
去年6月、親父の命日に7回忌の法要を行いました。
5年前。
ボクは独り息子が就職し家を出たので一人暮らし。
母もそういう訳で女寡。
大分、足腰がおぼつかなくなったので、15年間住んだマンションを手放し、母が住む実家に引っ越しました。残債を埋め合わせて50万円ほどが手元に残りましたので、まあトントンでした。
ただ、最寄りの駅まで徒歩30分!毎朝始発電車に乗りますが、まだバスは動いていません。それで、マンションを購入以来ずっと借りていた駐車場の契約を継続、元自宅の下に停めて駅まで5分、歩いています。
先月。
マンション玄関前を通ると、目の前を素早く小さな鳥が横切りました。
「チー、チー……!!」
盛んに「黄色い声」が鳴いています。
「ひょっとして…」
マンションの玄関を潜り、振り返って上を見ると…。
ありました。
小さな燕の巣。
毎年のように、ここに燕が巣を作りますが、カラスなどに襲われることもたびたび。マンションの住人の方が、ご覧のように大きな鳥が近づけないように、天井から吹き流し状のものを提げてくれていました。
この写真は、6月11日に撮影しました。
いた、いた…。黄色い口を開けています。
親燕が戻って来て、休憩を始めました。
どうやら、雛は2羽のようです。
このマンションを購入、保谷市(現在は西東京市)から引っ越したのは、息子が小学校3年生の時でした。その直後、妻が心の病気になり、ボクと息子は散々な辛い日々をここで過ごしました。
結局、主治医の「このままではあなたも息子さんも共倒れになる。離婚しなさい」との言葉に従い、妻は実家のある東北の地方都市へ。それから1年もしないうちに亡くなりました。息子は高校2年生になっていました。
まだ息子が小学生の時。
ここに初めて燕が営巣しました。
息子は毎日、目を輝かせて観察を始めました。
彼、幼少の頃から「おえかき」が大好きでした。
「それ、スケッチブックに毎日絵を描いて、雛の様子を日記風に書くと面白いと思うよ!」
彼、ボクの言葉に従い、毎日ここで色鉛筆を駆使して描きました。この時は6羽か7羽の大所帯。巣立ちの直前には『成長した雛が「押し競饅頭」をしています』とのキャプション入りの絵を描きました。
このスケッチブックを夏休みの図工の宿題として提出したところ、職員室で大評判だったとか。既に妻は発病し専門病院に長期入院中。ボクは毎日仕事のため、殆ど彼には構ってやれませんでしたが、土曜日に女性の校長先生から電話があり、経緯をやっと知るに至りました。その後、市が主催する「宿題の優秀作品」の一つに選ばれましたが、「図工」ではなく「理科」の観察日記としてでした。
そんな息子も32歳、結婚の「け」すら口にしません(笑)!
就職し熊谷、名古屋を経て地元に戻りましたが、去年4月からは札幌に。この4月からは札幌から半年間の予定で奈良に赴いております。
7月1日に撮影しました。
やはり、今年は2羽だけですが、僅か1ヶ月足らずですっかり大きくなりました。人間の成長と比べ驚異的ですが、その生涯も短いものです。「刹那」とすら言える期間に、こうして子孫を懸命に遺そうとする姿勢、哀愁と深い愛情を感じずにはいられません。
お互いに、兄弟がいて良かったね!
ボクの子供は彼だけ。母親がそんな有様だったので、いつの間にか「父親」兼「母親」兼「兄貴」的な存在になってしまいました。ただ、先ほども触れたように、当時は帰宅が遅く、休日勤務も頻繁でした。
ある時、面白いことに気づきました。
日曜日の夕方。
夕食の準備が整い、二人で「いただきまーす!」
「笑点」を見ながら息子は夕食、ボクは晩酌。
彼、笑いながらコメントするのですが、どういう訳か出演の噺家に「さん」をつけて呼ぶのです。
「やっぱり、歌丸さんて、司会者の素質があるよネ!」
「喜久蔵さんって、ヘタな駄洒落とラーメンばっかりじゃん!」
「楽太郎さんは、アタマがキレるなぁ!」
「圓楽さん、司会者なのに笑い出すと止まらなくなるネ!」
といった具合。独りで家で過ごすことが多く、噺家の皆さんに尊敬と親しみを感じていたのだと思います。
ちなみにもう一人。
「タモリさん」(笑)!
昨日の撮影です。
巣は「カラッポ」に!
いつか雛は巣立つもの。
子供も同じ。
「空の巣症候群」などと言いますが、当然のことを悲しむなんて、ボクにはちょっと理解が出来ません。
毎回、何の連絡もなく突然帰って来ます。
そう、それで充分!
親とは、子供にとって、そういう存在でいいと思います(笑)!
Posted at 2020/07/11 15:48:50 | |
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徒然なるままに | 日記