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2020年02月23日 イイね!

鉄道博物館(埼玉県さいたま市)

鉄道博物館(埼玉県さいたま市) 昨日2月22日土曜日。
 埼玉県さいたま市にある、鉄道博物館を訪れました。
 ボクが住む埼玉県にありながら、何と初めての訪問でした。



 玄関には、こんなボードがありました。
 家族や恋人、友人を横に立たせて記念撮影するのが目的のようです。



 チケットの販売機です。
 大人は1330円。ちょっと高いかなぁ…。
 まあ、値段に見合ったコンテンツならいいけど。





 車両の展示スペースへ進みます。
 まず出迎えてくれたのがこちら、1号機関車です。
 新橋と横浜の間に初めて鉄道が走った時に使われたものです。
 小さな客車を従えています。





 展望車、マイテ39です。
 嘗て客車特急の全盛期、最後尾に連結されたのが豪華な一等展望車でした。大きなデッキを備え、そこに大きな列車名のテールサインを提げて走りました。ちなみに、旧国鉄のターミナル駅で行き止まり式のプラットホームがあるのは、上野、門司港、天王寺の阪和線ホーム等、ごく少数ですが、欧米ではあちこちに見られます。これは、旅客が自分の乗る列車を瞬時に判別できるようにとの配慮からだそうです。最も有名なのはニューヨークのグランド・セントラル・ステーションですが、今は特急の発着はなく、ほほ゛全てがコミューター(通勤電車)になってしまいました。



 室内です。
 きらびやかで豪華な内装。これに乗れる人は、ごく限られた「特権階級」の方々だったのは間違いありません。
 白いカヴァーを纏ったソファが、内側を向いて並びます。
 きっと座り心地は良いのでしょうが、ボクは個人的には車窓を眺められるクロスシートの方が好みです。



 マイテから更に進むと、高い屋根を持つ広大なスペースに、沢山の車両が展示されていました。その中央部には転車台が設置されていて、蒸気機関車C57が展示されていました。



 赤いナンバープレートが凛々しい135号機。
 先輪の前にスノープラウを纏った姿は、北国育ちの模様です。動輪のコネクティング・ロッドには、十分に注油されていました。



 キャブ(運転室)右側です。
 C57には4つのタイプがありますが、135号機は一次型。製造時は開放型だったはずですが、扉が増設されています。乗務員保護の観点から、寒さの厳しい北海道や東北で使われた機関車に施されることが多かった改造です。
 所属機関区欄には『岩』の文字。
 北海道は、岩見沢機関区の出身です。



 左側です。
 昭和47年5月に、旧国鉄苗穂工場で車検整備した旨が記されています。



 キャブの後方です。
 ドアを増設したとはいえ、炭水車との間を完全に区切ることは出来ないので、こんなに開いています。酷寒の北海道での運転業務、さぞかし大変だったことと想像します。





 うわー、懐かしい!
 上野と仙台を走っていた「特急ひばり」。おそらく、ボクが最も多く乗った特急です。
 ボクは東京都北区で生まれ育ちました。当時亡き親父が勤めていたのは製紙工場。ところが公害問題、環境問題が進み、大都市に立地する製紙工場の存続が困難となり、閉鎖が決まりました。当時、親父は長さ100メートルを超す主力のペーパーマシンの責任エンジニアで、この巨大マシンを全部バラして宮城県の工場に持ち込みリビルトすることとなりました。このため、ボクは小学校6年生の10月に転校することとなりました。
 何の縁もゆかりも無い地方都市に住むこととなり、休みになると親にねだって東京へ遊びに行ったものでした。浪人・大学時代、まだ両親は在住だったので、年に数回は帰省しました。その当時の「足」が、この「ひばり」でした。上野と仙台の間を、片道4時間で駆け抜けていました。
 この車両は481系。交流・直流の両用。東北本線は栃木県の黒磯から南が直流1500ボルト、北が交流50キロヘルツ。黒磯駅を徐行で通過すると、一瞬空調が停まり、ルームライトが消えたっけなあ…。



