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2022年09月19日 イイね!

グリーンハウス (神奈川県藤沢市)

グリーンハウス (神奈川県藤沢市) 9月10日、土曜日。
 リン版画工房さんで活版印刷で名刺を作ったことはご報告済ですが、途中、こちらに立ち寄りました。

 神奈川県藤沢市のほぼ中央に位置する、県立スポーツセンター。広大な敷地に野球場、ラグビー場、テニスコート、体育館などの施設が集中、この地域のスポーツ活動のメイン会場として機能しています。そんな中に、ひっそりとこの建物が佇んでいます。



 外観そのままのネーミング「グリーンハウス」。
 1932年に開場された『藤沢カントリークラブ』のクラブハウスとして竣工しました。ところが2022年の現在、その名を標榜するゴルフ場は当地に存在しません。これは一体、どういう事でしょう?

 グリーンハウスは竣工以来、歴史の波に翻弄された存在と言って差し支えないと思います。当初はクラブハウスとして機能しましたが、やがて時代に暗雲が漂い始めます。当時、ゴルフな庶民からすれば「高嶺の花」のレジャー。風雲急を告げる時代下では敵性のもの、贅沢三昧の趣味として扱われ、やがてカントリークラブは閉鎖されます。
 
 代わってこの地に開設されたのが、海軍藤沢飛行場。旧藤沢カントリークラブを含め、広大な地が飛行場となりました。こうして、グリーンハウスには基地の司令部が設置されるに至ります。
 
 やがて、敗戦。
 
 広大な海軍厚木飛行場が至近に存在したこともあり、米軍は不要の飛行場として、ごく短期間しか進駐をしなかったとか。払い下げられた結果、滑走路部分は民間の東洋藤沢飛行場となり、1964年には、現在の荏原製作所工場に引き継がれました。また元々ゴルフ場だった土地は紆余曲折の結果、幾つかの学校法人とスポーツセンターが開設されました。
 
 余談ですが、東洋航空時代の1959年9月24日、米軍のロッキードU-2偵察機が不時着。日本の警察や機動隊が駆け付けますが、米軍兵に排除され手出しを一切することが出来ませんでした。その後、この当該機は旧ソ連領上空で偵察活動中に撃墜され、冷戦下で大問題を巻き起こしました。
 
 歴史に翻弄されながら存在し続けたグリーンハウスは、年々老朽化が進行しました。一時は取り壊し案も浮上しましたが、歴史的建造物としての認識から保存運動が盛り上がりました。折しも東京オリンピック開催が決定。両者の観点から修復が決まり、この優美な姿が蘇りました。

 建築家はアントニン・レーモンド。嘗てのオーストリア・ハンガリー帝国の出自で、渡仏後に結婚。やがて渡米し、かのフランク・ロイド・ライトに師事しました。建築はスパニッシュ様式とされています。
 


 車寄せの柱部には、何とも優雅な切り欠きが。



 シンメトリーの玄関。
 タイルの枠が瀟洒です。



 窓も同様の意匠。
 さりげない統一感が漂います。





 玄関扉とその下部。
 ただの長方形にガラスを嵌めるのではなく、角にこんなクランクを設けてあります。何とも優雅ですが、下部は「いかつい」リベット処理。硬軟の設計が見事に調和しています。



 扉から一歩進んだボクをまっていたのがコレ!
 実に手の込んだデザインと施工!階段へ誘う導線は、見事と言う以外、言葉が見つかりません。
 この先、階段の下から左を見れば、事務所のカウンター。
 このスポーツセンターの施設利用受付となっており、利用者が頻繁に訪れます。複数の職員の方が執務中のため、写真は控えました。

 

 階段の下から仰ぎ見れば、吹き抜けの下、その偉容に圧倒されます。
 各段のステップ部を縁取る褐色のタイルと、内側の細かく淡い色彩のそれ。見事な調和、本当に靴のまま上がっていいのかと、一瞬躊躇してしまいました。
 手摺は堅牢な木製。真鍮のような金属製よりも、この方が融け合うとの印象を抱きました。



