• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ArtBlakeyのブログ一覧

2021年02月28日 イイね!

ジネッタ G4

ジネッタ G4 今日2月28日、日曜日。
 教習所に通い始めてから、休日に以外の場所へ行けなくなりました。
 幸い今日は、教習はなし。
 すっかり足腰の弱った母に代わり、午前に掃除と洗濯を行い、昼前に奥多摩へ向かいました。
 大麦代の駐車場に、こんなクルマが停まっていました。
 ボクは初めて見ました。オーナーさんにお訊きすると、ジネッタのG4と教えて戴きました。

※以下、ウィキペディアより転載。

ジネッタ・G4R
1961年に登場。ボディはFRP製のコンバーチブルスタイルで、デザインはコークボトルラインを持つ曲線的なフォルムとなった。

サスペンションはフロントがダブルウィッシュボーン式、リアがトレーリングアーム式という組み合わせ。シャシは鋼管スペースフレームである。エンジンはイギリス・フォードの大衆車「アングリア」から流用した1L 直列4気筒OHVが標準で搭載され、それまでの同社製モデルと同様にFR方式で駆動した。トランスミッションは4速MT。

スペックこそ最高出力40hp/最大トルク7.1kgmと控えめな数値だったが、車重が445kgと極めて軽量であったため、最高速度169km/h、0-400m加速18.9sという高いパフォーマンスを発揮した。

1963年にマイナーチェンジを受け、シリーズ2に移行した。フレームやサスペンションの改良、フロントのディスクブレーキ化などが行われると同時に、ボディスタイルにハードトップを持つクーペが追加された。

1966年には再度マイナーチェンジを受け、シリーズ3へ移行。1.5Lエンジンが追加され、リトラクタブルヘッドライト仕様が追加された。

1969年までに500台以上が生産され、ジネッタで最も売れたモデルとなった。生産終了後も人気は衰えず、1981年にボディサイズを一回り拡大したシリーズ4として復活している(次項で解説)。

G4 シリーズ4

ジネッタ・G4 シリーズ4
1981年、好評を博したG4がシャーシを一新しシリーズ4として復活した。エンジンはフォード製の1.6L 直列4気筒を搭載していた。1984年までに35台が製造された。



 とっても小さく、最初の印象は「カワイイ」!



 ボンネットは、左右のバネ付のヒンジで固定されます。





 英国車ですが、エンジンはフォード。
 キャブ仕様です。



 簡素な室内は、機能美溢れるデザインです。



 ウィンドは固定。
 丸窓をスライドさせて外気を取り入れます。



 シリアル・プレートが誇らしげ。
 「イングランド」との表記。
 「グレイト・ブリテン」ではなく、あくまでも「イングランド製」との矜持でしょうか。
 


 リアからのフォルムも流麗です。

 ボクには知識がなく、これ以上解説は出来ませんが、写真で楽しんで戴けたら幸いです。



  
Posted at 2021/02/28 17:46:14 | コメント(2) | トラックバック(0) | その他クルマ・バイク | クルマ
2021年02月28日 イイね!

旧入間川橋梁(埼玉県入間市)

旧入間川橋梁(埼玉県入間市) 昨日27日土曜日。
 午前中に大型一種教習の8連敗が決定、何だか無力感にさいなまれました。
 こういう時、ボクはどういう訳か、水面を見たくなります。それも軽井沢の塩沢湖や八風湖のようなこじんまりとした湖や、さほど川幅の広くない川。
 近場で何処かないかと考えた結果、こちらに向かいました。

 

 西武池袋線の仏子(仏子)と元加治の間に、既に使われなくなって久しい鉄橋が、今も入間川を跨いでいます。大正4年に西武鉄道の前身、武蔵野鉄道が建造したもの。昭和44年に直ぐ横に複線の新しい鉄橋が完成したため、廃止されました。



 仏子側の川岸は、遊歩道になっています。



 仏子側から元加治側を臨みます。
 橋脚の上流側には、石積みの水切りが。増水時に橋脚への負荷を減らすことが目的です。



 こちらは元加治側。スレスレの高さで市道が潜ります。ちなみにロードスターでは余裕でした(笑)。



 元加治側の橋台です。
 美しい煉瓦は、お手本のようなイギリス積み。強度に優れます。同じ鉄道建造物でも、碓氷峠ではフランス積みが採用されました。



 線路は撤去されていますが、こうして当時の姿を遺してくれていることに、素直に有り難く思いました。
 それにしても、昔のものって、どうしてこんなに美しいのかなぁ…。





 鴨クンたちが、コケティッシュに「ガアガア」鳴いていました。呑気で無邪気な声に、ささくれていた気持ちが少し和み、笑みがこぼれました。
 
 そうだよナー、ボクも「ガアガア」してみればいいんだよナー。
 
 誰もいないと思って川面に向かって大きな声で「ガアガア!」と叫びました。その途端、女性の素っ頓狂な笑い声が聞こえました。橋の上で女子高生とおぼしき二人組が、ボクを見下ろして笑いころげていました。
 