 これまた懐かしいブルートレイン「あさかぜ」!
 東京と博多の間を走っていました。ボクの記憶だと、最盛期は下関行きを含め、1日に3往復が走っていたと思います。



 20系寝台客車の外観上の特徴が、この二枚折り戸。
 横にスライドする陳腐なものと異なり、何とも優雅な所作に感動したものでした。



 ベッドメイクを再現した人形です。
 
 ボクはレコード会社時代、矢鱈と出張が多い時代がありました。月に4、5回は地方へ出掛けていましたが、当時息子は3年保育の幼稚園に通っていました。その幼稚園は運動会、学芸会はもとより、合唱会、朗読会、ショパンを聴く会など、土曜日と日曜日にイベントが盛り沢山に催されました。どの家庭も両親が揃って参加するため、週末の出張の時、帰路は頻繁に寝台列車に乗りました。最も多かったのは大阪発東京行きの急行「銀河」、次いでこの「あさかぜ」でした。
 定期運行のブルー・トレインが消滅したのは、何とも寂しい限りです。眠れない時、B寝台の通路にある引き下げ式の椅子を出して座り、「コトン、コトンコトン…」という台車の音に耳を傾けながらウィスキーを飲んだものです…。
 そんな時代も、今は昔…。



 旧い濃茶の電気機関車、EF55です。
 流線型の先端部は優雅な意匠ですが、どこかユーモラスでもあります。
 1936年(昭和11年)の製造、全部で3両が製造されました。



 先端からサイドに掛けての流麗なデザインは、何処かヨーロッパ的です。グリーンやプルーを纏ったら、イタリアの特急牽引車みたいになりそう…。



 反対側、第2エンドは切妻型です。
 製造当初は構内運転程度を想定した簡易運転台しか装備されていませんでしたが、途中で正規の装置を付けたのだそうです。
 正面とは全く異なりますが、ボクはこのデッキに中央扉を持つこちら側も好きです。



 ワイパーの回転軸は外側です。



 美しいテールライト。



 パンタグラフは巨大で複雑なデザインです。

 当時、国鉄は流線形の動力車の導入でスピードアップを図ったのだそうです。 蒸気機関車C53やC55を流線形にし、この「流線形電気機関車」EF55を製造しました。しかし時速100キロ程度では効果が乏しいと判断、蒸気は全て通常型に戻されました。このEF55は事実上片側運転台のため、戻り運用の際には転車台で方向転換が必要など、取扱いが面倒で半ば厄介者扱いされたようです。そういう経緯から第2エンドにも正規の運転台が付けられ、こちらを前面にして運用したこともあったそうですが、主客転倒そのもので、彼らが気の毒に感じました。しかし、パソコンなど存在だにせぬ戦前の日本で、計算尺と烏口で設計図を描き、この美しき機関車を産んだエネルギーには感動させられました。



 昨日の訪問で最も楽しみにしていたのがこちら、ED40の10号機です。
 1920年(大正9年)から14両が、当時の鉄道院大宮工場で製造されました。急勾配の難所として名高い碓氷峠(信越本線の横川-軽井沢間)専用で、国産として初の電気機関車です。



 サイドビューです。
 運転台は左側だけ、右は連結器上部に抵抗器の収納部が飛び出した、何とも無骨なデザインです。車輪は蒸気機関車のようにコネクティング・ロッドで繋がれ、動力を伝道するシステムです。



 第2エンドを見上げたところです。
 ナンバープレートとライト以外に何もなく、「のっぺらぼう」を彷彿させます。
 前と後ろでこんなに表情が異なるのには、理由があります。
 急勾配の碓氷峠を登る時、このED40は重連、つまり2両連結で列車の最後尾(横川側)から「押し上げた」のでした。反対に軽井沢から下る時は先頭(横川側)に立ち、速度を抑制しました。つまり、ED40には運転台は片側にしか必要がなかったのでした。



 これが「ラックレール」。
 二本の線路の中央に敷かれた、凹凸のあるレールです。
 所謂「アプト式」と呼ばれる急勾配登坂システムで、このレールに機関車下面に取り付けた歯車を噛み合わせ、回転させることで坂を推進するものです。





 上の写真は、ED40を下から見上げたところです。
 見やすいようにラックレールは透明なアクリル板で作ったものが使用されています。



 屋根を上から見下ろしました。
 パンタグラフは中央部に1つだけ。これは駅の構内・機関庫でのみ使用されるもので、



 横川から先は架線集電ではなく、東京メトロ丸の内線や銀座線のように、線路に沿って設置された第三軌条から電気の供給を受けます。この写真のほぼ中央部に第三軌条が写っていますが、



