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2020年07月19日 イイね!

伊勢崎 丸長(群馬県伊勢崎市) vol.1

伊勢崎 丸長(群馬県伊勢崎市) vol.1 昨日の18日。
 須坂から旧太子駅を訪れ、帰路に立ち寄ったのがこちら「伊勢崎 丸長」さんです。「丸長のれん会」の加盟店の大半は東京、埼玉、神奈川、千葉にあります。例外は僅か、信州中野とつくば、名古屋の丸和さんグループ、そしてこちら伊勢崎です。



 玄関です。
 右奥に店内に入る自動ドアが。
 消毒液で手を揉んでから入りました。

「いらっしゃいませー!」



 一人、カウンターに案内されました。
 結構な大箱。6、7人が座れるカウンターの他、複数の4人掛けのテーブル席、それにお座敷がありました。
 時刻は13時20分。お昼のピークを過ぎていましたが、まだ賑わっていました。







 メニューです。
 何しろラインナップの量に圧倒されました。
 所謂「丸長のれん会」の加盟店の大半はラーメン専業。こういう「中華料理店」としての位置づけのお店は殆どありません。
 この背景には先代、宮入保さんの血の滲むような努力が存在します。

 「丸長」のルーツは、敗戦後長野県出身の5人の蕎麦職人が、共同経営という形で荻窪に「丸長」ののれんを掲げたこと。ここから「丸信」、「栄楽」、「大勝軒」、「栄龍軒」などが独立します。

 保さんは長野県は上条のご出身。阿佐ヶ谷の「栄楽」で修業に入り、ここで同郷の湯本嘉治さんと知り合います。二人は大変に「ウマが合った」そうで、栄楽から共に独立、「荏原丸長」を開店します。その後も移転なのか新たな出店なのかはわかりませんが、「宿河原丸長」を一緒に立ち上げます。その後、保さんは「淵野辺丸長」を立ち上げますが、このタイミングで湯本さんは引退を決断、故郷へ帰りました。
 実は荏原から宿河原に移る準備期間の間、保さんは1年間、自由ヶ丘の「南国飯店」で修業、ラーメンに止まらぬ幅広い中華料理の会得に励まれたそうです。これは現二代目店主の博志さんがまだ幼かった時で、子供を抱えて考えた結論だったとか。
 
 淵野辺のお店を畳んで伊勢崎へ移転したきっかけは、親戚がいらっしゃったからとか。保さんは当時54歳。東京や神奈川と違い、今もローカルな立地。終の棲家となるに違わぬ見知らぬ地へ片道切符で赴き、自宅兼店舗の大箱を構えました。
 「清水の舞台」。
 子供さんを抱え、不退転の決断だったに違いありません。

 まさしく「人に歴史あり」の実例!
 ボクは、例えば日経の「私の履歴書」のような、人物の人生を紹介する連載が好きですが、その大半は「有名人」。名もなき庶民の一人として、保さんの人生には、大変感動しました。
 
 この時に役立ったのが、南国飯店での「中華修業」!
 至近には、箱根駅伝で知られる「上武大学」のキャンパス。体育会の学生に南国飯店で培った腕を振る舞うと、果たして「大ウケ」!これで経営のベクトルが定まりました。ちなみに、「裏メニュー」として「上武丼」なるものがあるとか。物凄い大盛り、「シェア」、「ギブアップ前提」はだめとか…。
 「怖いもの見たさ」で、チョットダケ、ミテミタイナァ…。



 山岸さんも終生名を連ねた「丸長のれん会」の会員証が、誇らしげに存在しました。そう、こちらは「伊勢崎の中華屋さん」ですが、正真正銘の「丸長」!二代目の博志さん、保さんの生き方をきちんと受け継いでいらっしゃいます。

 カウンター席でメニューを見ていました。
 あまりにもラインナップが多く、「つけそば」が見つかりません。
 やっと確認したのが「和風つけめん」。
 こちらでは「つけそば」ではありません。