 階段手摺の柱頭部。
 訪問者の視線が必ず注がれる部分。目を惹き過ぎる華美なものは好ましくはないけれど、さりとて不躾なものは置く訳には行きません。質素ながら、気品が漂います。



 吹き抜けの二階から階段を見下ろすバルコニー。
 ここからの眺めてみたいなぁ…。



 事務所横の壁には、やっぱりこれがありました。


 
 階段を上がると、二階ホールの入口。
 その左右は、こんな格子状にしつらえられています。



 右端の枠、柱頭には彫刻状の処理がされています。
 古代ギリシャのイオニア式とコリント式を折衷したようなデザイン。



 二階の大半は、広大なホール。
 飛行場時代は司令部の中枢が置かれました。
 晩年は、食堂になったと聞きました。



 正面中央の天井に近い位置には、こんな凝った丸窓。
 これは「バラ窓」と呼ばれ、スパニッシュ様式建築の特徴の一つのよう。
 何とも優雅…。



 筋交いは御覧のように湾曲したもの。
 おそらく熱して曲げたものと想像しますが、同じパーツを幾つも作るのには、膨大な手間と時間が掛かったはず…。





 玄関と同様、床にはモザイク調のタイル。
 クラブハウスらしく、ゴルフをシンボライズしたデザインが並びます。
 ボクはゴルフをやらないので正確なところは知りませんが、21世紀の現在、たとえ高級なクラブでも、こんなに手の込んだ設計を採用している処は、おそらく存在しないのでは…。



 壁に、取って付けたように説明書きが貼り付けられていました。
 これはちょっと、残念…。



 

 緩やかな傾斜の屋根に並ぶ瓦と、細身の煙突。どちらもスパニッシュ様式の特徴だとか。初めて知りました。

 近年にレストアされたため、素晴らしい姿とコンテンツを堪能しました。
 しかしパンフレットすらなく、大変勿体ないと感じました。

 建物自体は「素晴らしい」の一言に尽きます。
 ご興味を抱かれた方は、是非一度訪れてみて下さい。


グリーンハウス

神奈川県藤沢市善行7-1-2 神奈川県スポーツセンター内






 
Posted at 2022/09/19 15:26:13 | コメント(1) | トラックバック(0) | 旧き良き建築 | 日記
2022年09月19日 イイね!

パン工房エピローグ (長野県南佐久郡佐久穂町)

パン工房エピローグ (長野県南佐久郡佐久穂町) 9月17日、土曜日。
 「酷道」に大切な事を教わり、二週間振りに佐久穂町を訪れました。
 この日の第一の目的地は、前回の訪問後にネットで知った「パン屋さん」。

 佐久穂の町に入り、「新駒書店」さんの前を通過すると、丁度ご主人が暖簾を掲げているところでした。5時半に出発、到着が10時ピッタリ。走行距離は120キロ。途中トイレに寄ったり、道端で考え事に耽りもしましたが、さすが酷道、時間が掛かりました。

 目的のお店は10時開店との事前情報。
 「ヒゲめがね」さんに寄ると、既に仕込みの最中。店頭には受付簿が出ていましたので記名、目出度く「トップ」!直ちに向かいました。



 こちらは「パン工房エピローグ」さん。
 佐久穂町についてネットで調べていて知りました。
 一年前の開店、以前は精肉店だった建物で営業されています。



 お店の前にはメッセージボードが。
 素晴らしい達筆のチョーク文字で、こんな優しいコメントが記されています。お店の方の優しいこころが伝わります。
 引き戸を開けて入ります。どうやらこの日、最初の客のよう。

「いらっしゃいませ」

 右側のカウンターの中から女性が声を掛けてくれました。







 ズラリと並ぶパンは、どれも美味しそう!
 見れば見るほど食べてみたくなります。
 甘くなさそうなものを3つ選びました。

 ●きまぐれピザ
 ●秋のきのこタコス
 ●クリームシチュー

 還暦チョンガーには、これでも多いくらい。
 お会計しようと思ったら、カウンターの左に保冷ケースがあることに気付きました。



 どれも、美味しそうなサンドイッチばかり!
 眺めていたら、お嬢様とおぼしき若い女性の店員さんから

「ももハムサンドは、地元の有名な『きたやつハム』製の、美味しいハムを使っています。お薦めです」

と、お薦めの言葉を戴きました。何と、4つも買ってしまいました!