 断面はご覧の通りで、上と左右はカヴァーで覆われています。つまり、集電するシュー、



この写真のオレンジ色の部分は、第三軌条の下面に、下から押し上げるように密着します。これは、先に書いた丸の内線や銀座線が上面から集電するのと全く逆です。以前、何かの本でその理由を知りましたが、碓氷峠は寒冷のため凍結や積雪の対策だったのだとか…。



 66.7パーミルの勾配(始点から水平に1000メートル進んだ場合、その終点の66.7メートル上の一点と始点を結んだ勾配)を、



 来る日も来る日も重連で列車を押し上げ、つっかえ棒よろしく下ってを繰り返した「シェルパ」です。
 ちなみに、ED40の老朽化で後継のED42が登場した当時、大量輸送の時代に突入していました。ED42はハイパワーで設計され、しかも4両1チーム(軽井沢側1両、横川側3両)で、ディーゼル特急まで押し上げていたそうです。連続するトンネルや狭小な岩場を縫うが如き路線では、無線など全く役に立たず、ホイッスルによる合図だけで4両が一丸となって仕業に就いていたそうです。その足掛かりとなったのが、このED40による重連だそうです。



 このED40の10号機が、国の重要文化財に認定されたのだそうです。
 長きに及ぶ縁の下の仕事が、漸く認められました。
 素晴らしきことです!



 まだまだ、こんなものや、



こんなものもありますが、大変長くなってしまいましたので、今日はこのあたりで失礼させて戴きます。

 それと、最初に触れたことについて。
 1330円の価値は、十分あると思います。
 今日ご紹介した車両の展示スペースの他、子供用の豆電車やD51の運転シュミレーター、鉄道模型の運転、各地の駅弁を買い、嘗ての特急車両の中で食べるコーナー、図書室、売店等、いろいろと用意されています。小さなお子様を連れて行ってあげると、とても喜ぶと思いました。















 
 
 


Posted at 2020/02/23 14:01:38 | コメント(1) | トラックバック(0) | 博物館 | 日記
2020年02月15日 イイね!

北欧家具tanuki(埼玉県東松山市)

北欧家具tanuki(埼玉県東松山市) そんなに沢山はいらっしゃらないと思いますが、お越しの皆様、お元気でいらっしゃいますでしょうか。
 ボクは齢60手前。何度かこちらに書きましたが、ジツに様々なことが人生にありました。業績不振による会社都合での解雇に始まり、現在までに転職5回で6社目に在籍しております。妻も亡くしましたが、独り息子を大学まで通わせ、今は母と二人でつつましく暮らしております。

 今、少しずつしか進みませんが、自宅の整理をしています。
 親父が遺した大量の本には手を焼いていますが、一方では「使いもしない物を貯め込み手放そうとしない母」にも、週末になると溜息が漏れます。

 一方、何処に何があるのか、ダンボールに仕舞ったままのレコードの整理を始めました。何と、つい先刻一つを開けたら、吉 幾三さんが歌った当時は最新だったのに、今や若い人は「なにそれ?」と言うに違わぬ「レーザーディスク」が大量に出て来ました!

 閑話休題。

 家の整理に青色吐息のボクですが、少し片付くと「夢」が芽生えます。キレイにしたら、あんな家具がホシイ。的な…。それで最近は、地元の埼玉県、足繁く通う信州、職場のある東京・五反田や目黒のあたりで、アンティーク系を扱う店を調べては見に行っています。
 今日はこちら、東松山市の「北欧家具tanuki」さんに伺いました。



 唐子の地、旧陸軍松山飛行場跡地の南端にあります。
 およそお洒落な家具工房とは無縁の立地の上、看板の類はありません。



 店内は明るく、美しく仕上げられた家具類が、柔らかな光を放ちます。



 個人的に、この鉄製の本体に木の座面と背をつけたチェアが気に入りました。



 雑賀類も豊富です。



 こちらはバックヤードですが、お客さんも入れます。
 物凄い数がストックされており、2組の若いカップルが、女性のスタッフの方と、あれこれ話しこんでいました。
 こちらに置かれている物は、明らかに「中古」の面持ち。それはそれで「味」があって良いのですが、どうやらこちらでは、お客さんが気に入った「中古」を選び、レストア後に納める方針と想像しました。



 今日、ボクが一目惚れしてしまったのが、こちらのデスク。
 ちょっとヤレていますが、優雅なカーブがイイ!
 
