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2025年07月19日 イイね!

ロマンスカーミュージアム (神奈川県海老名市)

ロマンスカーミュージアム (神奈川県海老名市) 去る6月29日、日曜日。
 ボクのロードスターは、またもや「トホホ…」の事態に。アール・エス・アイザワに泣く泣く電話を入れると、修理に必要な部品の到着は、最短で7月9日との返答。翌10日の木曜日が公休だったため、いそいそと向かいました。
 朝一番に訪れましたが、修理にはかなり時間が掛かるとのこと。社長の車を借りて、外出しました。
 向かったのはこちら、小田急線の海老名駅前にある「ロマンスカーミュージアム」。

 小田急電鉄といえば、カラフルな衣装を纏った「ロマンスカー」が代名詞の存在。子供の頃、母に手を引かれて新宿駅で山手線を降りる度、ガラス越しに小田急新宿駅に停車中のロマンスカーが見えると、胸がときめいたものでした。同じような経験をされた方は、決して珍しくはないように思います。此処にはそんな数々の車両が展示されています。



 ロビーの自販機で入場券900円を買い、向かいます。



 玄関は2階。1階の展示スペースへ向かいます。





 まず迎えてくれたのがこちら、モハ1型電車。ボクが生まれた1960年に引退した車両で、素晴らしきオールド・タイマー!



 この運転台の造形美に、すっかり魅せられてしまいました。
 木製車体の色と質感!
 真鍮製の大きな手動ブレーキ・ハンドル!
 小さな丸い木製の椅子!
 客席と隔てるパイプ柵!
 それらが一体となり、見事に融合した意匠になっています。
 暫くの間、その場に佇んで味わいました。



 さて、本題。
 ロマンスカーの展示に入ります。



 うおー、これはスゴイ!
 ひとつだけでも存在感溢れるロマンスカーが3つも並びます!





 最も左にあるのはSE車。初代ロマンスカーとして知られています。それまでの日本の私鉄特急の概念を、全く塗り替えた車両。先頭形状は風洞実験のデータを基に設計されました。国鉄に貸し出され、当時の狭軌のスピードで世界記録を打ち立てたことで知られています。



 その車内。
 窓のピッチは狭く、1席に1枚。何処か旅客機を思わせます。





 晩年は新型車の台頭もあり、国鉄御殿場線への乗り入れ急行「あさぎり」として使用されましたが、小田急線内ではほぼ「特急」同様の扱いでした。





 中央の「さがみ」はNSE。ボクと同世代の方は、ロマンスカーと言えばこの車両を思い出される方が多いと思います。最大の特徴は、2階の運転席。この構造の先駆者は名鉄7000系に譲りましたが、首都圏では長く同様の車両は造られませんでした。小田原本線・江ノ島線で活躍、云わば「小田急電鉄の顔」!



 乗降扉は自動ではなく、手動の内開き。連接台車でカーブ通過を容易にするためか車高は低く、扉も準じています。



 その車内。
 窓は2席に1枚となり、開放感が溢れます。



 運転席には客席から梯子を使い乗降します。





 最も右はLSE。車齢が経ったNSEの後継として製造されました。NSEと比べ、直線的なデザイン。



 奥へ進むとHiSEがありました。
 それまでのオレンジ色から赤に変更されました。
 展望席から運転台の鋭角ラインは一体化、よりスピード感溢れるものになりました。



 その展望席から。
 更新改造後のSEが「あさぎり」の愛称版を掲げているのが見えます。



 ラストはこちら、RSE。
 それまで「あさぎり」の国鉄乗り入れは小田急の車両だけによる片務的な運用形態で、御殿場線内も小田急の乗務員が当たっていました。この車両の登場と同時に国鉄も専用車両を製造、相互乗り入れとなり、運転区間は御殿場から先の沼津までとなりました。
 この車両は、たった1編成しか製造されませんでした。



 運転席は低い位置。トンネルが多い御殿場線の車両限界が、2階を見送った原因なのでしょうか?



