
相変わらず暑い日々が続いておりますが、皆様お元気でしょうか。
ボクは無職生活になり、4か月が経とうとしております。この間、猛烈な喪失感に襲われたり、「居場所」の再構築ばかりを考えていた時期がありましたが、精神的にかなり安定した状態になりました。
ボクは5回の転職で6社を経験、この間に「失業者」になったことはありませんでした。リストラも経験、当時心の病にあった元妻の医療費、息子の学費、住宅ローン等を抱え、「何が何でも働き続けなければならなかった」ことが、自分を鼓舞させたと思います。また、結果的にそれが就労観として根付いたのでした。振り返って見れば、実に苦しく、きつい40年間でした。
漸く失業手当が支給となる段階ですが、現状を受け容れることが出来たように感じます。これには先日、会津を訪れたことが大きく影響したと感じています。
目的は、およそ30年前に35歳で過労死した、学生時代の友人の仏壇詣ででした。仏壇を拝み、奥様から彼が遺した若き日々の写真を見せて戴きました。成人した忘れ形見の息子さん、娘さんの写真も。特に娘さんは彼に瓜二つ…。立派に成長した姿を見ることは叶わず、さぞかし無念だったに違いないと思うと、胸が詰まりました。
そして帰路、線路を剥がされた旧国鉄日中線の終着駅、熱塩駅を訪れました。
この日帰り旅で、人であれ物であれ、万物に必ず終焉が訪れることを、改めて認識させられました。彼は僅か35歳で逝去しましたが、ボクは間もなく64歳。この事だけでも、神様に感謝しなければいけないと思いました。
再雇用から3年5か月での退職。今後、失業保険と特別支給の年金が、ほぼバトンタッチで支給される予定。現役時の給料と比べれば格段に下がりますが、有難いと感じています。
最近、「何が何でも働かなければ」だった考え方が変わりつつあると認識しております。仏壇の前で拝みながら、彼は「やりたい事をやり残した」との後悔さえ抱けず、成人した子供たちの姿すら見ることが出来なかったことを噛み締めました。
人は誰でも、自分が何歳まで生きるかを知る術はありません。また、幾つまで健康寿命を保てるかも。そう思うと、72歳とされる男性の健康寿命年齢までの8年間を、ただ働くだけで費やすことが正しいのだろうか、と自問自答しております。
ボクの場合。
多額の医療費が必要だった元妻は、既に亡くなりました。
高校、大学と私立に進んだ一人息子は就職、この7月から九州へ転勤しました。
両親は既になく、今後介護の苦労はなし。
父の死後、独りになった母と同居のためマンションを売却、ローンもなし。
その他の借金やローンもなし。
足るを知ることを心掛け、質素倹約を心掛けながら、日々を楽しみながら暮らすことは可能なはず。そう考えると、何だか気が楽になりました。40年働いてのセカンドライフを楽しみながら生きていれば、少しずつやりたい事が見えて来る気がするようにもなりました。そしてこの転換期は、サラリーマンなら誰にでも必ず訪れること。ボクだけが例外ではありません。実際、向かいとその左隣、右隣りのご主人は皆、とっくの昔に退職し、悠々自適の日々を送っています。
艱難辛苦の40年間でしたが、神様は「少し休みなさい」と言ってくれているのかも知れません。少しお金は掛かりますが、未訪問の地を訪れてみたいとも考えています。それに、再開したいのがレザークラフト。暫く中断の間に視力がかなり衰えましたが、丁寧な作業を心掛ければハンディを埋められると思います。ゆくゆくは「趣味と実益を兼ねる」ようになるといいなぁ、なんて考えています。
これから退職を迎える方へ。
嫌でも必ず、向こうからやって来ます。
今から不安に感じていらっしゃる方は、決して少なくないはず。
かく申すボクが最たるもので、当初は毎日、虚無感に襲われていました。
でも、恐れることはありません。全て時間が解決してくれます。
そして、
誰にでも何時か必ず、この世に別れを告げる時が来ます。
健康に暮らせる残された日々を、笑顔で過ごすことこそが大切。
そう。
セカンドライフは、今まで頑張って働いたからこその「ご褒美の日々」!!
Posted at 2024/08/26 10:30:34 | |
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定年・再雇用、その先の人生 | 日記