 小学生になり、初めて机を買って貰った時の気持ちを今でも覚えています。初めて自分の「指定席」を得て、勉強は殆どしなかったけれど、本やマンガを読んだり、絵を描いたり工作をしたりしたものです。この机は中学を出るまで使いましたが、高校入学と同時に、幅70センチで抽斗が甲板の下に二つしかない、小さな大人用の机に買い換えました。それを東京に送って浪人生活をしましたが、大学に入り3年生の頃に、釘を打たれた接合部が割れてしまい、泣く泣くお別れしました。以来、ボクは自分用のデスク(机)を持ったことがありません。今、こうしてパソコンを打っているのは、社会人になった直後、仙台のリサイクルショップで購入した、幅180センチの大きなダイニングテーブル。独身時代は部屋の壁にくっつけてカウンター的に使っていましたが、今はデスクトップやプリンター、編集用のビデオデッキ等を置いています。
 
 だからこそ、本来の「デスク」が欲しいのだろうと思います。
 
 壁面一杯にレコード棚をしつらえてオーディオとレコードを収め、その前にこのデスクを置き、本を読みながら聴いたら、

「…タ、タ、タマラナイ!」…。

 棚の中心には大型のモニターを据え置き、ジェームス・プラウンの映像を、この甲板に頬杖を突いて「ニタニタ」しながら見たら、

「…シ、シアワセダァ!」…。

 おトモダチとツーに行った写真を四つ切りの「紙焼き」にし、柔らかくコンパクトなデスクライトで眺めたら、

「あー、タノシかった。また、行きたいなぁ!」…。

…かくも、僅かの刹那に勝手に想像し、悦に浸りました。

 しかし、お値段を訊き、…現実に戻されてしまいました(笑)!
 諭吉さん20人くらいだったら「清水の…」かと決めていましたが、標高は「華厳の滝」デシタ(笑)!!
 確かに高価だと思いますが、店頭の品物の仕上がり具合を見れば納得です。それでも欲しい人は、納得の上で購入するのだと思いました。

 ボクはまだ家の片づけが終わっていませんので、終わるまで少しずつ貯金しようとおもいマシタ!!

(笑・まるで小学生!)


北欧家具tanuki

埼玉県東松山市大字上唐子1083
0493-81-4642






Posted at 2020/02/15 17:06:30 | コメント(0) | トラックバック(0) | インテリア・骨董 | 暮らし/家族
2020年02月15日 イイね!

KM90再生の記録 その伍拾

KM90再生の記録 その伍拾【はじめに】
 高校生の時、卒業する先輩から1万円で譲って戴いたのがMC1。この名前はあまり耳馴染みがありませんが、所謂型式名です。日本ではカワサキ90MSを経てKM90の名称で販売されましたが、ヤマハのミニトレが大ヒット、終始日陰の存在でした。ところが輸出先のアメリカではそのままこの型式名で市場に出て、小さな車格とパワフルな2ストエンジンが好評で、大量に流通しました。
 以来40年。今も我が家に棲み続けております。
 此処では某ブログに掲載した内容を、一部修正しながら「引っ越し」掲載します。かれこれ10年以上前に書いたものですので、パーツの供給状況等に変化が生じている可能性がありますことをご承知下さい。
 引っ越しの理由は、今もこの記事が残っている某ブログが、サービスの停止を発表したことです。本来の目的はボク自身の備忘録ですが、もし興味を持って戴けたらお読み下さい。
 なお、90MS、KM90、対米輸出されたMC1の全てを対象としますので、カテゴリはMC1としますが、タイトルには日本で一般的に通っているKM90を使用します。



