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ArtBlakeyのブログ一覧

2019年11月23日 イイね!

謎の箱…?

謎の箱…?※いつもいらっしゃって下さる皆様へ。
 
 書き終わってからこの冒頭を付け足しておりますが、結果的に今日の文章は、ボク自身が自分の過去を振り返った内省的なものになってしまいました。他人の過去をお読み戴いても面白いものとは思えませんので、ご興味のない方には時間の無駄、どうぞスルーされて下さい。

 

 今日は勤労感謝の日。
 午前中にホームセンターでレザークラフト用品を買い求め、帰路にタイヤショップに立ち寄り、来週土曜日のスタットレスへの交換作業を予約しました。月に一度になったとはいえ、これから4ヶ月間は埼玉から長野への日帰り往復には不可欠です。

 お昼前に帰宅しました。
 
 母。

「寒くなったからあんたの布団を増やそうと思い部屋に入ったら、デスクの前の床に箱が置いてあったけど?」

「ああ、あれね」

 2階へ行き、ケースを持って来ました。
 若かりし頃の、思い出の品。
 W1Sや川越スカラ座と同様、去年4月から1年間、毎集土曜日に須坂市を往復していたため、すっかり存在を忘れていたものの一つです。先日、ティン・パン・アレーのアナログ盤を探している時、そういえば暫く触れていないのに気づいて、今朝押入れから発掘したのでした。

「あたしゃ、手が痛いから開けることが出来なかったけれど、一体何だい?」

「今、見せてあげるよ!」

 左右2個のバネ式の金具を外し、蓋を開けました…。



「ああ、こいつはラッパだね。そーいやあんた、若い頃にプースカやってたね」

「ラッパとは普通、トランペットを指すんだ。これはソプラノサックスさ」

「もっとデッカイのも吹いていたね」

「ああ、そうだったね…」


 若い頃。
 
 音楽好きが昂じ、楽器を持ちました。
 幼稚園から小学2年生まで、母がヤマハ音楽教室に通わせてくれ、音楽を楽しく思っていました。ところが男子児童はどんどん退会して行き、やがてボクだけになってしまいました。社宅のガキンチョ仲間からは「男のクセに、女みたいなことをやりやがって!」等と、散々バカにされ、これが嫌で遂に辞めてしまったのでした。ピアノではなくオルガンでしたが、本当に勿体のないことをしたと今も後悔しています。
 でも、幼少時の4年間、鍵盤に触れた財産は結構大きなもので、絶体音感のようなものは身についたと思います。
 
 親父の転勤で東京から東北の地方都市に移住して中学校に入学。
 この頃、ポピュラー・ミュージックの素晴らしさを知り、アコースティック・ギターを手にしました。時代は「かぐや姫」の全盛期。きっかけは違ってもギターに手を伸ばす人が大変多い時代でした。放課後のクラスでは、ギターの上手な者が弾き、男女を問わず「わーかーかあったー、あのころーーー」なんて、一緒に歌っていました。
 ところがボクは、当時の日本のフォークにどうしても馴染めず、サイモン&ガーファンクルのコピーをやっていました。そのうちに「冬の散歩道」のLPを買い求め、インストの「アンジー」という曲の素晴らしさに圧倒されました。メチャクチャ難しい曲で、とても弾けたものではありませんでした。しかもそれが、作曲者がイギリスのバード・ヤンシュなるギタリストで、ジミー・ペイジにも大きな影響を与えた存在と知り、2度オドロキました。その原曲の輸入盤を仙台の一番町にあったヤマハ仙台店で客注で買い求めて聴き、3度オドロキました…。S&Gどころではない、怒涛のアコースティック・ギター…!北極海から吹きすさぶストームの如き演奏に圧倒され、同時に「オレには才能がない、どんなに頑張っても、こんなギターは絶対弾けない」と、観念させられました…。

 やがて高校へ。
 一応、進学校とされていました。
 学区にある各中学校の上位者が入学する処、あっと言う間に成績は下から20番になってしまいました。おまけに、特にボクのように標準語を話す東京生まれは嫌われ、完全によそ者扱いされました。
当時はディープ・パープルやツェッペリンの最盛期。高校の音楽サークルはハード・ロックばかりを挙って演奏していました。ボクも嫌いではありませんでしたが、自分で演奏したいと思っていたのは、もっと暖かく優しい音楽でした。
 
