
全国的に猛暑が続いておりますが、皆様お元気でお過ごしでしょうか?
ボクは65歳が目前、今年の夏はかなり体力を奪われていると実感しております。気持ちだけは若いつもりでも、肉体は正直なものと、身を持って実感させられるこの頃です。
そんな今日8月3日、日曜日。この猛暑を乗り切るための「願掛け」も兼ね、遅い「丑の日」にすることに決めました。開店前の10時半に電話で2名で予約を入れ、彼女に「11時に家を出る」旨を伝えると、何も言わず身支度を始めました。考えていることが、すっかりお見通しでした(笑)!
という訳で、自宅から車で40分、青梅市のこちらに到着。
今では珍しくなった、木造三階建て、うなぎのお店「寿々喜屋」さん。
嘗ては料亭だったそうで、創業何と120年!
我々庶民は、そう頻繁にうなぎ屋さんの暖簾を潜ることは出来ませんから、どうしても何かの「ついで」になりがち。ボクが最も通っているのは、川越の「いちのや」さん。亡き両親を連れての初詣の際、毎年舌鼓を打ったものでした。
こちらの寿々喜屋さんには、思い出せないほど昔に一度訪れたことがあります。なので、まるっきり初訪問と同様。
暖簾を潜る前から、辺りには「あのいい香り」が立ち込めていました。
彼女、満面の微笑みで頷きました。
畳敷きの小上がりに椅子とテーブル席が4つ。うち1つは4人席で、残りは2人。奥にお座敷もあり、其処から子供たちのはしゃぎ声が聞こえて来ました。ボクたちは予約済で席を空けておいてくれましたが、それで小上がりは満席。なので店内の撮影は見送りました。
メニューはこれ。
「特上」と肝焼き4本、ボクはノンアル、彼女は「生」(シッカリ、オカワリ、シテイマシタ!)をオーダー。
嘗てお店で配っていた、お年賀用の手拭と、マッチが額に入れて掲げられていました。どちらも「絶滅危惧種」。若かった頃、ジャズ喫茶のマッチを蒐集していたことを思い出しました。渋谷「音楽館」、「スイング」、神保町「響」、代々木「NARU」、高田馬場「イントロ」と「マイルストーン」、吉祥寺は何故かロック喫茶「赤毛とソバカス」!
最も思い出深いのは新宿・戸山町にあった「某店」。
ここはジャズ喫茶を標榜していない、普通の「喫茶店兼スナック」のようなお店でしたが、常にディキシーランド・ジャズのレコードがかかっていました。名クラリネット奏者、ジョージ・ルイスを知ったのは此処。訪れる度に、カウンター越にマスターから黒人音楽の講釈を受けました。最も印象に残っているのは、黒人にとっての「葬送行進曲」!ジョージ・ルイスが普段持たないBクラリネットで、明るいとも暗いともつかぬ、ミディアムテンポの曲を奏でる盤を再生してくれました。
ボクは当時、第一志望は早稲田。
タモリさんも居た「モダンジャズ研究会」に入るのが夢でした。
でも、結果は「轟沈」…。
マスターに結果を伝えると、こう仰ってくれました。
「俺はな、お前が落ちたワセダのジャズ研出身だ。
でもな、いっぱしの会社に就職も出来なかったし、いっぱしの
ミュージシャンにもなれなかった。
たまたま親がこの土地に住んでいて、亡くなってからこの店を開いた。
路地を挟んだ隣のすし屋の親父、知っているだろう?
…そう、その通り。俺と殆ど挨拶も会話もせず、レジスターの横に
硬貨を積んで帰るあいつさ。
ありゃ、俺の兄貴。
兄貴もいろいろあったが、お互い親が遺してくれたもので生きている。
お互い、「ダメ兄」「ダメ弟」と、変にわかり合っているのさ。
飯田橋、受かったと言ってたよな。
ワセダに行くために二年目の浪人はヤメロ!
この俺を見てみろ。
大学なんて、ただの通過点なんだ。
飯田橋に行き、まず浪人根性を一掃しろ。
まだ若いから、「ワセダ」とは違う目標が出来ると思う。
それは、お前次第だが…」
ごめんなさい、話が逸れてしまいました…。
閑話休題。
ノンアルが届きました。
彼女は「生ジョッキ」(笑)!
お新香。
こんなに種類があります。
キュウリは浅漬けでしたが、おいしく戴きました。
肝焼き。
ボクも彼女も大好物!
プリプリの処とヤワヤワ部分があり、焼き立てのアツアツ!
さて、メインディッシュが到着しました。
彼女と手を合わせて
「いただきまーす」!
ごかいちょー。
お重はかなり大きく横長。
色艶の良い「うなぎ」が、ごはんを覆っています。
山椒を掛けました。
ホクホクでヤワヤワ、口に入れると溶けてしまいそう…。
ご飯は、そのものズバリ!の語彙が見つかりませんが、「鰻重にうってつけの、少し固目に炊いた」もの。マッチングがピッタンコでした。
きもすい。
椎茸の味が沁み出て、大変「おいしい」!
…湯気、見えますか?
あー、おいしかったー!
Posted at 2025/08/03 18:13:22 | |
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