2010-10-20

4ヶ月振りです。




更新が滞り、申し訳ありません。

いろいろと身辺に変化がありました。
W、ペケ、兎2羽を手放しました。
まだ全く落ち着いておりませんが、気分転換に「2号機」弄り。

【2020年2月15日 付記】

この当時。
働いていたのは、ある一次救急病院でした。
同族経営、トップは院長の叔父で、大手ゼネコンを定年後に病院に来たそうですが、人の意見に全く耳を傾けない人物でした。
その彼に根も葉もないことで睨まれ、ある日突然呼び出され、労働基準法違反の減給3割を告げられたのでした。あまりの不条理な扱いに、ボクはその場で、心中密かに転職を決意したのでした。
当時所有していたW1S、XS-1、富士ラビットS301の3段ミッションとトルコンの、計4台を売り払い、息子の大学4年後期の授業料を支払いました。
今となっては、「そんなこともあったっけナ…」程度の思い出です。



さて、4ヶ月オイル漬となったプレート君たちです。
これから組み上げます。
噛み合わせを慎重に行い、こうなりました。オイルはタップリと染み込ませました。



で、エンジンにマウント後。
途中経過は両手とも「背脂ラーメン」状態のため、ゴメンナサイ!



予告偏です。
最大の問題、キャブです。
ご覧の通り、ボロボロ…。

さて、どうしたものか…。





Posted at 2020/02/15 15:30:10 | コメント(0) | トラックバック(0) | MC1 | クルマ
2020年02月09日 イイね!

続・家で「スパゲティ ダン」の再現に挑戦!

続・家で「スパゲティ ダン」の再現に挑戦!  昨日の8日土曜日。
 月に一度の難聴治療に、朝7時の予約時刻に長野県須坂市の鍼灸院を訪れました。1時間後、治療を終えて外に出ると、雪がバンバン降っていました。今年の信州に雪はないので、びっくりしました。途中、スタンドで給油をしましたが、職員の方は「この降り方だと積もるかもしれない、埼玉までまだかなり距離があるから、本降りになる前に碓氷峠を降りた方が賢明」とのアドバイスを戴き、素直に従うことにしました。
 という訳で、11時には自宅に着いてしまいました。
 さて、空いた時間をどうしようかと考えると、直ぐにあることが浮かびました。



 これは、デュラムセモリナの粉。先週、西武池袋店の地下2階で購入しました。
 前回、「スパゲティ ダン」さんの再現にチャレンジしましたが、ニューオオクボの麺が入手出来ませんでした。ネット通販と千葉県柏市の同社工場に併設の販売コーナーで入手が可能と知りましたが、具体的には動いていませんでした。それで帰宅途中に立ち寄り探しましたが、さすがの西武にもありませんでした。ところが代わりに発見したのが、この粉だったのでした。

「生パスタを打ってみたらどうだろうか…?」

と、考えたのでした。



 家にある「田中式製麺機」です。
 本来はうどんを作るためのものです。
 嘗ては小野式を筆頭に、この種のものが製造されていましたが、今では全て絶滅してしまいました。ボクはこれをある古道具屋で発見して持ち帰りましたが、埃と固まった小麦粉まみれで、徹底的に掃除したのでした。



 実は、我が家にはこんなものがありますが、



 旧い田中式に比べると、あまりにも非力なのでした。
 田中式の最大の特徴が、この斜め式の「ヘリカル・ギア」。力強く噛みあい、生地をぐいぐい伸ばしてくれます。また、切り刃の幅が2ミリで、ニューオオクボのものとほぼ同じなのでした。



 早速、作業開始です。
 ボウルにセモリナ粉500グラムを入れ、



 粉100グラムに対し玉子1つ、計5個の溶き玉子を作り、



 立てた右手の指で少しずつ混ぜて行きます。
 そぼろ状になったら、右掌の付け根で押し込みながら練ります。



 ある程度纏まったら、



 袋に入れて「足踏み」しました。

 その後、形を整えて冷蔵庫に入れました。
 何でも、デュラムセモリナ粉は水分と馴染むのに、強力粉などの小麦粉よりも時間化が掛かるのだそうです。パスタを作るのは初めてのため、複数のネットのページを参考にしましたが、この「寝かせ」時間に関してははバラバラで、1時間というものもあれば3時間もあり、果ては一晩という記載もありました。
 ボクはこの後、使う食材を買いに出掛けたため、結果的に2時間ほど置きました。