 独りでも、弾けばそれなりにギターは楽しいものでしたが、アンサンブルの妙を味わうことは出来ません。特にこの頃魅せられていたのが、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングや、オーリアンズといった、数本のアコギに男声コーラスを重ねるスタイル。12弦も6弦も、ギターはそこそこ弾けましたが、ボクの最大のウィーク・ポイントは

「歌が、どーしょーもなくヘタクソ!」

なのでした(笑)。
 
 やがて、受験。
 成績が悪く浪人をしましたが、1年後に大学に入学しました。

 実は高校時代、上記とは全く異なる音楽に魅せられたのでした。
 その引き金になったのが、今も活動を続ける、キング・クリムゾン。イギリスのプログレッシヴ・ロックの王道を行くグループですが、ロックなのにアルトサックスやヴァイオリンをフューチャーする、画期的発想と音楽性を誇りました。これが、サキソフォンとの邂逅でした。
 
 大学は飯田橋で、今の総長は女性。毎年、就職部に新卒募集の目的で行きます。旧い校舎を建て直しキャンパスは綺麗になりましたが、ボクの学生時代は中核派の巣窟で、毎日のようにアジテーションの演説が飛び交っていました。

 浪人時代。
 上京しテレビを持たない生活でしたので、楽しみはラジオ。
 当時、民放FMは、東京、名古屋、大阪、福岡にしかなく、ボクが高校時代を過ごした町ではNHKしか聴くことが出来ませんでした。そんな田舎者は、FM東京の深夜放送「アスペクト・イン・ジャズ」を聴いてブッ飛びました。マイルス、コルトレーン、アダレー、モンク、ブラウニー、etc。全てこの番組で知り、すっかりジャズに魅せられてしまいました。お金に余裕がなく、1本しかない120分のカセットテープを毎回片面ずつ録音して聞いていましたので、2週間後には重ね録りの日々でした。

 そんな暮らしをしていたので、入学と同時に学生会館に足を向け、ジャズサークルを探しました。
 あるボックスの前で、丸椅子に座り座布団をスティックで叩いている男性に出くわしました。

「こちらのサークルの方ですか」

「いや、オレは場所だけ借りているのさ。ここの学生でもない」

「こちらのサークル、雰囲気は如何ですか」

「オレからすれば、幼稚園児の余興だね」


 …そのまま、学生会館を出ました。
 サキソフォンを吹いたことのないボクは、「赤ん坊」以下と自覚したのでした。

 こうして、大学で音楽サークルに入ることは叶いませんでした。

 それでも、どうしてもサキソフォンが吹きたくて、アルバイトで貯めたお金で、中古のテナーを購入、あのドラマー同様、学生会館の廊下で勝手に練習を始めました。無名のメーカー、確か5万円程だったと思います。何度か購入した御茶ノ水の楽器店に通い、店員さんに指導して戴きましたが、あとは全て独学。いっぱしの「テナー奏者」には、遂になれませんでした。何しろ、コンボ(カルテットとか、クィンテットのようなバンド)で吹いた経験はゼロ!それでも、それなりに吹けるようになると、ヘタクソほど色気が出るもの。コルトレーンの「マイ・フェバリット・シングス」を吹きたい、なんて大それたことを考えてしまったのです。

 またしてもバイトで貯金、何とか1年後にテナーと同じB♭管のソプラノを買いました。勿論、無名の中古。それでもテナーより高いものでした。

 同じサキソフォンでも、テナーとは全く異質の楽器でした。
 高音楽器で尺は短く、手に持った感触は「かわいい!」
 ところが、こいつが難物で、なかなかまともに鳴ってくれません。
 全長も短く、マウスピースもリードも小型のため、咥えた口を引き締め、そこそこの量で一定に吹きこまないと、直ぐに音程がズレてしまいます。
 これまた学生会館で、勝手に練習に励みました。