 …ちょっと恥ずかしかったけれど、胸のつかえが取れました。



 このあたりの入間川は透明度が高く、こんな魚影が見えました。
 この大きさ、おそらく鯉だと思います。



 橋梁の袂では、大きな梅の木に一面の花が咲いていました。
 もうすぐ春。
 ボクにも「春」は、来るのかなぁ…。

旧入間川橋梁

埼玉県入間市仏子





Posted at 2021/02/28 17:18:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 廃の美学 | 日記
2021年02月23日 イイね!

旧田中家住宅(埼玉県川口市)

旧田中家住宅(埼玉県川口市) このところ、大型一種免許取得のため教習所に通い始めたこと、バッテリーの昇天・パワステポンプからのオイル漏れでロードスターに手間と時間を費やされ、休日の活動が滞っております。ほぼ週末にしか更新が出来ないため、ネタは一杯溜まっておりますので、今日はその中からこちら、埼玉県川口市の『旧田中家住宅』をご紹介します。訪れたのは昨年7月5日。東池袋大勝軒を堪能した後、昔の都電32番に乗り王子で東京メトロ南北線・埼玉高速鉄道に乗り継ぎ、川口元郷で下車しました。

■旧田中家住宅とは…?

1.概要

田中家は川口の旧家で、当主は代々徳兵衛を名乗った。江戸時代末期の初代徳兵衛は農業を営んだが、2代徳兵衛の時代、1871年(明治4年)からは麦味噌醸造と材木商を営んで繁栄した。現存する住宅は4代徳兵衛(1875 - 1947年)が建てたものである。同人は家業のほか、埼玉県議会議員や貴族院議員も務めた。洋館は1921年(大正10年)上棟、1923年竣工。設計監督は櫻井忍夫である。洋館の裏手に建つ和館は1934年(昭和9年)上棟。設計監督は府場陽二である。洋館の北側に建つ文庫蔵(旧仕込倉)は明治末年頃の建立である。

洋館、和館、文庫蔵(旧仕込倉)、煉瓦塀2基の3棟2基が2006年(平成18年)に国の登録有形文化財になった後、2018年(平成30年)12月25日には国の重要文化財に指定された。敷地内には上記建物のほか、茶室と池泉回遊式の日本庭園があり、川口市立文化財センター分館として一般公開されている。

この住宅は、地元の名士の住居として、接客空間が充実しているのが特色である。洋館は関東大震災以前に上棟した煉瓦造3階建ての住宅建築として貴重な存在である。

2.建造物

洋館は日光御成道に面して建つ、煉瓦造3階建ての建物。西を正面とし、北から蔵部、主体部、台所部の3つに分かれている。建築面積は蔵部16.73平方メートル、主体部93.41平方メートル、台所部64.43平方メートル、計174.57平方メートルである。主体部の一部が西側へ張り出して、ファサード(正面外観)に変化を与えている。外観は化粧煉瓦積みで、建物の角にあたる部分には柱形を造り出し、人造石洗い出しによる窓枠を1階から3階まで通して、縦方向の線を強調している。屋上は西側突出部の正面にはペディメント(破風)を設け、他は欄干風のパラペット(胸壁)を設け、これらを銅板張りとする。柱形の上部には銅板のメダイヨン(円形装飾)を設ける。1階には玄関、家人用の食堂、台所があり、西側突出部は洋間の応接室とする。2階には座敷、次の間があり、西側突出部は洋間の書斎とする。3階には洋間の大広間があり、西側突出部は洋間の「控えの間」とする。1階の玄関は天井が和式の格天井で、神棚を設けるなど、古い商家の帳場のような構えとする。以上のように、この建物は、3階の大広間などに西洋古典式の内装をほどこす一方で、和風の空間も混在している。

和館は木造一部2階建てで、寄棟造、桟瓦葺き。建築面積は160.05平方メートル。洋館の裏手(東)に接続する東西棟の建物である。1階は西から東へ仏間(10畳)、次の間(12畳半)、座敷(15畳)が並ぶ。間仕切りの襖を取り払うと、37畳半の広大な空間になる。仏間の上に2階を設け、8畳の和室と次の間(4畳半)がある。

文庫蔵(旧仕込倉)は木造平屋建て、切妻造、桟瓦葺き。建築面積は99.15平方メートル。この蔵は、洋館より先に建っていたことが古写真から明らかで、明治末年頃の建立である。

(※以上、ウィキペディアより)

