
去る6月29日、日曜日。
ボクのロードスターは、またもや「トホホ…」の事態に。アール・エス・アイザワに泣く泣く電話を入れると、修理に必要な部品の到着は、最短で7月9日との返答。翌10日の木曜日が公休だったため、いそいそと向かいました。
朝一番に訪れましたが、修理にはかなり時間が掛かるとのこと。社長の車を借りて、外出しました。
向かったのはこちら、小田急線の海老名駅前にある「ロマンスカーミュージアム」。
小田急電鉄といえば、カラフルな衣装を纏った「ロマンスカー」が代名詞の存在。子供の頃、母に手を引かれて新宿駅で山手線を降りる度、ガラス越しに小田急新宿駅に停車中のロマンスカーが見えると、胸がときめいたものでした。同じような経験をされた方は、決して珍しくはないように思います。此処にはそんな数々の車両が展示されています。
ロビーの自販機で入場券900円を買い、向かいます。
玄関は2階。1階の展示スペースへ向かいます。
まず迎えてくれたのがこちら、モハ1型電車。ボクが生まれた1960年に引退した車両で、素晴らしきオールド・タイマー!
この運転台の造形美に、すっかり魅せられてしまいました。
木製車体の色と質感!
真鍮製の大きな手動ブレーキ・ハンドル!
小さな丸い木製の椅子!
客席と隔てるパイプ柵!
それらが一体となり、見事に融合した意匠になっています。
暫くの間、その場に佇んで味わいました。
さて、本題。
ロマンスカーの展示に入ります。
うおー、これはスゴイ!
ひとつだけでも存在感溢れるロマンスカーが3つも並びます!
最も左にあるのはSE車。初代ロマンスカーとして知られています。それまでの日本の私鉄特急の概念を、全く塗り替えた車両。先頭形状は風洞実験のデータを基に設計されました。国鉄に貸し出され、当時の狭軌のスピードで世界記録を打ち立てたことで知られています。
その車内。
窓のピッチは狭く、1席に1枚。何処か旅客機を思わせます。
晩年は新型車の台頭もあり、国鉄御殿場線への乗り入れ急行「あさぎり」として使用されましたが、小田急線内ではほぼ「特急」同様の扱いでした。
中央の「さがみ」はNSE。ボクと同世代の方は、ロマンスカーと言えばこの車両を思い出される方が多いと思います。最大の特徴は、2階の運転席。この構造の先駆者は名鉄7000系に譲りましたが、首都圏では長く同様の車両は造られませんでした。小田原本線・江ノ島線で活躍、云わば「小田急電鉄の顔」!
乗降扉は自動ではなく、手動の内開き。連接台車でカーブ通過を容易にするためか車高は低く、扉も準じています。
その車内。
窓は2席に1枚となり、開放感が溢れます。
運転席には客席から梯子を使い乗降します。
最も右はLSE。車齢が経ったNSEの後継として製造されました。NSEと比べ、直線的なデザイン。
奥へ進むとHiSEがありました。
それまでのオレンジ色から赤に変更されました。
展望席から運転台の鋭角ラインは一体化、よりスピード感溢れるものになりました。
その展望席から。
更新改造後のSEが「あさぎり」の愛称版を掲げているのが見えます。
ラストはこちら、RSE。
それまで「あさぎり」の国鉄乗り入れは小田急の車両だけによる片務的な運用形態で、御殿場線内も小田急の乗務員が当たっていました。この車両の登場と同時に国鉄も専用車両を製造、相互乗り入れとなり、運転区間は御殿場から先の沼津までとなりました。
この車両は、たった1編成しか製造されませんでした。
運転席は低い位置。トンネルが多い御殿場線の車両限界が、2階を見送った原因なのでしょうか?
国鉄との相互乗り入れ運転からか、グリーン車がありました。
2階席は1+2の3列。座席のモケットに高級感があります。
1階は4人掛けのコンパートメント。
車窓越しに家族で富士山を眺めたら、とっても楽しそう!
歴代のロマンスカーに触れあうことができ、楽しいひとときでした。
一つだけ注文を加えるなら「白いロマンスカー」、VSEを加えて欲しく思いました。
男の子をお持ちのパパ、ママにはお薦めの場所です。
ロマンスカーミュージアム
神奈川県海老名市めぐみ町1-3
046-233-0909
10:00-17:00 火休
Posted at 2025/07/19 12:38:17 | |
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