現在、そして未来ヴィジョンを紹介しています。

 彼女たちの頭の「回転」と「決断」の速さは尊敬に値します。やってみてダメと判断すれば、直ちに異なる道を選択します。男性と決定的に異なるのは、こと「雇用」「安定」「収入」などの面で、「諦め」ではなく「そういう社会だから、自ら強くなる!」との覚悟が、それまでの人生経験で据わったからのように思います。

 渡仏経験もありフランス語が堪能なミュージシャンの方は、30代で複数の病気に襲われます。体力も落ち、日々の支払いにも困り「落ちるところまで落ちた」ことを自覚します。長く付き合ったパートナーとも別れ、独りに。ここで発想の転換。定期収入があった方がいいと、お弁当屋さんでアルバイトを始めます。

『…パリで余計なものを捨てて来たつもりが、まだ何かに依存するような気持ちや慢心が残っていたんですね。ここでもう一回、ただの私に戻る必要がありました。演奏ができる、文章が書ける、フランス語が少しはできる、そんなスキルを一旦横に置いて、ひとりの人として手足を動かし、お弁当をつくる。毎日、毎日、朝から働いて、疲れ切って、何も考えずに寝る。合間に本業もしながら、そんなシンプルな生活サイクルを1年半くらい続けました。』

『…仕事の波が引いた時、膝を抱えて1カ月過ごしても更にお金がなくなるだけですが、アルバイトをして1日に2000円でも3000円でも稼いでいれば、積み重なるし、明るい気持ちも生まれてきます。本業じゃない仕事をやってみると、自分がいる世界と別の視点に触れられたり、いろいろな人の話が聞けたり収入面以外にもいいことがある。立ち止まっている時より、動きながら考えたほうが意外な突破口が開けたりもする』

 これ、膝を叩きました。
 男性が『蒸気機関車が牽引する貨物列車』なら、女性は『変幻自在、どこにでも入って行ける原付、たとえ袋小路でも、ターンは容易』との印象が浮かびました。

 突破口を開くには、まず「動く」こと!

 勇気を戴きました。
 素晴らしい書籍!
 ボクの薦めです。





 

2022年09月19日 イイね!

酷道299号線 (群馬県・長野県)

酷道299号線 (群馬県・長野県) 三連休の最終日になりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
 猛烈な勢力の台風14号が日本列島に接近、ここ関東地方は二日目以降に天気が崩れるとの予報。使えるのは初日だけと判断、朝5時30分に家を出ました。

 国道299号線は長野県茅野市を始点に、拙宅に近い埼玉県入間市の小谷田交差点まで、総延長204キロ。長野県区間の西側は「ヴィーナスライン」の名で知られ、風光明媚な世界が広がります。御覧の皆様にも、白樺と湖沼が点在するワインディングを楽しまれた方は多くいらっしゃるかと思います。
 ところが、群馬県の上野村と長野県の佐久穂町を結ぶ区間は、典型的な「山道」。これでも国道かと言いたくなるような、狭隘で綴れ織りの登り道が、県境の十石峠まで続きます。
 この区間は2019年の台風19号により、路盤の崩壊があちこちで発生、今年4月まで2年半も通行止めが続きました。ボクは過去、バイクで何度か通ったことがありますが、その「酷道」ぶりに四輪での走行を、ずっと躊躇しておりました。前回佐久穂を訪れたのは二週間前の9月3日。家までの最短コースは299号線ですが、天気が悪く、上信越経由で帰宅しました。しかし一昨日の午前は好天の予報。佐久穂に行きたいと思い、思い切って「酷道」経由を選択しました。

 上の写真は「酷道」が始まる手前、神流村から上野村に入って直ぐの道の駅。この先に備え、トイレを済ませ、いざ出発!



