
こんばんは😃🌃
おじゃぶです。
こんばんは会社の後輩をつれて、天麩羅を食べに行ってきました!✨
天麩羅は久々でしたので、大変満足しました!
食べるのに夢中で、途中から写真を撮るのを忘れたので、この一枚だけ掲載します。
海老またはお頭から出てくる店が、個人的に好きです。
順番どうこう言う人もいますし、野菜は邪道と言う意見もありますが、私は結局のところ楽しく食事できればそれで良く、野菜の天麩羅もめちゃくちゃ好きです。あの甘味、たまりませんよね!✨
次回は2月におでんを食べに行く約束をしました。
店探し、それもまた楽しみな時間です♪
話が変わりますが、天麩羅を食べているときにふと思い出したことがあります。それは今朝の通勤中に、たまたま流れてきたSNSでの一幕です。
投稿の要旨としては、
「軽自動車でデートをするカップルを見下す一人の女性の発言」でした。
軽自動車の助手席なんてはずかしくて乗れない、、、私の彼氏はベンツ! 2台持ち!
とかなんとか。
まぁ正直、気持ちの良い話題でありませんよね。
案の定、コメント欄はほぼアンチでした。
そのなかで目に留まったコメントがありました。その投稿主は、行程も否定もせず、という口調で、感性の問題にあるのではないか?とコメントされていました。
妙に頷けたのです。天麩羅や鮨、肉などグルメ全般にも言えることですが、今日頂いた天麩羅にも重なる部分があるように感じたからです。
本日利用した店舗は、1人3~4万円もする銀座の天麩羅やではなく、比較的リーズナブルに楽しめるところでした。
前出の女性からすると、やすい店には行けない、みたいなことを言い出しそうな予感です。
話を戻すと、私はその記事を読んだだけで、特にコメントすることもありませんでしたが、私は以下のように考えました。
【値段で人や価値を切り捨てる想像力の乏しさこそ、いちばん貧しい。】
前出の女性。その視線は、車そのものではなく、
「安いものを選ぶ人間」への評価に向いていたのだと思います。値段が低いことは、感性や人生の格まで低いという短絡があったのだと推察します。
それは、安い天麩羅を見て「所詮その程度の味だ」と決めつける態度と、どこか似ていると感じたのです。
ですが、軽自動車で出かけるデートには、
身の丈を知る誠実さや、無理をしない安心感があるとも考えることができます。私はそのように育てられました。
狭い車内で自然と近づく距離、燃費や維持費を気にせず、気軽に寄り道できる自由。そこには「高級車にはない価値」が、確かに存在します。
高い天麩羅が技と非日常を味わわせてくれるように、高級車はステータスや快適性という体験を提供する。それ自体は否定されるべきものではないはずです。
問題は、一方を知ったつもりになって、もう一方を切り捨てることにあると思います。
安い天麩羅を楽しみながら、特別な日に高い天麩羅を楽しめる、こんな人は食の幅が広い。
軽自動車で笑い合いながら、いつかは背伸びした車にも自然に乗れる人は、人生の幅が広い。
恥ずかしいのは、軽自動車ではなく、安いことでも、高いことでも、そこにある価値を想像できなくなった感性の方、と思います。
コメントされていた方のように、そう思えるかどうかが、その人の「本当の豊かさ」を静かに分けているのだと感じた瞬間でした。
(一部、お隣で食事していた方の発言を引用(笑))
本日もなかなか刺激的な1日でした。
あすは在宅勤務です。報告書をバンバン書いていきましょう!
(今のうちに書いておかないと、期末にしわ寄せがくる。。。)
あ、妻の話によると、冬のボーナスが今月の支給だったようです。
去年の倍! と喜んでいました。オーダーのビシネスシャツとベルトをプレゼントしてくれるそうです!
頑張ったお金は自分のために使いな、といいたいところですが、今回は妻の気持ちをありがたく受け止めることにします。😌
明日も頑張っていきましょう!
Posted at 2026/01/13 22:50:32 | |
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