■本題

 要はこの地で味噌の醸造業で財を成した四代目田中徳兵衛氏が建てた和洋折衷の大邸宅。川口は鋳物の街というイメージがありますが、嘗ては多くの味噌醸造所があり、荒川の水運を利用して東京へ出荷していたそうです。
 しかし産業構造の変化とともに次第に衰退、昭和50年(1975年)頃には、ほぼ姿を消しました。そんな川口の過去を伝える証人として、この住宅は今も街道沿いに立ち竦んでいます。



 三階建ての尖塔上の外観は、川口元郷から少し歩くと、遠くからでも目立ちます。何とも時代的なファザードが特徴。



 玄関は、重厚な4枚の引き戸。この造りは商家そのものです。



 銅に曇り硝子を嵌めたような外灯。
 何とも重厚な意匠です。



 表札がそのまま遺されていました。
 大時代的な書体ですが、この館の佇まいに合います。





 玄関を入ると帳場。
 ここで番頭さんが算盤と帳面を手に商談していたのでしょう。
 何だか、時代劇のシーンで見るような造作。



 きっと、こんな風だったのでしょう。



 商家らしく、重厚な神棚があります。





 帳場の左奥は応接室。
 帳場では済ませられないような、大口の商談にでも使われたと想像しました。



 渋いドアノブです。
 擦りキズが最盛期を思い起させてくれます。



 こんな鏡つきのハンガーがありました。
 現代に通用するデザインです。



 美しいヨーロピアン調のステンドグラス!
 凝りに凝った邸宅です。



 こちらは木彫りのレリーフ。
 花と花瓶をあしらったものですが、どこか華麗でいて華奢な作品です。



 さて、二階へ上がります。
 こちらは、ご当主の書斎として造られたのだそうです。
 


 先は畳の廊下。説明にあるように数寄屋風の書院造りの和室に繋がります。 



 一年中「端午の節句」デス!(笑)





 こちらは『客間』。
 写真の説明を読みましたが、和風建築の知識に乏しく理解出来ませんでした。



 こちらには、金屏風に刀剣が。
 財を築き上げた証しです。





 室内にガラスが多用されていました。
 が、当時のものは平らではなく、外が歪んで見えるのだとか。
 今に遺されていることに感動しました。



 次は三階です。





 迎賓目的の大広間です。
 まるで鹿鳴館!明治から大正の時代、庶民はまだまだ赤貧を洗っていた時代。当時の資産家との差は、現代と比べ遥かに大きかった証左と思いました。





 調度品も素晴らしいものばかり…。



 こんな風にパーテイーが催されていたのでしょうね。
 ご婦人が和服姿の正装なのが印象的です。



 さて、一階へ戻ります。
 帳場裏の狭いスペースには、重厚なデスクが。



 横には壁に埋め込み式の金庫があります。
 この当時、クレジットカードやネット決済などなく、現金か掛け売りのみ。帳簿と現金のチェックを、毎日この机で行っていたことでしょう。



 ところでこれ、何だと思いますか?。



 正解は「防火扉」!
 写真の手前側は平屋の和館。広い和室が縦に三部屋連なり、さらに奥は台所。火が出た場合、本棟への延焼を防ぐ目的で設置されたとか。一枚上の写真は、扉をおろすための「装置」。収納されたベルト状の布を、ひたすら引っ張るのだそうです。



 こちらは縦に三部屋連なる和室で、最も手前、『座敷』。次の真ん中は『次の間』、最奥が『仏間』です。



 ここが『仏間』。
 一族の祝言など、重要な行事に使用されたそうで、最も格調高い和室です。



 それを裏付けるものがありました。
 『次の間』との境の鴨居です。
 天井をご覧ください。
 『仏間』の方が高いことがわかります。



 欄間には華麗な彫刻が施されています。



 尾籠な場所ですが、こちらでは『袴脱ぎ』と呼びます。
 袴の和装の方が用を足す場合を考慮、手前に広い空間を確保した設計です。



 和館の最も奥は台所。
 説明左後ろの階段は、使用人が起居するスペースに繋がっているそうです。



 既に竈などは撤去されていますが、長年の煮炊きで壁は黒く染まっています。



 そのすぐ上が使用人の部屋。
 …壁が真っ黒になる竈の真上、劣悪極まる居住環境に違いありません。
 須坂市の小田切家も同様の造りだったことを思い出しました。



 庭の池には、溢れんばかりの鯉が!
 何年か前に水を抜き清掃した時、数えたら180匹を越えていたとか。

■ボクの感想

 土地柄もあるのでしょうが、須坂の小田切家は洗練された『お洒落な』屋敷と感じました。ですが、こちらは『資本主義の最頂点』を極めた方の邸宅という印象。勿論、非の打ちどころのない素晴らしい建築ですが、どこか『毒々しさ』が漂っていると、個人的に思いました。今までご紹介しなかったのは、そんな理由からです。

 ご機会があれば、訪れて確認されてみて下さい。



旧田中家住宅

埼玉県川口市末広1-7-2
048-222-1061 川口文化センター

月・年末年始休館




 
Posted at 2021/02/23 12:40:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旧き良き建築 | 旅行/地域
2021年02月14日 イイね!