 カウンターの中で中華鍋を振るっているいるご主人が、盛んにボクに目配せします。これは坂戸店の二代目と「ソックリ」!合ったタイミングで「和風つけめん、トッピングに茹で玉子と海苔」をお願いしました。二代目、マスクで目元しか見えませんでしたが、一瞬、緩みました。



「おまちどうさまでしたー!」

 20代と思われる女性、ひょっとしたら二代目の娘さんかも知れませんが、丁寧に置いて下さいました。

 お盆に一杯!
 この季節のサービスなのか、スイカの一切れが嬉しい!



 箸立てから抜くと、こんな「袋」が!
 …まだ食べていないのに、口元が緩みました。

「いただきまーす!」



 麺は中細、ウェーブはさほどなく、ストレートに近いもの。
 所謂、普通の中華麺を茹で、流水で締めた食感でした。
 個人的な感想ですが、「太目の素麺」的。



 スープは一口含んで「ウマーーーっ!」
 「甘さと塩が40対40、10が酸、残り10が辛」という印象。
 デフォルトで一口飲みましたが、全ての味が大変に濃く、悪魔的な「おいしさ」でした。このスープに麺を浸して啜ると絡みが絶妙!!
 丸長も東池袋大勝軒も、加盟店が全て同じ味てはなく、独自の裁量を委ねられている部分があります。こちらは「ホントウにおいしい!」



 トッピングの茹で玉子を箸で割り、最後に食べました。

「ウマーーーーーっっ(笑)!」



 おそらく250gほどと思いました。
 難なく食べ終えました。
 「丸長」さんは、荻窪本店、目白、坂戸、須坂で食べました。
 ボクは「自分が食べておいしかったお店」だけをご紹介しておりますので、どちらも素晴らしい!その中でも、ボクの嗜好にピンポイントでした。

食べ終えて、手を動かしているご主人に、

「こちそうさまでしたー。こちらは初めてですが、ホント「丸長」の味でした!」

と言いました。30秒程度でしたが、「丸長噺」をし、マスク越に一緒に笑いました。

 

 お会計の時。
 カウンターにある物を認めました。

「ご主人、これ、分けて戴けませんか?」

「それ、売り物ではないんです…」

 鍋を振るっていらっしゃったので、そのまま出て車に乗ろうとした時。
 ご主人が勝手口から小走りで来られ、ボクに何かを握らせてくれました。

「お持ちになって下さい」




 帰宅して、取り出しました。







 …一見の客に、こんな大切なものを託して下さいました。



 こちらは、お支払いしました。
お店で食べる際にも使いましたが、「丸長のれん会」の店舗限定で販売されている、つけ麺用のオリジナル七味です。丸長のルーツ、長野県長野市は善光寺前にある七味唐辛子の有名店、『八幡屋礒五郎』とのコラボ商品です。お値段は780円でした。
 


 「お箸」!



 とってもステキな光景!

 ご主人、有難うございました。
 ちょっと距離はありますが、必ず伺います!


伊勢崎 丸長
 
群馬県伊勢崎市福島738-2
0270-32-8174

11:00-14:30 / 17:00-22:00
水曜休







 

 



Posted at 2020/07/19 17:49:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | ラーメン(丸長・東池袋系) | グルメ/料理
2020年07月19日 イイね!

旧太子駅(群馬県吾妻郡中之条町)

旧太子駅(群馬県吾妻郡中之条町) 昨日18日。
 月に一度の難聴治療で、長野県須坂市を訪れました。
 生憎の天候でしたが、帰りに少し足を伸ばし、かねてから訪れたいと思っていたこちらに立ち寄りました。