 こちらは、還暦を過ぎたご夫婦が、一年前に故郷で始められたお店。ご主人は、東京で11年間、パン職人として働いたキャリアの持ち主。還暦を過ぎ「人生最後の挑戦」として開店されたそう…。

 お会計の際、ホームページを拝見して埼玉から訪れたこと、ボクも35年生まれの今年62歳、人生のシフトチェンジを模索中に初めて佐久穂を訪れ、「ヒゲめがね」さんや「新駒書店」さんに元気を戴いた旨をお話しました。

 帰り際に

「まだまだ頑張りましょう。『エピローグ』ではなく、第二の人生の『プロローグ』にしましょう!」

とお伝えすると、奥様はにっこり微笑まれ、深々と頭を下げてくれました。

 また、佐久穂のお店から『元気』を戴きました!

 

 帰宅後。

 購入したパンを、木のお皿に並べてみました。
 こんなに買ってしまい、どうしようか、バーボンにはハムサンドとピザが合いそうかと思い、水割りを添えて撮影しました。

 いざ食べてみると、これがバッチ、グー!
 生地は柔らかく、もちっとした食感。バーボンにうってつけで、結局、あれよあれよと全部平らげてしまいました!

 あー、美味しかった…。


パン工房エピローグ

長野県南佐久郡佐久穂町高野町413-4
0267-88-6990

10時開店、売り切れ次第閉店
月、火休


【今日の「おまけ」その①】

 この日も新駒書店さんに伺い、二週間前に元気を戴いたお礼を申し上げ、先週作った活版印刷の名刺をお渡ししました。まだ茫漠とした夢をお伝えすると「是非、実現されて下さい!」と、エールを戴きました。



 主にDIYの本を買いました。
 ご主人はこの冬に向け、薪ストーブを設置される予定で、今から薪の確保を始めている、と、楽しそうに仰っていました。
 いいな…。

【今日の「おまけ」その②】



 「ヒゲめがね」さんに行きました。
 前回キーマの「普通」を戴き大変美味しかったので、今回は「大盛り」をお願いしました。満腹に大満足!ところが帰路は眠くて眠くて…。タイヘンでした(笑)!












 
Posted at 2022/09/19 13:00:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | パン屋さん | 日記
2022年09月19日 イイね!

酷道299号線 (群馬県・長野県)

酷道299号線 (群馬県・長野県) 三連休の最終日になりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
 猛烈な勢力の台風14号が日本列島に接近、ここ関東地方は二日目以降に天気が崩れるとの予報。使えるのは初日だけと判断、朝5時30分に家を出ました。

 国道299号線は長野県茅野市を始点に、拙宅に近い埼玉県入間市の小谷田交差点まで、総延長204キロ。長野県区間の西側は「ヴィーナスライン」の名で知られ、風光明媚な世界が広がります。御覧の皆様にも、白樺と湖沼が点在するワインディングを楽しまれた方は多くいらっしゃるかと思います。
 ところが、群馬県の上野村と長野県の佐久穂町を結ぶ区間は、典型的な「山道」。これでも国道かと言いたくなるような、狭隘で綴れ織りの登り道が、県境の十石峠まで続きます。
 この区間は2019年の台風19号により、路盤の崩壊があちこちで発生、今年4月まで2年半も通行止めが続きました。ボクは過去、バイクで何度か通ったことがありますが、その「酷道」ぶりに四輪での走行を、ずっと躊躇しておりました。前回佐久穂を訪れたのは二週間前の9月3日。家までの最短コースは299号線ですが、天気が悪く、上信越経由で帰宅しました。しかし一昨日の午前は好天の予報。佐久穂に行きたいと思い、思い切って「酷道」経由を選択しました。

 上の写真は「酷道」が始まる手前、神流村から上野村に入って直ぐの道の駅。この先に備え、トイレを済ませ、いざ出発!