ドナドナ…その顛末

ドナドナ…その顛末 昨日、別の記事でご紹介しましたが、大型1種の初日でした。
 11日に長野を往復、500キロを走破して自宅100メートル手前で、ステアリングが重くなりました。見るとオイルがダダ漏れ!直ぐにロードスターは融雪剤まみれの姿で、アール・エス・アイザワさんへドナドナとなりました。
 12日には代車のレンタカー、アクアが到着。昨日の教習はこれで向かいました。

 教習中にアイザワさんから留守電が入っていました。
 「できたヨー!」と、いつもの社長の明るい声!
 そのまま大宮駅近くのレンタカーショップに向かい返却、湘南新宿ラインに乗りました。ところが車内で、小田急線が信号機故障でダイヤが大幅に乱れていると知りました。



 そのまま横浜まで出て、相鉄に乗り継ぎました。



 運よく次の発車は「特急」。
 さがみ野駅まで、社長が迎えに来て下さいました。



 到着すると、我がロードスターが待っていました。
 いつも面倒を看て下さるKさんが出て来ました。

「いやー、ポンプがご愁傷様デシタ!交換作業は大したことはありませんでしたが、下回りがオイルと塩カルまみれで、そっちの掃除に難儀しました!」

 いつも丁寧にやって戴き、感謝の極み。丁重にお礼を申し上げました。





 犯人です。
 外は何ともなさげですが、中は「グシャグシャ!」だとか…。

 社長から伺いました。
 2年前の2月の記事で、オイルポンプをリビルド品に交換した旨をご紹介しましたが、今回壊れたのはそれ。2年の保証がありましたが、タッチの差で切れていたそうです。それでも社長は先方と掛け合ってくれましたが、「部品がない」とのこと。マツダから新品を取ると、2年前は6万円だったものが、現在は8万円!あまりにも高いので、中古をつけたとのことでした。
 納得…。

 今回の経験から。
 
 前回2年前の交換時の走行距離は14万ちょっと。
 今回は17万8千キロ、2年間で4万キロ近く乗っています。
 
 ここをご覧の方で、相応に走っていてこの部品を交換したことがない方は、そろそろ対策することをお薦めします。今回のボクの場合、500キロを走り自宅まであと100メートルの地点で「勃発」したのは不幸中の幸い。遠い高速上で「勃発」していたら、メチャクチャ大変な事態になったはずです。
 
 そうならないように、「備えあれば憂いなし」の状態にされて下さい…。

※今日の「おまけ」!



 ジツは昨日、60歳になって初めて、相鉄線に乗りました。
 最近では、新宿まで乗り入れて話題になりました。
 何ともお洒落な深いブルー、大変にシックです。阪急電鉄のマルーンを彷彿させられました。



 車内も淡い色合い。
 大手私鉄では路線距離は短い方ですが、何とも都会的。
 ボクの地元の西武鉄道にも、こんな車両があればなぁー、と思いました。



 



Posted at 2021/02/14 10:57:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | ロードスター | クルマ
2021年02月11日 イイね!

ドナドナ…

ドナドナ… 先週、ロードスターのバッテリーか上がってしまい、長野での治療を今日に順延しました。

 往路は上信、帰路は中央で500キロを走り、あと家まで100メートルのところで、「ガクン!」、ステアリングが重くなりました。



 バスタオルでも巻き込んだのかと思い足回りを見ると、オイルがダダ漏れ!



 急遽、植木鉢の皿をあてがいました。

 アール・エス・アイザワに電話、携帯で指示を受けながらボンネットを開けました。どうやら、パワステのオイル系の何処かが昇天されたようでした。



 自走は到底不可能、融雪剤を洗う間すらなく、「ドナドナ…」となりました。



 長く乗っていますが、こんなトラブルは初。
 しかも、500キロ乗って最後の100メートルでの「勃発」でした。

 旧い車やバイクに乗っていると不可避ですが、毎回「イタイ」出費…。

Posted at 2021/02/11 18:50:50 | コメント(1) | トラックバック(0) | ロードスター | クルマ

プロフィール

「お知らせ http://cvw.jp/b/2970161/46422054/
何シテル?   09/28 15:34
 妻はアルコール依存と摂食障害を患い、主治医の勧めで調停離婚しました。その1年後、彼女は突然世を去りました。一年に2回の母親との別れを経験した一人息子と、ドライ...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2021/2 >>

 123456
78910 111213
14151617181920
2122 2324252627
28      

愛車一覧

マツダ ユーノスロードスター マツダ ユーノスロードスター
現在12万キロ、まだまだ現役です!
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation