
こんばんは😃🌃
おじゃぶです。
よほど暇なんでしょう。
またこんな訳のわからない投稿をして、、、申し訳ありません。💦
本投稿は、化学工学などの学会誌に掲載したい、そんな文章です。
委員などを努めていると、たまにトピック提供の依頼が来ます。基本的に何を書いてもいいのですが、どうせなら身近な現象について、ちょっと視点を変えて論じたいところです。
発端は、今朝にいれた一杯のコーヒー。
(コスタリカ🇨🇷)
冬のホットコーヒーはなんでこうも美味しいのでしょうか。
スルスルっと口に含み、飲んでからふぅーと一息つく。間髪を容れずに、また同じサイクル。
気付けば液面はどんどん減る、コーヒーとはそんな中毒性とも言えるような不思議な飲み物ではないでしょうか。
それは、コーヒーという液体が完成するまでの行程を考えれば、すこし紐解くことができます。
そんなコーヒーという液体について、せっかくなので化学工学の観点で書いてみます。
戯れ言にお付き合いいただき、ありがとうございます。✨
冒頭の、偶然を制御するというフレーズは、ようはインパクトを与えるためのやや矛盾した表現です。制御できるならば、それは偶然ではなく必然なのでは?と。
ただし、読み進めてもらえれば、あながち間違いではない、と思えるかもしれません。
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【一杯のコーヒーは、偶然を制御した実験結果である】
「コーヒーの抽出は面倒だ」と言われるたびに思う。それは面倒なのではない。背景を知らないだけだ!と。
コーヒー抽出とは、単に豆を通して湯を落とす作業ではない。数百種に及ぶ化学成分を、温度・時間・濃度勾配という操作変数で選択的に溶かし分けるという、家庭で行う極めて高度な液相分離実験である。
低分子で親水性の高い有機酸やカフェインは最初に溶け出し、香味に輪郭を与える。
続いて、焙煎過程で生じた中分子のメイラード反応生成物が抽出され、甘さとボディを形作る。
最後に現れる高分子フェノール類(苦味)は、行き過ぎれば渋みとなる。
よくあるコーヒー抽出の動画で、豆の量や湯量、そして時間を計っているのはこのためである。
前出の溶出順序は感覚論ではなく、溶解度・拡散係数・反応速度定数という物理化学で決まっている。
湯温を1〜2℃変えることは気分転換ではない。反応速度を操作し、「どの成分を、どこまで取り出すか」を制御している。ここまでの話で、次回のコーヒーは、湯温を変えてみようか? と考えた方もいらっしゃるのではないだろうか。
また、挽き目を変えるのも好みの話ではなく、比表面積と拡散距離を設計し直しているにすぎない。
★ハンドドリップが難しいのではない。変数が多く、結果に正直なだけだ。
だが、この知的遊戯は抽出工程だけで完結しない。
私たちの前にある豆は、工業製品ではなく、赤道付近の限られた土地、標高、気候条件のもとで育った不確実性の塊だ。
しかも飲んでいるのは果実の主役ですらない、コーヒーチェリーの中に二粒だけ存在する種子である。
収穫後の発酵では、微生物相・温度・酸素供給の差が有機酸組成を決定し、後工程では取り戻せない風味の方向性が固定される。
焙煎は単なる加熱ではなく、熱分解とメイラード反応の時間制御であり、数秒の判断が生産者の努力を生かすか殺すかを決める。
こうして数千キロの物流を経て届くスペシャルティコーヒーは、世界流通量のごく一部にすぎない。単一農園、単一ロットとなれば、同じ味に二度と出会えない可能性すらある。
だから抽出は面倒なのではない。
あまりにも多くの自然現象と人間の判断が、すでに一杯の中に折り畳まれているだけだ。
私たちが湯温を測り、注湯を制御する行為は、神経質さではない。
それは、生産地の標高差や発酵条件、焙煎判断によって歪められた化学バランスを、最後に最適化する試みだ。
一杯のコーヒーを丁寧に淹れるとは、
自然の揺らぎ、生産者の決断、焙煎の解釈、そして抽出という最終操作を経て、途方もない確率の束を、たった一つの解に収束させる知的行為である。
コーヒーは、ただの飲み物ではない。理解した瞬間から、それは再現可能で、しかも二度と同じにならない実験結果になる。
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とまぁ、こんな感じで投稿したいわけです。
当該雑誌を手に取るほとんどの方はいわばその道のスペシャリストですが、より一般的な文章に推敲したい、と悩んでいます。
最初と最後をやや矛盾表現としましたが、これも諄いかなぁとか。
ご意見あればお願いいたします!
Posted at 2026/01/14 21:09:55 | |
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