 右側に「川の駅」を見て短いトンネルを抜けると、湯ノ沢トンネルを経由し下仁田に出る県道45号線が直角に分かれます。直進が「酷道299号線」。45号線の規格の方が遥かに立派(笑)!
 この地点の写真を撮り忘れてしまいました。上の写真はネットからお借りしたものです(問題があれば削除致します)。



 ロードスターを乗り入れた直後は家屋や製材関連の施設が散見されましたが、間もなくこんな道に様相が変わりました。法面にはコンクリートが吹き付けられ、更に防護ネットで覆われています。オーバーハング状態の箇所も!
 路肩には「落石注意」の黄色い標識が、時々現れます。…ワッ!幌を開けたままだ!!



 所々に、擦れ違い可能な箇所があります。
 この日は早朝ということもあり、擦れ違ったのは7、8台程度。殆ど問題はありませんでしたが、初心者マークの若い男性には参りました。前方から現れたのを確認、ここなら擦れ違い可能と判断し待機。向こうは下り。徐行せずどんどん突っ込んで来て、右先端がボクのクルマの右ドアのヒンジに掛かったあたりで停止。こういう時、初心者はゼッタイに「自分から動かない」もの。ボクのクルマは左ガードレールにギリギリ、ドアを開けることすら出来ません。
 シートに立ち、言いました。

「こちらは左一杯に寄っているから動けない、キミが動かさない限り、どちらも通過はできない」

「…ど、どうしたら、…いいんですか?」

 声が上ずっています。助手席には、不安そうな表情の女性。

 仕方なく右のドア後ろから外に降り、相手の左を確認しました。目測でまだ30センチ以上も余裕がありました。状況を相手に伝え、ハンドルの角度をそのまま保ち後退。ハナが抜けたらボクのクルマの前に出るくらいのつもりで右に切る、クルマが道路のほぼ中央に来たら左に切り、続けて右、クルマを左一杯に寄せる。左サイドミラーを注意して見ながらゆっくりやれば大丈夫、誰でもやっていること、とアドバイスしました。
 どっちみち、ボクは彼が位置を修正しない限り動けないので、そのまま「オーライ、オーライ」「まだ左に行ける、…まだまだ大丈夫」と、誘導員を務めました。
 何とか抜けられそうになり、乗車前に言いました。

「こういう場合、相手任せで能動的に動かないのは、ドライバーとして卑怯だと思う。お互いに協力して何とかするのが常識ですよ」

 彼、「すみません」を繰り返しました。
 何でも、免許を取得してまだ半年だとか。秩父に抜けるのにナビを最短距離に設定し、「酷道299」に入ってしまったとか。この先もまだ悪路が続くから、注意して走るように言いました。

 彼が先に動いて同じ結果になるのが嫌で、ボクが先に通り抜けました(笑)。



 少し走ると、こんな光景が。
 ボクは、何故か丸太の断面に惹かれます。



 分厚く苔生した姿。
 一体、何時からここに在るのかなぁ…。
 土嚢の役割なのかも…。



 路肩の下から水音が聞こえます。
 治水用らしき、コンクリート製。
 姿は無機質ですが、山に清廉な水音が低く轟いていました。

 暫くその場に佇んでいると、ある想いが込み上げて来ました。

 この先、あと数年で今の職場とは「さようなら…」。
 
 転職を5回したものの、40年近く会社から給料を貰い、生活して来ました。それなりに苦労はあったものの、45号線との分岐点までの「一級国道」としての299号線を走って来たようなもの。ところがこれからは、この「酷道」区間が待っているはず、と。

 大変お恥ずかしい限りなのですが、敢えて記すことにします(ご興味のない方は、どうか読み飛ばして下さい)。

 40年近くサラリーマンをしてきましたが、もうすぐ終着駅。この歳では再就職は困難ですし、あわよくばそれが叶ったとしても、せいぜい5年が限度。3年後が8年後になるだけのこと。
 収入の確保との意味合いもありますが、ボクは独り者。家に籠り少ない年金だけを頼りに日々を送れば、あっと言う間に老け込んでしまうのが目に見えています。性格的にも「何か」に打ち込んでいないとダメで、のんびりと隠遁生活をしていると、それこそ昼間からバーボンに手が出る可能性が大。なので、アルバイトでも契約社員でもいいので、働き口があれば続けると決めております。その一方、そろそろ「雇われない生き方」をしてみたいとも思っています。