 ある日のこと。
 練習中に、初対面の大柄な男子学生に声を掛けられました。

「ちょっと、頼みがあるんだ…」

「何ですか、貧乏人ですから、逆さにしてもなんーにも出ませんよ」

「逆だよ。大した稼ぎにはならないが、困っているオレを助けてくれよ!」

 その週の土曜日。
 ボクは生まれて初めて「かつら」を被り、東洲斎写楽の役者絵のような姿で、目黒の権之助坂を上がり下がり、一日中ソプラノを吹きました。ボクの後ろには「チン!チン!」、「ドン!ドン!」

 彼は、チンドン屋さんの長男。
 ボクは2年生で彼は4年生、既に就職が内定していました。
 当時、既にチンドン屋さんの面々は高齢で、クラリネットを吹いていた方が体調を崩され、歩きながら演奏するのが無理になってしまったのでした(余談ですが、歩きながら管楽器を吹くのは、ホント大変!)。
 彼は父親から、

「お前はこんな日銭の稼業を継ぐな、勉強して進学し、俺たちが這い蹲って演奏している街に建つ会社で、かつらも化粧もせずに働け」

と言われて育ったそうです。ところが父親の稼業の危機に、楽器を吹けない自分に何が出来るのか、散々考えて学生会館に来たのでした。

 この時。
 江戸時代の役者みたいな扮装で、坂を上がったり下がったりしながら、ボクは初めて「人の前」で演奏しました。同時に、サキソフォンを演るようになり、初めての「コンボ」加入でした!ヘタクソなので、つっかえると背後の「ドン」が一拍待って元に戻して下さり、横断歩道が赤になり、唐突にコーダにすると、

「チンチンチンチンチン!!!!!!」

と、掻き鳴らしてくれました。ボクにとって、アート・ブレイキーのドラムロールにも等しいものでした。奏者は今のボクと同じ位の齢の方でした。

 いやー、この「バンド」初体験は、本当に「楽しかった」です。
 当時のチンドン屋さんは、レパートリーは5、6パターンでした。大体、「チン、ドン」が一定のリズムを刻み、クラやソプラノが後から載るパターンで、旋律に制約はなし。都都逸の定番から、寄席の大喜利の題材「売り名をわーすれて…」、果てはボクの勝手なセンスで、「宇宙戦艦ヤマト」、「天才バカボン」などのアニメソングを吹きました。それっぽく明るく吹けば、子供たちが笑顔を向け、後からついて来ました。また、パーマ屋さんの新装開店の時は、尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」や、平 浩二さんの「バス・ストップ」を吹きましたが、擦れ違う女性が聞き入っている時もありました。



 これが、ボクのソプラノです。
 ずっと忘れていましたが、

 「●●パチンコホール、総台入れ替え!」と呟き、久し振りに吹きました。
 
 

 …でも。
 手入れは時々していましたが、全く綺麗に鳴りませんでした。
 
 理由は、ボクの「歯」。
 
 44歳の時。
 亡き妻の心の病気と10年付き添い、彼女が亡くなった翌年。
 左下の歯茎に癌ができ、奥から5本を失くしました。
 当時、W1S仲間のドクターにセカンドオピニオンを求めると、原因は長年の心労、との診断でした。

 3年前。
 右上奥歯3本を、歯周病で失くしました。

 口の環境が全く変わってしまい、そもそも「音」になりません。

 でも、今日はそれなりに、権之助坂を往復する気分になりました(笑)。


 当時のその後。
 
 チンドン屋さんでリード楽器奏者のリクルートは大変だったようで、その日の仕事が終わると、直後に次の場所と時間を伝えられるようになりました。当時、ハンバーガー店が500円、家庭教師や塾講師が1200円でしたが、1800円戴いていたのを覚えています。卒業したら、そのままウチに来いと散々言われましたが、レコード会社から内定が出た旨を告げると、大変喜んで下さいました。

 

 今日の「感想文」!