 国鉄との相互乗り入れ運転からか、グリーン車がありました。



 2階席は1+2の3列。座席のモケットに高級感があります。



 1階は4人掛けのコンパートメント。
 車窓越しに家族で富士山を眺めたら、とっても楽しそう!

 歴代のロマンスカーに触れあうことができ、楽しいひとときでした。
 一つだけ注文を加えるなら「白いロマンスカー」、VSEを加えて欲しく思いました。

 男の子をお持ちのパパ、ママにはお薦めの場所です。



ロマンスカーミュージアム

神奈川県海老名市めぐみ町1-3
046-233-0909

10:00-17:00 火休









Posted at 2025/07/19 12:38:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | 博物館 | 日記
2025年07月05日 イイね!

還暦を過ぎての「人生」とは…

還暦を過ぎての「人生」とは… 猛暑が続いておりますが、皆様お元気でお過ごしでしょうか。ボクは64歳目前で現職に移り、早くも9か月が過ぎました。6社を渡り歩き、長く総務管理職を勤めましたが、現在は初の業界で初の経理系最底辺職。今日は少し、この間の実体験を書いてみようと思います。

 現在、職場は新参のボクを含めて7名体制。全員が転職者ですが、ボク以外はすべて同業他社から。その道の「プロ」ばかり。業界特有の慣習に熟知し、会話には専門用語が飛び交います。そこに未経験の64歳が入りましたが、まるで赤子も同然。定期的で単価の決まった仕事は「定型」のため処理は比較的楽ですが、矢鱈と単発の請負が多く、しかもそれらのほぼ全てが、価格は担当者同士の「口約束」で決まるため、確認に手間と時間が掛かります。細かいプライスの集積で請求金額が決まるため、ややこしいことこの上ありません。

 体力、気力、集中力の低下を意識しながら取り組んでおりますが、ミスが頻発。しばしば怒られる始末。結果的に、まだ信頼を得られていません。情けないやら、悔しいやらで、落ち込むことも頻繁…。
 還暦を過ぎての「再就職」。ハローワークやネットに出ている求人の大半は、警備、清掃、介護など。事務系は殆どありません。幸いにもボクは事務職として採用されましたが、過去の総務管理職経験は全く通用しません。

 どんな職に就くにせよ、還暦を過ぎて再就職を目指す場合、求職者の「売り手市場」はほぼ存在せず、求人側の「買い手市場」なのが実態。相手が提示する職種と雇用条件に、自身を合わせなければなりません。

 このような条件下での再就職後の実態は、あまり語られることはありません。

 サラリーマンのファースト・ステージで長く管理職を勤めた人材は数多存在しますが、再就職ではマネジメント能力を要求される求人は、ほぼゼロ。ボクのように、初の業界と職種で、不慣れな仕事に就いている(これから就くことになる)方は、珍しくないと思います。その多くは気力や記憶力の減衰と戦いながら、臍を噛むような思いを抱えているように思います。再雇用の過酷さと同様、再就職後の実態も厳しい…。どちらにせよ、長く培ったキャリアは評価の対象にはならず、「労働者」ですらない一介の「労働力提供者」としての存在に過ぎない…。これがこの9か月間に身を持って学んだことです。

 あと6か月で65歳、来年2月から年金は満額になります。上記のような現在、今後の身の処し方について、あれこれ思いを巡らせています。

 一つだけ、確実なことがあります。

 それは「これからの人生で、今日が最も心身ともに優れた日」であるということ。身体は下降線に向かうばかり、決して回復はありません。「このまま働き続けても、周囲の期待に応えられないだろう」との思いが膨らみつつあります。同時に60歳で完全引退した義弟のように「健康なうちに、もう好きな事に残された時間を使いたい」との気持ちに傾き始めてもいます。

 還暦過ぎの「生き方」は、本当に難しいと実感しております。



プロフィール

「お知らせ http://cvw.jp/b/2970161/46422054/
何シテル?   09/28 15:34
 妻はアルコール依存と摂食障害を患い、主治医の勧めで調停離婚しました。その1年後、彼女は突然世を去りました。一年に2回の母親との別れを経験した一人息子と、ドライ...
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