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2024年08月29日 イイね!

「…もう、いいだろう?」

「…もう、いいだろう?」 昨日8月28日、水曜日。
 9月10日の次回失業認定日までに2回の活動実績が必要なため、ハローワークを訪れました。自宅で求人を探していたところ、70歳定年の総務事務職を発見したため、窓口で相談しました。この種の案件に多いのが、実際には年齢制限があったり、女性を対象とした求人。この点を問うと、窓口の女性の方が電話を入れてくれました。担当者は会議中とのことでしたが、63歳男性も応募可との返答。紹介状を発行して下さり、面接等の詳細については先方から連絡するように伝えます、との事。ところが昨日は連絡なし…。まあ、今のボクの立場では、待つこと以外ありません。

 最近、定年や早期を問わず退職された方の動画やブログを頻繁に見ます。

 圧倒的に多いのは「約40年も働いたのだから、もう気ままに暮らしたい」、「健康年齢を考えれば一度きりの人生を謳歌したい」、「もう、これ以上会社の言いなりは、まっぴら御免」といったもの。逆に再雇用や再就職をされた方のものは、なかなか見当たりません。まあ、退職後は時間に余裕が出来るので、この選択をされた方によるものが多いのは自明の理。しかし、還暦を過ぎた方で圧倒的な多数派は後者。やはり8割の方が就労中のようです。

 ボクの場合、早くに妻を亡くした男寡。
 何等かの形で社会と繋がりを持ち続けたいと考えており、その選択肢の一つとして働くことを考えています。この歳なので、正規、契約、派遣、パートにはこだわっていません。反面、正直な気持ち「もう、ゆっくりしてもいいではないか」と思う、もう一人の自分も存在します。この辺りの整合性が取れるようになるには相応の時間が必要であると、今はまさしくその時期にあると思っています。

 いずれにせよ、63歳8か月が、間もなく満了します。
 来月には、一般的なパターンでは、特別支給の年金受給に関する書類が届くこととなります。今はまだ失業者で1回目の失業給付、44,000円ちょっとを受け取ったに過ぎず、貯蓄取り崩し生活。有休の消化があり最後の6月給与はおよそ半額が支給されましたが、以降は無給の身。そんな中で、住民税と倍額となった任意継続健康保険代を支払ったこともあり、「恐怖感」と言うよりも「逃れようのない不安感」にさいなまれました。9月から失業手当は満額となり、年金書類も届くはず…。安堵感が得られれば、心理的にプラスに転じ、今後について建設的・有機的に考えられるようになるのかも知れません。

 経験者として実感しておりますが、自己都合退職の場合、約2ヶ月間の待期期間を経て、漸く失業手当が支給されます。それも初回は算定締日の関係で、大抵の場合、満額は支給されません。これは大きな心理的負荷となります。また、住民税は前年1年分の収入から算出された総額を翌年6月から12回分割で支払うため、この6月に自宅に一年分の請求書が届きました。ごく短期間ではあっても、任意継続も含め、入って来るものがなくなった中で、猶予できない高額の支出が発生すると、不安ばかりが喚起されます。これから退職される予定の方は、この事実を認識され、事前にしっかり対策をされておくことをお勧めします。

 どうやら「社畜」は卒業しましたが、「今後をどう生きるか」の方向性が定まっていないと自覚しております。ただ、何をするにしても、避けて通れないのは72歳とされる「健康寿命」。この世を去る時に、後悔をしたくはありません。

 ボクの親父は80歳と9カ月の生涯でした。

 大手製紙会社のエンジニアとして働き、当時55歳だった定年を過ぎても会社は退職について触れることはなく、現在のボクと同じ位まで研究所の所長として勤めました。退職後は腕を買われ、フリーランスの立場でカナダや中国、アメリカ等へ技術指導の請負をしていました。おそらく70を過ぎていたと思いますが、晩年はスッパリ辞め、母と穏やかに暮らしました。時には母を伴ってカナダや中国などの外国や、北海道や九州を訪れていました。そして80歳のゴールデンウィーク直前、間質性肺炎に罹患、入院から43日で、あっけなくこの世を去りました。

 医師から「完治は困難」と告げられた時。
 親父は母と妹を枕元へ呼び、一言、涙を滲ませて言いました。

「…もう、いいだろう?」

 親父らしい「ジ・エンド」でしたっけ…。



2024年08月27日 イイね!

これからの日々

これからの日々 退職からほぼ4カ月が経ち、現在63歳8か月。
 いつの間にか齢をとっていたことに、漸く気付きました。
 暫くは今後について、じっくり考えてみようと思います。
 少し思いつくままに書いてみます。

(1)資格試験のこと

 発表がありました。マークシート式の筆記は、あと「4問」正解で合格、論述・面接は、何とあと「1点」でした。11月の再受験も考えましたが、暫くは心のメンテナンスをするつもり。年齢による記憶力の減退もありますが、退職による喪失感や虚無感が原因の「覇気の減退」が大きく影響したと感じています。自分が今後、何処へ行こうとするべきかを整理する必要性を感じています。

(2)未知の土地訪問

 6社を渡り歩き40年もがむしゃらに働きいたため、「観光」の経験が殆どありません。
 京都や大阪、奈良など関西の観光地は、仕事で訪れただけ。冬の金閣や銀閣を眺めてみたいもの。大阪では新世界でお酒を飲んだり、阪堺電車に乗ったりしたいと考えています。
 仕事でも一度も訪れたことのない地もあります。その筆頭は長崎。出島を擁し近代日本の礎となった都市であり、同時に原爆投下で罪なき多数の市民が亡くなった歴史…。死ぬまでに必ず訪れると、函館で新島襄が密航で旅立った地を訪れた時に決めました。

(3)家のメンテナンス

 両親が遺した大量の家財の片づけは、およそ8割が終わりましたが、試験勉強のため中断していました。また、リビングルームのリフォームも未了。まずこれらを終えようと思います。同時に庭の片づけ。母は所謂「ガーデニング」の観念を持たずに様々な木々を植えたため、どうにもならない状態…。これを片付け、家庭菜園でもやろうかと思い始めています。

(4)バイクの復活

 ボクの愛車は、1969年型のカワサキW1S。これまた試験勉強に突入と同時に放置状態に。復活させ、久し振りに風を切る心地良さに身を任せてみようかと思います。かなり気持ちが変わるはず…。夢は北海道ツーリング!

(5)小説執筆

 もう20年近く放置しています。
 プロットの設定が甘く、執筆に行き詰ったのが原因。
 再チャレンジを考えています。

(6)体のメンテナンス

 ボクは頸椎ヘルニアがあり、首痛と肩こり、手足の痺れに悩まされています。今後を健やかに生きるためには、恐らく手術が避けられないように思います。会社員生活では入院は言い出しにくく、だましだましの毎日でしたので、かなり悪化してしまったように感じています。近々、整形外科に行くつもりです。


 ここまで書いただけでも、何だかワクワクして来ました。
 まだまだ「やりたいこと」はありますが、自分に合った働き方が見つかれば、無理なくチャレンジしたいとも思っています。

 まだまだ、人生を楽しみたいと思っています。


 
2024年08月26日 イイね!

ご褒美の日々

ご褒美の日々 相変わらず暑い日々が続いておりますが、皆様お元気でしょうか。
 ボクは無職生活になり、4か月が経とうとしております。この間、猛烈な喪失感に襲われたり、「居場所」の再構築ばかりを考えていた時期がありましたが、精神的にかなり安定した状態になりました。

 ボクは5回の転職で6社を経験、この間に「失業者」になったことはありませんでした。リストラも経験、当時心の病にあった元妻の医療費、息子の学費、住宅ローン等を抱え、「何が何でも働き続けなければならなかった」ことが、自分を鼓舞させたと思います。また、結果的にそれが就労観として根付いたのでした。振り返って見れば、実に苦しく、きつい40年間でした。

 漸く失業手当が支給となる段階ですが、現状を受け容れることが出来たように感じます。これには先日、会津を訪れたことが大きく影響したと感じています。

 目的は、およそ30年前に35歳で過労死した、学生時代の友人の仏壇詣ででした。仏壇を拝み、奥様から彼が遺した若き日々の写真を見せて戴きました。成人した忘れ形見の息子さん、娘さんの写真も。特に娘さんは彼に瓜二つ…。立派に成長した姿を見ることは叶わず、さぞかし無念だったに違いないと思うと、胸が詰まりました。

