
草軽電気鉄道のデキ13を見学後、後ろに建つこちらを訪れました。
新幹線の開業で軽井沢は近代的な駅舎に生まれ変わりました。
この記念館は旧駅舎を一旦バラし、新駅の西側にリビルドしたものです。
玄関です。
間口の広い大きな引き戸。勿論手動です。
ずっしりと重く、開けるのに少し力を入れました。
駅名板、家に例えれば表札です。
左右に植物の浮かし彫りが!凹んでいる部分は所謂「ツライチ」です。これを作るには、大変な時間と労力が掛かります。
駅名は旧字体の隷書、しかも「焼印」!これを作るために、大型の金属製焼き型を起したのに違いありません。当然ですが「焼き」は一発勝負。手の込んだ浮かし彫りに焼きを入れた方は、言葉に出来ない程緊張されたことと想像しました。
見事なまでの出来、旧い木造の雰囲気にうってつけです。
記念館の説明板です。
タイトルのレリーフも隷書ですが、こちらは新書体です。
扉を開けると、そこはまさしく「昔の駅」!
写真を撮りたかったのですが、帰る時まで結構な数の見学客が。加えて結構暗く、ストロボが必須でした。他の方のご迷惑になるので諦め、照明を撮りました。
これは壁に取り付けられたものです。
こちらは天井中央のシャンデリア。
華美を避けた質素で旧いデザインです。
皇室の方々が頻繁に訪問されることを考慮したものでしょうか。
こちらにも改札口があります。
入場券を購入し、駅に入りました。
構内に入り、今通った改札を撮りました。
昔の地方の駅で多く見られた、木造の入り口。
…大学を出て入った会社で、最初に配属されたのが仙台営業所。当時の東北地方には、これがまだ残っている駅がありました。米沢、本八戸、余目…。
右も左も分からず、上司に叱られてばかりだった当時を思い出しました。
改札の全景です。
指叉状の支えを持つ木造の柱が等間隔に並びます。三枚構成の改札扉と、見事な調和です。
手前のホームには、保存車両が並んでいます。
こちらは電気機関車EF63の2号機。
北陸新幹線の開業で廃止された旧信越本線の横川-軽井沢間は、旧国鉄で最も勾配の急な区間でした。電車は自力では登ることが出来ず、僅か一駅のこの区間を電気機関車の助けを得て登っていました。このEF63がその「助っ人」で、「碓井のシェルパ」と呼ばれたそうです。
嘗て特急や急行で、この区間を何度か乗りました。
横川と軽井沢では機関車を繋ぐために、結構長い時間停車しました。横川では毎回「峠の釜めし」を買い、車内に戻り早速パクついたものでした。ところが発車すると矢鱈とノロく、しかも絶え間なくビリビリとした振動に見舞われ、乗り心地は酷いものでした。
そんなこの区間は、新幹線の開業で廃止されてしまいました。草軽電気鉄道の記事にも書きましたが、便利さの代償に懐かしいものが喪われてしまいました。
こちらは10000型電気機関車です。
初代の「碓井のシェルパ」です。
あまりの勾配に、当初この区間はアプト式という登坂方式を採用しました。2本のレールの中心に凹凸の並ぶレールを敷き、ここにこの電気機関車の下に取り付けられた歯車を噛み合わせて登ったそうです。このアプト式は近代化によりなくなり、代って使われたのがEF63です。
ホームを見ると、見慣れない電車が。
「ろくもん」と書いてあります。
不定期の観光電車で、車内で食事をしながら1時間半を掛けて長野まで行くのだそうです。車内は子供連れの若いご夫婦、熟年から若者までのカップルで、皆これからの車窓と食事にワクワク・ドキドキ状態なのか、揃って顔を輝かせていました。
ボクは独り者。
こういう場面に出くわすと、一緒に行動してくれるパートナーが居ない寂しさを味わいます。ですが、独り者の気楽さも満喫していますので、プラマイゼロでしょうか(笑)。
車内を見学しました。
オープンカウンター式の席からコンパートメントまで、様々な席があります。インテリアも大変凝ったもので、見ているだけでも楽しくなりました。
レールの終端部を見に行きました。
目の前で見たかったのですが、ここから先は立ち入り禁止。
ぷっつり途切れたこの向こうから電車で到着し、このホームに降りた時の光景が脳裏に浮かびました。若かりし頃が思い出され、ちょっとノスタルジックな気分になりました。
Posted at 2019/03/31 11:03:02 | |
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