 一つ。
 
 当時「マイルスだ、コルトレーンだ」!などと崇高な理想を抱えてソプラノを始めましたが、久し振りに吹けば「いらっしゃいませ!いらっしゃいませ!本日開店!本日開店!」のハ長調ばかり!
 でも、当時を思い出して、(メロディになっていなかったけれど)楽しく吹きました。

 二つ。
 
 サキソフォンは「楽しい」!
 指使いは、小学校で誰もが吹いた「リコーダー」と、基本的に同じ。
 リード楽器なので、初心者でも直ぐに「音」が出ます。
 ボクのように還暦近くても、全然これからイケますヨ!
 久し振りに吹き、この楽しさを再認知しました。
 
 ただ、音が低い順にバリトン、テナー、アルト、ソプラノの4種類がある中で、最も「鳴らしにくい」のがソプラノ。値段もそれなりにしますので、新たに購入する場合は、アルトかテナーの中古をお薦めします。ちなみに、ダイナミックでムチャクチャかっこいいのはバリトン!ジャズではジェリー・マリガンやペッパー・アダムスといった巨匠が存在しますが、何しろ「デカくて重い」!プライスも張りますし中古も滅多には出ません。
 それに、サキソフォンは音がデカいのが難点…。小さなソプラノですら、かなりの音量!(おまけにソプラノは「高音」!)
 歯を失ったハンディはありますが、ボクは再チャレンジを決めました。カラオケボックス等での練習を考えています。

 三つ。

 ギターやピアノのように、「和音」を奏でる楽器ではありません。
 キーを一つ押して吹けば、そのキーに従属する音だけが出ます。
 
 逆に言えば、それだけに「ヘタ」が直ぐにバレてしまいます。


 でも、最初はみんな「ヘタクソ」(笑)(!)


 
 



 
 
 
 


 



Posted at 2019/11/23 18:16:36 | コメント(1) | トラックバック(0) | 楽器 | 日記
2019年11月17日 イイね!

若松屋(埼玉県川越市)

若松屋(埼玉県川越市) 昨日16日の土曜日。
 川越市内をあちこち散策し、久し振りに川越スカラ座で素晴らしい映画を見て、感動に浸りました。
 その帰路。
 こちらもかなり久し振りですが、ある「やきとり屋」へ立ち寄りました。



 場所は、西武新宿線の本川越駅と東武東上線川越市駅の、ほぼ中間。
 「若松屋」さんです。
 やきとりを標榜しておりますが、こちらで提供されるもののほぼ9割は、豚の頭部分の肉、所謂「カシラ」をネギ間にして焼いたものです。
 このカシラ肉を「やきとり」として提供するスタイル発祥の地は、ここから東上線で奥へ進んだ東松山市です。焼いたカシラ串には辛子味噌をつけて食べるのが定番のスタイルです。
 時刻は16時25分。こんな行列が出来ています。
 事前に調べたら、開店は16時30分とありましたが、はて…?
 後で店内の掲示を見ましたが、土曜日と祝日は15時30分の開店なのでした。



 暖簾の隙間から店内を覗きました。
 「コ」の字型のカウンターに、ぎっしり人が座っていました。



 およそ10分ほど並び、店内に入りました。
 案内されたのはその入口前の角席。目の前がコンロで、煙が常に襲う席。退店するまで、ひたすら燻されてしまいました(笑)。
 こちらでは、ほぼ9割のお客さんは、座って飲み物だけをオーダーします。
 ボクはハイボールをお願いしました。



 ハイボールが出て来る前に、目前の皿に何のセリフもなく、突然カシラ串が1本置かれました。この若松屋さん独自の方式で、簡単に言うと盛岡の「わんこそば」のルールを適用したものです。座って何も言わなければ、焼き上がったカシラ串が1本ずつ提供されます。纏めて何本も出されるのではなく、常に焼き上がった直後の「アツアツ」状態を食べることが出来ますから、理に適ったシステムです。カシラの他にも焼き物はありますし、煮込みなどもありますが、大半の方は「わんこカシラ串」でお酒を飲んでいます。



 後からハイボールが出て来ました。



 この辛子味噌をつけて食べます。
 色はドギツイものですが、食べてみるとそんなに辛くはなく、むしろ味噌の味が強いものです。
 店内は人だらけの上、「わんこカシラ串」は、食べては追加されるので常に皿には1本だけしかなく、変化のある写真は撮れませんでした。
 しかし、ハイボールを2杯飲み、カシラ串は5本戴きました。この組み合わせ、大変美味しかったです。会計をお願いすると、全部で1530円!極めてリーズナブルです!