 帰宅してまず行ったのが、田中式の「掃除」。
 暫く使っていなかったので、全体をお湯で搾った雑巾で丁寧に拭き上げました。次に強力粉で生地を作り、田中式のローラーで何度も伸ばし、



 何度か刃で切りました。
 所謂「捨て麺」というもので、手の届かない狭小な部位の汚れを、小麦粉にくっつけて除去する方法です。

 さあ、準備完了です。



 セモリナ粉で作った生地を5個に分け、それぞれを田中式のローラーで伸ばします。最初はこんな状態で、伸ばしても穴が開いてしまいました。強力粉の「打ち粉」をしては伸ばしを、何度も繰り返しました。



 伸ばし終えた生地です。
 これらを田中式の2ミリの刃で切りましたが、作業に夢中になってしまい、写真を撮り忘れてしまいました。撮影していれば、上の掃除の時と同様のものになったはずです。
 この製麺機での作業、とにかく「楽しい」!
 捏ねた生地をハンドルをクルクル回して「伸ばし」、同様にスルスル「切る」のは、子供の「おままごと」にも似たものです。
 麺類に目がなく、且つこういう手作業がお好きな方は、是非製麺機を入手されて下さい。楽しい製麺作業の後に舌鼓を打つ…。ゼッタイに嵌りますよ!



 出来上がりました。
 たっぷりと打ち粉をしてケースに入れ、冷蔵庫に仕舞いました。





 さて、ここからは今日です。
 お昼に再度、「スパゲティ ダン」の再現にチャレンジすることに決めました。
 これは「うに」です。
 生うには、たったこれだけで1500円!なので、補助食材として、瓶入りの「塩うに」600円ちょっとも買いました。



 擂り粉木を使うと目に入ってしまい量が減ってしまうので、オリーブオイルを加え、スプーンでトロトロになるまで練りました。
 たらこのソースの作り方は、前回と同じですが、前回の反省を踏まえ大きなものを2つ使いました。



 鍋で沸騰する湯に入れて茹でました。
 ネットの各ページには、生パスタは大体5分程度と記載されていますが、ボクは何と12分間茹でました。5分ではボッソリとした食感で、ちっともおいしく思えなかったからです。



 茹で上げて木製のボウルにいれ、たらこ、うにのペーストを絡ませました。納豆は酸味のあるイタリアン・ドレッシングを少量加えました。イクラは買って来たものを載せただけ、最後に刻み海苔を掛けました。

 母と一緒に「いただきまーす!」

 うん、おいしい!
 …でも、目指していた「ダンの再現」は、今回も叶いませんでした。理由は前回と同じで「麺」。ラーメンやうどんは何度も作っていますが、生パスタは今回が初めて。その割りには上手く出来ましたが、ダンのものとは明らかに食感が違いました。ダンさんのものは「モッチモチ!」との表現が相応しいものですが、ボクが作ったものは「プリプリ」という感じ。決して不味くはないのですが、作り立ての団子にも似た、歯応えのある柔らかさがありません。
 うーん、プロの味の再現とは、かくも難しいのでした。また、そうでなければ、プロの料理人の皆様は、ごはんを食べていけなくなってしまいます。やはり、どんな職業であろうと、その道のプロフェッショナルとは偉大なものです。

「そんなことないよ、充分、おいしい。大体、初めてなのにスパゲティをここまで作れるのだから、あんた大したものだよ」

 とは母の言葉。
 有り難く拝聴しました(笑)!



 




Posted at 2020/02/09 16:32:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | 男の料理 | グルメ/料理
2020年02月02日 イイね!