 そして帰路、線路を剥がされた旧国鉄日中線の終着駅、熱塩駅を訪れました。

 この日帰り旅で、人であれ物であれ、万物に必ず終焉が訪れることを、改めて認識させられました。彼は僅か35歳で逝去しましたが、ボクは間もなく64歳。この事だけでも、神様に感謝しなければいけないと思いました。

 再雇用から3年5か月での退職。今後、失業保険と特別支給の年金が、ほぼバトンタッチで支給される予定。現役時の給料と比べれば格段に下がりますが、有難いと感じています。

 最近、「何が何でも働かなければ」だった考え方が変わりつつあると認識しております。仏壇の前で拝みながら、彼は「やりたい事をやり残した」との後悔さえ抱けず、成人した子供たちの姿すら見ることが出来なかったことを噛み締めました。

 人は誰でも、自分が何歳まで生きるかを知る術はありません。また、幾つまで健康寿命を保てるかも。そう思うと、72歳とされる男性の健康寿命年齢までの8年間を、ただ働くだけで費やすことが正しいのだろうか、と自問自答しております。

 ボクの場合。
 多額の医療費が必要だった元妻は、既に亡くなりました。
 高校、大学と私立に進んだ一人息子は就職、この7月から九州へ転勤しました。
 両親は既になく、今後介護の苦労はなし。
 父の死後、独りになった母と同居のためマンションを売却、ローンもなし。
 その他の借金やローンもなし。

 足るを知ることを心掛け、質素倹約を心掛けながら、日々を楽しみながら暮らすことは可能なはず。そう考えると、何だか気が楽になりました。40年働いてのセカンドライフを楽しみながら生きていれば、少しずつやりたい事が見えて来る気がするようにもなりました。そしてこの転換期は、サラリーマンなら誰にでも必ず訪れること。ボクだけが例外ではありません。実際、向かいとその左隣、右隣りのご主人は皆、とっくの昔に退職し、悠々自適の日々を送っています。

 艱難辛苦の40年間でしたが、神様は「少し休みなさい」と言ってくれているのかも知れません。少しお金は掛かりますが、未訪問の地を訪れてみたいとも考えています。それに、再開したいのがレザークラフト。暫く中断の間に視力がかなり衰えましたが、丁寧な作業を心掛ければハンディを埋められると思います。ゆくゆくは「趣味と実益を兼ねる」ようになるといいなぁ、なんて考えています。

 これから退職を迎える方へ。

 嫌でも必ず、向こうからやって来ます。
 今から不安に感じていらっしゃる方は、決して少なくないはず。
 かく申すボクが最たるもので、当初は毎日、虚無感に襲われていました。
 でも、恐れることはありません。全て時間が解決してくれます。

 そして、
 誰にでも何時か必ず、この世に別れを告げる時が来ます。
 健康に暮らせる残された日々を、笑顔で過ごすことこそが大切。

 そう。
 セカンドライフは、今まで頑張って働いたからこその「ご褒美の日々」!!


2024年08月20日 イイね!

桂山 (山梨県上野原市)

桂山 (山梨県上野原市) 昨日8月19日、月曜日。
 10時過ぎ。
 このところの暑さで食欲が減退。退職以降、家に籠り勉強の結果、すっかり食が細くなり、体力面で不安を感じるようになりました。これではいけない、お昼には好物を食べようと決め、家を出ました。目指したのは檜原村の「たちばな家」さん。上品でスッキリとした味わいのラーメンが目的。ところが着いてみれば、平日にもかわらず、駐車場は満杯…。さて、どうしたものかと考えたら、未訪問のあるお店が浮かびました。
 檜原村から33号線で上野原市を目指しました。



 山梨県での人気ラーメン店「桂山」さん。
 到着は12時30分頃。4人が店の外で待っていました。



 お店はこんなロケーション!
 まるっきりの住宅街!!。
 そこを貫く細い道沿いに、オレンジ色の看板が出ています。

 こちらのお店は、所謂「小田原系」とされるラーメンが特徴。

 およそ30年前のこと。
 伊豆へのツーリングの帰路に、伊東市を過ぎた辺鄙な処にあるラーメン屋さんに立ち寄りました。60代くらいの女性が、独りで切り盛りしていました。正直、あまり期待していなかったのですが、出て来たラーメンに、もう「ビックリ」!でした。
 真っ黒く脂っ濃いスープに、モチモチ、ピロピロの太い縮れ麺!チャーシューは充分煮込んだバラ肉で「トロットロ」!当時まだ30代。味が濃く脂っ濃いものが好物でした。「こんなに旨いラーメンがあるとは!」と、えらく感動。その後も伊豆を訪れる度に立ち寄りました。