 

 正面から撮れませんでしたが、営業時間です。

 この面白いシステム、一度体験する価値はあります。
 勿論、食べてもおいしいから、お薦めです。


若松屋

埼玉県川越市中原町2-12-3
049-224-07777

ボクのおススメ度(味のランキングや評価ではありません)

★★★★★ + ★★

★一つ目の追加は「わんこカシラ串」システム!
常に「アツアツ」を賞味できます。

★二つ目の追加は、率直に「楽しい」!
このシステムは他所にはなく、エンターティメント性が高いです。
話しのネタに一度行かれてみては如何でしょうか?
ただし、リピーターになってしまう可能性は高いと思います(笑)!
それと、必ず「燻され」ますので、それを前提とした服装でお出掛け下さい!
Posted at 2019/11/17 13:48:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | 外呑み | 日記
2019年11月17日 イイね!

あなたの名前を呼べたなら

あなたの名前を呼べたなら 昨日、川越スカラ座で、念願の映画を見て来ました。
 去年発表された、インドとフランスの合作「あなたの名前を呼べたなら(原題:SIR)」です。
 舞台はインドのムンバイ。
 アメリカで学んだ建設会社の御曹司アシュヴィンが、独りで暮らす高級マンション。そこに貧しい村出身の若き未亡人ラトナがメイドとして住み込みます。
 アシュヴィンは婚約を破棄され、傷心の身。ラトナはそんな彼を気遣い、懸命に身の回りの世話をします。

 21世紀の現代にあっても、インドにはカーストに基づく階級が存在します。
 独身男性の家に、未亡人とは言え若き女性が住み込みで働くとの設定に驚きましたが、厳格な階級が存在するインドでは、そう珍しいことではないのかも知れません。
 そんな二人が、徐々に近づいてゆき、やがて別れが訪れます。
 ところが…。

 映画や推理小説の結末を暴くのは、最大のタブー。
 これ以上詳細なことには触れませんが、幾つか感想をご紹介します。

 監督はインド人女性でロヘナ・ゲラ。アメリカで教育を受けた方で、現代インドになお続く階級制を、欧米的かつ女性的な視点から問う作品です。アシュヴィンはマックのラップトップを携え、食事はナイフとフォーク。一方ラトナはキッチンの床に皿を置き、右手で食べます。
 原題の「SIR」は、"Yes,sir."のsir。これ以上は「暴き」になってしまいますので書きませんが、これがこの作品の最大のポイントです。
 最後の最後のラトナのひとこと…。
 僅か1秒にも満たない彼女の言葉を聴くために、100分間観る作品です。
 そして、インド映画に特有の「幕引き」。
 人口が多く面積も広く、貧しい人々が多いインドでは、昔から映画は最大の娯楽。階級制もあり、人々は厳しい現実を逃れ、映画の世界へ入り込み堪能します。このため、最後はハッピーエンドが恒例。この作品にも、限りなくそれに近い「仕掛け」があります。ふたりのその先を観客が思い描けるカギが、ある場面に埋め込まれていました。

 エンドロールが始まるのと同時に、涙が溢れ出ました。
 余韻の大きさに、暫く席を立てませんでした。
 他にも、鼻を啜る音が、あちこちから…。
 終了後の売店。60間近のオッサンが目を真っ赤にし、震える声で「パンフレットを下さい」と呟くと、若い女性がにこやかに微笑み、何度も頷きながら手渡してくれました…。

 「いやぁ、映画って、本当にいいものですね!」

 …今は亡き映画評論家・水野晴郎さんの言葉が、即座に思い出されました。


「あなたの名前を呼べたなら(原題:SIR)」

2018年 インド・フランス合作

監督 ロヘナ・ゲラ

出演 ティロタマ・ショーム(ラトナ)
   