2020年2月1日の発掘結果

2020年2月1日の発掘結果 昨日2月1日土曜日。
 宮ケ瀬の駐車場ででクルマとバイクを見て目の保養をし、「スパゲティ青山」で舌鼓を打ち、いよいよ本番です。

 「かなりデカいお店だけど、道路から見えるのは工具や置物ばかり。ひょっとしたらと覗いたら、ちょっとしたレコードと楽器のスペースがあって、そんなに沢山ではないけれど、SPと10吋が積んであったよ!」

 かつて勤務したレコード会社の先輩からの情報。
 腹拵えも充分、「いざ出陣!」

 とにかく大きなリサイクルショップでした。
 多いのは「電動工具」「電動ではない工具」類。
 こんな処にレコードがあるのかと探していたら…。



 おー!ありましたゾ!
 SPが積まれていました。
 その数、ざっと見で30枚程度。

 一旦外に出て、店主と値段を確認しました。

 「LPはサイズを問わず150円、同様にSPは500円、シングルは4枚300円」

 とのこと。リーズナブルです。

 散々、格闘しました。
 照明が暗い上、楽器やらCDやらが山積し、思うようにチェックが出来ない環境なのでした。それでも在庫のSPは全て、LPは10分の1程度を検分しました。



 今日の成果です。
 SPが1枚、10吋が2枚、12インチが1枚です。



 これは、ギタリスト、レス・ポールの演奏を収録したSP盤「ジングル・ベル」。ギターの形式やタイプとして彼の名はつとに有名ですが、その演奏はあまり知られていないように思います。



 蓄音機を引っ張り出して聴きました。
 優しい「エレキギター」の音に感動!
 素朴で、キリスト教徒がクリスマスを目前に抱く「わくわく感」を、上から目線ではなく「ボクもたのしみにしているヨ!」的な演奏!
 裏面は「Silent Night」で、マリー・フォードという女性歌手が歌っていますが、ボクの好みではありませんでした…。



 言わずと知れた「サッチモ」、ルイ・アームストロングの10吋です。
 タイトルは「これがサッチモ」、日本プレスのビクター盤。
 オリジナルではなく、どうやら「いいとこ取り」のベスト、と言うよりも『お試し用」といった感じ。サッチモはボクの記憶では1970年代に亡くなったので、10インチの時代には、まだ存命だったはず。
 …最も有名な"What a wonderful world(この素晴らしき世界)"は収録されていませんが、"Basen Street Bluse(ベイズン・ストリート・ブルース)"、"La Vie En Rose(バラ色の人生)"はシブい!
 …、一体、どう頑張れば、こんなに恰好のいいトランペットを吹き、それでいて、人生の辛苦全てを拭き尽くした雑巾を硬く絞ったような「声」が出せるのでしょうか…。聴いていて、涙が溢れました。
 ちなみに、このDECCAのレーベル・デザインは、初めて見ました。
 テレビのテストパターンみたい…。



 これも10吋。
 ハンク・ウィリアムスが亡くなり、彼にトリビュートした作品ばかりの寄せ集めです。よってミュージシャンは「バラバラ」。統一感などまるでなしですが、一つずつ聴くとなかなか面白く思いました。
 中でも、チェット・アトキンスのギターが気に入りました。



 今回、ボクが最も素晴らしく思ったのがこれ、フランク永井さんの「フランク永井傑作集」!
 ボクは「演歌」とか「ド演歌」との括りに入る音楽が、全く「ダメ!」
 ところが、首の皮一枚で異なる「ムード歌謡」はピンポイント!

 ジャケットを見ただけで、買うと決めました。
 襟幅の狭い、ウールっぽいジャケット。
 細身のグリーンのネクタイ。
 極端ではない、切り揃えられたリーゼント。
 左手の親指と人差し指で摘まんだ、煙の出ていないシガレット。

 そして、限りなく肖像画に近いポートレート…。
 背後の「原色が散り嵌められた碁盤」!

 
 カビだらけでしたが、掃除をしてから再生しました。

 …「イイ」音で鳴りました。
 …「イイ」声が、部屋に満ちました。
 昭和11年生まれの母は、AB面全14曲を、ソラで歌いました(笑)


 「あんた、ウルサいのはいいから、もっとこういうのを買ってきてヨ!」

 だって(笑)!



 ちなみに、お店はこちらです。



 こんなモノまでありました!
 エンジンは掛かるけれど、動かないそうです。



 



Posted at 2020/02/02 16:24:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | レコード蒐集 | 音楽/映画/テレビ

プロフィール

「お知らせ http://cvw.jp/b/2970161/46422054/
何シテル?   09/28 15:34
 妻はアルコール依存と摂食障害を患い、主治医の勧めで調停離婚しました。その1年後、彼女は突然世を去りました。一年に2回の母親との別れを経験した一人息子と、ドライ...
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