 具体的に何をするのか、ある程度は決めていますが、最大の障害がボク自身の心。長年、給与生活者をして来た結果、自分で「事を興す」ことに、どうしても理由なき『恐怖心』が先に立ってしまうのです。「果たして、上手く行くだろうか?」、「閑古鳥が続いたら、絶対食べていけなくなる…」といったもの…。やってみる前から、「ガタブル」状態。自分でも情けないと思います。そんな時、たまたま訪れた佐久穂の「ヒゲめがね」さんや「新駒書店さん」で、少し勇気を貰ったのでした。新しい自分の人生を開拓された姿は、ボクには大変眩しく見えました。と同時に、立ち竦んでいるだけでは、何も変わらないことを教えられました。

 ちょっと見方を替えれば、自営で何かを始めた方の殆どが、この「決意と実行」の経験者。例えば、ボクが大好きな安曇野の「ギャラリー・シュタイネ」。別荘地の林、途中から砂利敷に転じた道のどん詰まりに、大人好みのメルヘンチックでシックな佇まいのギャラリー。扉を開けて一歩入れば、繊細できらびやかな作品の数々…。ボクも含め、訪れる者は皆「素晴らしい処だ!」と感嘆し、「こんなお店が出来るとはいいなぁ…」と羨望の念を抱きます。しかし、彼の地でギャラリーを開店すると「決意」し、それを「実践」をするのは、並大抵の苦労では無かったはず…。そう、シュタイネのご夫婦も「経験者」、これは、どんな事業でも同じ…。

 先人は皆「経験者」、恐怖の一点を「通り過ぎた」人々。

 この酷道299号線は「どん詰まり」ではなく「必ず抜けられる」。人生、良い時も悪い時もある。人間万事塞翁が馬。この酷道を走ったからこそ聞こえた水音。



 こんな早い紅葉にも出遇えました。



 やがて峠が近づき、







 
 県境の十石峠へ。
 車10台程度が停められる駐車場とトイレがあります。売店も自動販売機もありませんが、却ってこの峠らしく思えました。



 展望台がありましたが、壊れている様子で立ち入り禁止でした。



 美しい野あざみが咲いていました。



 峠の紅葉は染まり始めています。

 ここからは佐久穂に向かい、下り坂。
 暫くは狭い道が続きます。



 道路沿いに、こんな清流が…。

 この道は嘗て、秩父事件で蜂起した民衆が政府軍・警察の討伐に遭い壊走したルート。当時、彼らはこの山道を、どんな想いを胸に辿ったことか…。明日無き身の上、絶望一色に塗り潰されていたと、想像に難くありません。そして彼らは佐久穂の地で殲滅されました。
 
 今は当時とは経済的、社会的状況が全く異なります。
 
 この清流を過ぎたあたりから道路状況は一変、まさしく「国道」が復活しました。

 そう、「人間万事塞翁が馬」!
 
 この日、初心者マークの若者をヘルプしました。
 どうすればいいのか判断が出来ず、結果微動だに出来なかった彼の姿。
 「ドライバーとして卑怯」と断言してしまいましたが、そうではなかったことに気付きました。人様から給料を貰い40年近くが過ぎた結果、自分の足で歩くことに恐怖心を抱き、固まってしまった自分と同じと気づかされました。

 ボクが赤の他人に助けて戴くことも、これからの人生であるはず。
 心の中で、彼に謝りました。
 
 一歩一歩、着実に歩いて行こうと、「酷道」に教えられました。







Posted at 2022/09/19 08:03:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | セカンドステージに向けて | クルマ

プロフィール

「お知らせ http://cvw.jp/b/2970161/46422054/
何シテル?   09/28 15:34
 妻はアルコール依存と摂食障害を患い、主治医の勧めで調停離婚しました。その1年後、彼女は突然世を去りました。一年に2回の母親との別れを経験した一人息子と、ドライ...
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