   ヴィヴェーク・ゴーンバル(アシュヴィン)


2018カンヌ国際映画祭 批評家週間 GAN基金賞受賞

2018AFIフェスト 観客賞ノミネート

2018ブランシュヴァイク国際映画祭 最優秀作品賞受賞

2018カブールロマンティック映画祭 パノラマ部門 観客賞受賞

2018フィルム・バイ・ザ・シー映画祭 若手審査員賞部門 正式出品

2018ミルバレー映画祭 ワールドシネマ部門 観客賞受賞

2018フィルムズ・フロム・ザ・サウス映画祭 若手審査員部門 正式出品

2018サンパウロ国際映画祭 新人監督コンペ部門 正式出品

2018ワルシャワ国際映画祭 ディスカバリー部門 正式出品

2018ワールドシネマアムステルダム 観客賞受賞/最優秀作品賞ノミネート

2018ミンスク国際映画祭 新人監督コンペ部門 正式出品

2019ポーランド国際映画祭 観客賞 次点




 
Posted at 2019/11/17 10:51:36 | コメント(0) | トラックバック(0) | 映画 | 日記
2019年11月17日 イイね!

川越スカラ座(埼玉県川越市)

川越スカラ座(埼玉県川越市) 昨日の土曜日。
 ロードスターやW1Sには乗らず、珍しくバスと電車を乗り継いで川越へ行きました。目的は映画観賞でしたが、帰りにある酒場に寄る予定だったからです。結果的にはこれが大正解で、澄んだ青空の下、旧き良き街の散歩を満喫しました。

 閑話休題。
 先日、信州は上田市の「上田映劇」を訪れたことはご報告済ですが、その時に真っ先に思い出したのが、川越スカラ座でした。
 上田映劇が1917年(大正6年)に劇場として開館したのに対し、川越スカラ座は1905年(明治38年)に寄席「一力亭」としてスタートしました。また、シネコンへの移行の影響で、共に閉館を余儀なくされましたが、その後NPO法人の努力により再開された歴史があります。川越スカラ座は2007年(平成19年)5月に閉館しましたが、その年の8月に復活を遂げました。
 学生時代にボクが足繁く通ったのは、飯田橋のギンレイホールと佳作座、それとこちら川越スカラ座です。残念ながら外堀通りに面していた佳作座は閉館し取り壊されてしまいましたが、思い出の詰まったギンレイホールと川越スカラ座は今も上映中なのは嬉しい限りです。
 去年の1月に難聴となり、4月から1年間、週末は長野県須坂市を往復しました。そのためW1Sが放置状態になったことはご報告済ですが、川越スカラ座詣でも、とんとご無沙汰になってしまいました。上田映劇を訪れたことで、近々訪れようと決めたのでした。



 こちらは「時の鐘」と川越市役所の、ほぼ中間地点にあります。隣は国登録有形文化財のレストラン、モダン亭太陽軒です。もちろん、ボクは訪れたことはありません(笑)。



 上映中のプログラムです。
 1日に3本を1回ずつ上映しますが、毎回総入れ替え制です。
 今日のボクの狙いは、インド・フランス合作映画「あなたの名前を呼べたなら(原題:SIR)」です。「2018年カンヌ国際映画祭 批評家GAN基金賞」など、数多の賞を受賞しました。日本ではこの夏に公開されましたが、なかなかタイミングが合わず、劇場へ行けませんでした。今回、川越スカラ座に掛かると知り、狂喜乱舞した次第です。



 入口です。
 昔の映画館は何処も、こんな雰囲気でした。幾つになっても、券を買い扉を開ける時は、ワクワク、ドキドキ、こころがときめきます。



 「あなたの名前を呼べたなら」は12時50分に上映開始です。



 総入替制のため、前回上映が終了するまでは、ロビーで待機です。
 猫の額のようなスペースですが、上映予定情報が溢れています。



 こんなモノクロパネルがありました。
 日活映画「愛と死のかたみ」の宣伝用です。1962年の作品、長門裕之さんと浅岡ルリ子さんです。



 ロビーの先は右に折れる廊下となっており、突き当りがトイレです。



 築100年超のこちらを維持するには、それなりの費用が必要です。
 過去、トイレの配管が壊れて使用不能となったことがきっかけで、こうして募金箱が常設されるに至りました。ボクは500円玉を入れました。