 右側に「川の駅」を見て短いトンネルを抜けると、湯ノ沢トンネルを経由し下仁田に出る県道45号線が直角に分かれます。直進が「酷道299号線」。45号線の規格の方が遥かに立派(笑)!
 この地点の写真を撮り忘れてしまいました。上の写真はネットからお借りしたものです(問題があれば削除致します)。



 ロードスターを乗り入れた直後は家屋や製材関連の施設が散見されましたが、間もなくこんな道に様相が変わりました。法面にはコンクリートが吹き付けられ、更に防護ネットで覆われています。オーバーハング状態の箇所も!
 路肩には「落石注意」の黄色い標識が、時々現れます。…ワッ!幌を開けたままだ!!



 所々に、擦れ違い可能な箇所があります。
 この日は早朝ということもあり、擦れ違ったのは7、8台程度。殆ど問題はありませんでしたが、初心者マークの若い男性には参りました。前方から現れたのを確認、ここなら擦れ違い可能と判断し待機。向こうは下り。徐行せずどんどん突っ込んで来て、右先端がボクのクルマの右ドアのヒンジに掛かったあたりで停止。こういう時、初心者はゼッタイに「自分から動かない」もの。ボクのクルマは左ガードレールにギリギリ、ドアを開けることすら出来ません。
 シートに立ち、言いました。

「こちらは左一杯に寄っているから動けない、キミが動かさない限り、どちらも通過はできない」

「…ど、どうしたら、…いいんですか?」

 声が上ずっています。助手席には、不安そうな表情の女性。

 仕方なく右のドア後ろから外に降り、相手の左を確認しました。目測でまだ30センチ以上も余裕がありました。状況を相手に伝え、ハンドルの角度をそのまま保ち後退。ハナが抜けたらボクのクルマの前に出るくらいのつもりで右に切る、クルマが道路のほぼ中央に来たら左に切り、続けて右、クルマを左一杯に寄せる。左サイドミラーを注意して見ながらゆっくりやれば大丈夫、誰でもやっていること、とアドバイスしました。
 どっちみち、ボクは彼が位置を修正しない限り動けないので、そのまま「オーライ、オーライ」「まだ左に行ける、…まだまだ大丈夫」と、誘導員を務めました。
 何とか抜けられそうになり、乗車前に言いました。

「こういう場合、相手任せで能動的に動かないのは、ドライバーとして卑怯だと思う。お互いに協力して何とかするのが常識ですよ」

 彼、「すみません」を繰り返しました。
 何でも、免許を取得してまだ半年だとか。秩父に抜けるのにナビを最短距離に設定し、「酷道299」に入ってしまったとか。この先もまだ悪路が続くから、注意して走るように言いました。

 彼が先に動いて同じ結果になるのが嫌で、ボクが先に通り抜けました(笑)。



 少し走ると、こんな光景が。
 ボクは、何故か丸太の断面に惹かれます。



 分厚く苔生した姿。
 一体、何時からここに在るのかなぁ…。
 土嚢の役割なのかも…。



 路肩の下から水音が聞こえます。
 治水用らしき、コンクリート製。
 姿は無機質ですが、山に清廉な水音が低く轟いていました。

 暫くその場に佇んでいると、ある想いが込み上げて来ました。

 この先、あと数年で今の職場とは「さようなら…」。
 
 転職を5回したものの、40年近く会社から給料を貰い、生活して来ました。それなりに苦労はあったものの、45号線との分岐点までの「一級国道」としての299号線を走って来たようなもの。ところがこれからは、この「酷道」区間が待っているはず、と。

 大変お恥ずかしい限りなのですが、敢えて記すことにします(ご興味のない方は、どうか読み飛ばして下さい)。

 40年近くサラリーマンをしてきましたが、もうすぐ終着駅。この歳では再就職は困難ですし、あわよくばそれが叶ったとしても、せいぜい5年が限度。3年後が8年後になるだけのこと。
 収入の確保との意味合いもありますが、ボクは独り者。家に籠り少ない年金だけを頼りに日々を送れば、あっと言う間に老け込んでしまうのが目に見えています。性格的にも「何か」に打ち込んでいないとダメで、のんびりと隠遁生活をしていると、それこそ昼間からバーボンに手が出る可能性が大。なので、アルバイトでも契約社員でもいいので、働き口があれば続けると決めております。その一方、そろそろ「雇われない生き方」をしてみたいとも思っています。