 お店の名前は「味の大西 伊豆店」。

 自分のパソコンを初めて購入した直後、ネットで「味の大西」について調べました。何でも「小田原系」と称されるラーメンを提供するお店で、神奈川県小田原市と周辺で数店舗を展開していると知りました。

 小田原系とされるラーメンの特徴は、上記の他、甘辛く煮込まれた色の濃いメンマ、モヤシが載ること、オプションでワンタンが選べる等々。複数のお店が存在し、中でも「味の大西」は代表格。ただ経営と技術の伝承を「一族」に限り修行も受け容れておらず、結果的に徐々にお店が減少しています。ボクが訪れた「伊豆店」も、今ではなくなってしまいました。

 こちらの「桂山」さんは、名店とされた「むらた」さんで修行の後、秦野市で開店、2004年頃に実家のある上野原市に移転されたそう。本家の「むらた」さんは既に閉店…。「小田原系」自体が絶滅危惧種にある今、DNAを引き継ぐお店が、小田原から遠く離れた山梨県に健在なのは、何とも嬉しくなります。

 という訳で、12時55分に入店、「チャーシュー麺」をお願いしました。
 お店はカウンターのみの7席。ほぼ総入替制で一度に7人分を作るためか、提供に時間が掛かります。出て来たのは13時20分でした。



 ラーメンの写真は、この一枚だけ。写真撮影はNGとの掲示がありますが、お願いをすれば1枚だけ許して貰えます。ほぼ上記の説明通りの写真ですが、嘗て味わった「味の大西 伊豆店」よりはスープは淡麗で、チャーシューはミッチリとしたもも肉である点が異なります。麺量が多く、ボクはすっかり満腹になってしまいました。

 難点はなかなか行きにくい立地、提供に時間が掛かることの他に、店内がクーラーが入っていても矢鱈と暑いこと。食べ終えた時には、もう汗ビッショリ!おまけに冷水器の水は、電源が切れているのではと思うほどヌルかったことがあります。

 駐車場は店裏に5台分あります。
 平日にもかかわらず、ナンバーは「松戸」「富士山」「相模」「品川」、それにボクの「所沢」。地元の「山梨」はありませんでした。

 上野原で小田原を味わうのは、何とも「非・日常的」体験でした。
 お店のロケーションも含め、滅多に体験出来ないひと時を満喫しました。

 今度は、秋に訪れてみようかと思いました。

桂山

山梨県上野原市上野原2177-2

11:00-14:15  木・金休

 
 
Posted at 2024/08/20 16:55:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | ラーメン | グルメ/料理
2024年08月14日 イイね!

失業認定日 2回目

失業認定日 2回目 昨日8月13日、金曜日。
 漸く2回目の失業認定日となり、所沢のハローワークへ出掛けました。

 相変わらず、沢山の求職者が訪れていました。それこそ男女を問わず、20代から70代まで。世の中では「人手不足」が叫ばれ、社会的に問題になっていますが、この実態はどういうことなのだろうと、首を傾げてしまいました。特に、ボクのような還暦過ぎの求職者は、事実上「応募資格」すらないと言っても過言ではありません。政府は年金支給開始年齢を引き上げ、65歳までの雇用義務を企業に課しましたが、実態は60歳の定年維持で再雇用65歳まで。それ以外の高齢者の雇用促進政策は皆無に等しく、「人手不足」とされるこの国で「働き口」のない求職者が溢れています。

今回のオリンピックを巡っては、IOCのお偉いさんに「お前がセーヌ川で泳いでみろ!」との声が上がりましたが、ボクは個人的に還暦過ぎの政治家に「一度、ハローワークに行ってみろ!」と言いたい心境です。

 さて、今月からやっと失業手当が出ますが、何と金額は4万円ちょっと…。何だか情けなくなりました…。

プロフィール

「お知らせ http://cvw.jp/b/2970161/46422054/
何シテル?   09/28 15:34
 妻はアルコール依存と摂食障害を患い、主治医の勧めで調停離婚しました。その1年後、彼女は突然世を去りました。一年に2回の母親との別れを経験した一人息子と、ドライ...
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