 場内です。
 それ程大きな「小屋」ではありませんが、見やすいスクリーンです。ただ、座席のピッチは昔ながらのもので、身長170センチのボクでも、多少窮屈です。



 映写室を見上げて撮りました。
 「ニューシネマ・パラダイス」にたっぷり描かれていましたが、映画好きにとり映写室は憧れの場所。一度、上映中の映写室に入ってみたいものです。

 久し振りに、川越スカラ座の雰囲気に包まれて、「あなたの名前を呼べたなら」を鑑賞しました…。いや、素晴らしくも贅沢な100分間を堪能しました。

 ボクが住む入間市にもシネコンがありますが、訪れたのはほんの数回だけ。やはり映画はこういう昔ながらの「小屋」で見るに限ります。
 上田映劇もそうですが、いつまでもこの種の映画館が存続することを、心の底から願って止みません。

川越スカラ座

埼玉県川越市元町1-1-1
049-223-0733

※上映予定と時間は、スカラ座のHPで確認が出来ます。



  
Posted at 2019/11/17 10:03:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旧き良き建築 | 音楽/映画/テレビ
2019年11月16日 イイね!

佐賀熊本らーめん梅吉(神奈川県相模原市中央区)

佐賀熊本らーめん梅吉(神奈川県相模原市中央区) 関東地方でも、めっきり朝が寒くなりました。
 平日は始発電車で通勤のため、朝4時40分にロードスターで最寄りの駅へ向かいますが、始動時にタイミングベルトが鳴るようになりました。早朝で近所迷惑になりますので、先週10日の日曜日、座間のアール・エス・アイザワさんで調整して戴きました。

 その帰路。
 
 いつもアイザワさんに行く時は、前日までに電話で連絡、朝一番で作業して戴いておりますが、この日は思い立ったが吉日で飛び込みの訪問だったため、時刻は丁度12時近く。何処でお昼にしようかと思った時、直ぐにあるお店が浮かびました。



 場所はJR横浜線沿い、矢部駅と淵野辺駅のほぼ中間です。
 「佐賀熊本らーめん梅吉」さんです。
 ボクはこちらのお店は初めてですが、嘗てここで営業していたラーメン屋さんには、5、6回訪れたことがあります。



 暖簾です。
 「淵野辺肥後っ子大石家直伝」とあります。

 嘗てここに存在したのが大石家さん。
 何とも強烈なキャラクターのご主人・大石さんが営んでいらっしゃいました。客との話しに夢中になると1時間もラーメンが出て来なかったり、夏休みを1か月半もとったりと、既存の枠に収まらないお人柄でした。
 そんな大石さん、こちらのお店ごとお弟子さんに譲られ、故郷に帰られたのだそうですが、その後お亡くなりになったとか…。
 当時ボクは相模原方面には殆ど縁がありませんでしたが、友人と横浜に出掛けたついでに、彼に連れて行って貰ったのが最初でした。そのおいしさとご主人の濃いキャラに惹かれ、1年から2年に一度程度、横浜線に乗る機会があると途中下車して訪れました。
 大石さんの後をお弟子さんが継いで「梅吉」さんになったこと、大石さんがお亡くなりになったことは、こちらのご主人のブログで知っておりました。なかなか訪れるチャンスがありませんでしたが、最近ボクの中で熊本ラーメンが中央に寄って来ており、一度行ってみようと思っていたのでした。



 「いらっしゃいませ!」

 カウンターの中から、ご主人が声を掛けて下さいました。齢の頃は30代半ばくらい。短髪にネガネ、にこやかな表情です。
 先客はなし。低いカウンターだけの、猫の額のような店内。しかし厨房とバックヤードは、客席の面積の数倍はあります。