 具体的に何をするのか、ある程度は決めていますが、最大の障害がボク自身の心。長年、給与生活者をして来た結果、自分で「事を興す」ことに、どうしても理由なき『恐怖心』が先に立ってしまうのです。「果たして、上手く行くだろうか?」、「閑古鳥が続いたら、絶対食べていけなくなる…」といったもの…。やってみる前から、「ガタブル」状態。自分でも情けないと思います。そんな時、たまたま訪れた佐久穂の「ヒゲめがね」さんや「新駒書店さん」で、少し勇気を貰ったのでした。新しい自分の人生を開拓された姿は、ボクには大変眩しく見えました。と同時に、立ち竦んでいるだけでは、何も変わらないことを教えられました。

 ちょっと見方を替えれば、自営で何かを始めた方の殆どが、この「決意と実行」の経験者。例えば、ボクが大好きな安曇野の「ギャラリー・シュタイネ」。別荘地の林、途中から砂利敷に転じた道のどん詰まりに、大人好みのメルヘンチックでシックな佇まいのギャラリー。扉を開けて一歩入れば、繊細できらびやかな作品の数々…。ボクも含め、訪れる者は皆「素晴らしい処だ!」と感嘆し、「こんなお店が出来るとはいいなぁ…」と羨望の念を抱きます。しかし、彼の地でギャラリーを開店すると「決意」し、それを「実践」をするのは、並大抵の苦労では無かったはず…。そう、シュタイネのご夫婦も「経験者」、これは、どんな事業でも同じ…。

 先人は皆「経験者」、恐怖の一点を「通り過ぎた」人々。

 この酷道299号線は「どん詰まり」ではなく「必ず抜けられる」。人生、良い時も悪い時もある。人間万事塞翁が馬。この酷道を走ったからこそ聞こえた水音。



 こんな早い紅葉にも出遇えました。



 やがて峠が近づき、







 
 県境の十石峠へ。
 車10台程度が停められる駐車場とトイレがあります。売店も自動販売機もありませんが、却ってこの峠らしく思えました。



 展望台がありましたが、壊れている様子で立ち入り禁止でした。



 美しい野あざみが咲いていました。



 峠の紅葉は染まり始めています。

 ここからは佐久穂に向かい、下り坂。
 暫くは狭い道が続きます。



 道路沿いに、こんな清流が…。

 この道は嘗て、秩父事件で蜂起した民衆が政府軍・警察の討伐に遭い壊走したルート。当時、彼らはこの山道を、どんな想いを胸に辿ったことか…。明日無き身の上、絶望一色に塗り潰されていたと、想像に難くありません。そして彼らは佐久穂の地で殲滅されました。
 
 今は当時とは経済的、社会的状況が全く異なります。
 
 この清流を過ぎたあたりから道路状況は一変、まさしく「国道」が復活しました。

 そう、「人間万事塞翁が馬」!
 
 この日、初心者マークの若者をヘルプしました。
 どうすればいいのか判断が出来ず、結果微動だに出来なかった彼の姿。
 「ドライバーとして卑怯」と断言してしまいましたが、そうではなかったことに気付きました。人様から給料を貰い40年近くが過ぎた結果、自分の足で歩くことに恐怖心を抱き、固まってしまった自分と同じと気づかされました。

 ボクが赤の他人に助けて戴くことも、これからの人生であるはず。
 心の中で、彼に謝りました。
 
 一歩一歩、着実に歩いて行こうと、「酷道」に教えられました。







Posted at 2022/09/19 08:03:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | セカンドステージに向けて | クルマ

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 妻はアルコール依存と摂食障害を患い、主治医の勧めで調停離婚しました。その1年後、彼女は突然世を去りました。一年に2回の母親との別れを経験した一人息子と、ドライ...
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