 旧国鉄長野原線の終着駅だった、旧太子(おおし)駅です。 
 昭和20年1月2日、国鉄長野原線(現JR東日本吾妻線)の、渋川と長野原(現長野原草津口)間が開通します。同時に、長野原と僅か一駅の太子間が、日本鋼管群馬鉄山専用線として運行開始。戦況の悪化により鉄鉱石の採掘増量が必至となり、群馬鉄山と太子駅の間を索道で結び鉄鉱石を運搬、ここから貨車に載せて運び出しました。
 敗戦後、国鉄長野原線として運行されましたが、鉱石輸送の廃止と吾妻線の長野原から大前への延伸により1970年(昭和45年)に休止、翌1971年5月1日に廃止されました。

 地元の中之条町は平成20年代に入り、当地を住民用の公園として整備しましたが、駅の遺構が多く埋没していることが判明、発掘復元作業に着手しました。2018年(平成30年)4月に一般公開を始めました。



 入場料は200円。



 切符売り場で支払います。







 改札を潜ると、目の前にこれらが鎮座していました。
 かなり腐食していますが、この駅と群馬鉄山の間約8キロを結び鉄鉱石を運んだ索道で使用された「バケット」です。ロープウェイのようなワイヤーから一定の間隔を置いてこれが提がり、中に鉱石を入れて運びました。こちら一帯では既に索道の痕跡は見当たりません。どんなものかを見たい方は、「毛無峠」の記事をご覧下さい。峠に遺された実物の写真を見ることができます。



 鉄鉱石の実物です。
 結構な大きさです。



 駅の西側にはホッパーの遺構が、無言で朽ち果てんとする柱を並べています。
 ホッパーとは簡単に言えば「砕石機」。索道で運ばれた鉄鉱石を細かく砕き、下に敷かれたレール上に並んだ無蓋車に、なるべく隙間を作らずに積み込む設備です。



 上から見たところです。
 今は土に埋まっていた1階部分しか遺っていませんが、嘗ては4階建ての構造だったそうです。



 剥き出しの鉄筋は錆び、敗戦直前の粗悪なコンクリートはボロボロです。いつ崩壊してもおかしくはないそう、ホッパー内部への立ち入りは禁止です。





 貨車が何両か展示されていました
 この2両は、静岡県の大井川鉄道から譲渡されたもの。



 丸いハンドルはブレーキです。





 こちらの無蓋車は、元ひたちなか海浜鉄道のもの。
 美しいリペイントが施されています。



 何の説明もありませんでしたが、入り口から最も遠い位置に置かれていた2両の無蓋車です。この見事な「枯れ」っぷりに、ボクはすっかり目を奪われてしまいました。



 林立するホッパーの柱を従えて佇む姿…。
 幻想的な光景です。



 ホッパー側の側板は朽ちていました…。









 「廃線」とか「廃駅」のカテゴリーではなく、むしろ「産業遺産」と呼ぶに相応しく思いました。
 山中に突如現れる姿は、あたかも神殿のようでした。
 この種の建造物がお好きな方は、是非一度訪れてみて下さい。

 旧太子駅

 群馬県吾妻郡中之条町大字太子251-4
 0279-95-3055

【今日の「おまけ」その①】



 太子駅の先に、旧いアメリカ製の鉄橋が遺されていると知り、訪れました。
 名前は「吾妻橋」。既に通行は禁止されています。
 ご覧のようにリベットが打たれた美しい橋。
 足尾の「古河橋」に似たフォルムです。
 残念ながら夏は木が繁茂しており、完全な姿を見ることは出来ませんでした。
 再度、秋から冬に訪れてみようと思います。

【今日の「おまけ」その②】



 菅平から406号線を下り、144号線に入りました。
 この道は去年の台風の影響で、今も田代から大前は通行止め。
 北軽井沢に抜けるには「つまごいパノラマライン」で迂回しますが、今は高原キャベツ収穫の最盛期!道路はトラクターのタイヤがまき散らしたドロだらけの上、昨日のこのあたりは強い雨。我がロードスターは、こんな悲惨な姿になってしまいました。
 帰宅後の掃除が大変でした…。





Posted at 2020/07/19 10:31:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | 廃の美学 | 旅行/地域

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