 奥には製麺機が鎮座しています。
 師匠が使っていたものを受け継いだそうです。





 大石家時代のメニューの名称は、全く覚えていませんでした。
 ただ、ラーメンを食べたかったのに、「ちゃんぽんにしなョ!」と長崎ちゃんぽんを食べさせられたり、何故かラーメンにタコ焼きがトッピングされていたり、イカゲソをてんこ盛りで出されたことを思い出しました。普通のお店だったらトラブル必至ですが、根っから陽気で嫌味がなく強烈な磁石のようなキャラの大石さん。先が全く読めない彼の行為を、お客さんも楽しんでいたフシがありました。その大前提は「お客さんに、とにかく楽しんで貰いたい、おいしいものを食べさせたい」との、大サービス精神でした。
 そんなことを思い出しながら、「黒ラーメン」に「こがしねぎ」のトッピングをお願いしました。全部で950円、こちらは前払い制です。



 店内は、綺麗に保たれています。
 大石家時代は、薀蓄書きや写真がゴテゴテと貼られていたことを思い出しました。



 カウンターの壺の中身は、ガーリックチップでした。



 暫くして、ラーメンが出て来ました。
 何しろ「マックロケ!」の水面。これは期待です。

 具はきくらげ、チャーシュー、のり、それにチーズ1枚、大量のこがしねぎ。チーズを入れるのは、大石家のスタイル。熱いスープに溶け込んでしまわないうちに、麺に絡めて食べるのがコツ。イタリアンちっくな味わいです。
 トッピングで追加した大量のこがしねぎはスープを吸い、とても美味しく感じました。これは正解でした。

 スープには焦したニンニクベースのマー油が大量に加えられていますが、にんにく臭さや油っ濃さを殆ど感じません。香ばしく優しい味わいで、素直においしく思いました。



 麺は自家製。中太の歯ごたえのある食感で、このスープとの組み合わせはバッチリでした。



 チャーシューが2枚入ります。
 こうして見るとシツこそうに見えますが、薄い塩味の上品なものです。



 という訳で、スープ以外は完食しました。



 店内に、大石さんの写真が飾ってありました。

 少しだけ、ご主人とお話ししました。
 大石家の頃が最後でこちらは初めて、埼玉県から来た旨をお伝えすると、大変喜んで下さいました。
 
 大変まじめで物静かな方で、率直に食後の感想を訊かれました。亡き大石さんとは全く逆のキャラクターですが、ラーメン作りに臨む姿勢は師匠譲りです。そして、こういう真逆な二人が互いに認め合い師匠と弟子の関係になり、遂には師匠は店ごと託して帰郷したというのですから凄いエピソードです。

 大変美味しく戴いた上、人生の勉強をさせて戴きました。
 ご馳走様でした。
 また必ず伺います。


佐賀熊本らーめん 梅吉

神奈川県相模原市中央区鹿沼台1-1-1

月-金
11:30-14:00/18:00-20:00
土・日
11:30-14:00

不定休(ご主人のブログで告知があります)


ボクのおすすめ度(味のランキングや評価ではありません)

★★★★★ + ★★

★1つ目の追加は、「とにかく、おいしい」!
桂花とも育元とも異なるスタイルですが、大石さん直伝の立派な「熊本ラーメン」!これは感動しました。
ご主人は、熊本の食材を使っているのでクセがあり、関東の人の舌に合うか、多少不安と語っていましたが、「ゼッタイに美味しい!」と答えました。

★2つ目の追加はご主人の哲学。
亡き師匠の教えとスタイルを守り続け、毎日ラーメンを作っていらっしゃいます。その姿勢に、間もなく59歳になるボクは勉強させて戴きました。

こちらのお店、遠くからでも訪れる価値が、充分にあると思います。
駐車場は店の横に2台分ありますが、狭い一方通行路ですので、コインパーキングの利用が無難です(ボクはそうしました)。




Posted at 2019/11/16 09:02:37 | コメント(0) | トラックバック(0) | 熊本ラーメン | グルメ/料理

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何シテル?   09/28 15:34
 妻はアルコール依存と摂食障害を患い、主治医の勧めで調停離婚しました。その1年後、彼女は突然世を去りました。一年に2回の母親との別れを経験した一人息子と、ドライ...
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