
お疲れさまです!
今日は大変蒸し暑いですね😅
台風7号の影響でしょうか。これ以上、被害が広がらないことを願うばかりです。
さて、そんな今日は、ここ10数年間の恒例??
眼科の定期受診の日でした。
結果は異常なし。よかったです。
いつも高たんぱく、高プリン体のものばかり食べていると思われているようで、内科(尿酸)なら受診している??
いやいや、そんなことはありません。いたって正常です。😅
話を戻しますが、なぜ眼科なのか?
以下、想像しただけで痛い話になりますので、苦手な方は読み飛ばしてください。
・2011年 中学野球の試合中、右眼にボールがヒット。バッターボックスで、しばらく項垂れる。
・眼を見開いたとき、太陽の光さえわからない。。。これは失明したな、と悟った。
・その後、大きい病院を緊急受診。
眼にでかいレンズをいれたり、眼球に色を塗ったり。。。相当状況が悪いことが素人でもわかる、奥から聞こえる看護師の会話。
→軟式だったため骨折はなかったものの、軟式特有のボールの変形により状況悪化。破裂とまではいかなかったものの、網膜(中心窩とよばれる視力を司る部分)および虹彩の断裂、眼球打撲、硝子体出血、、、と診断。
・有無を言わず、手術の話が始まりました。
(人間って窮地に追い込まれると、緊張の糸が切れたように、ほっと笑ってしまう仕組みになっています。おじゃぶは本来、病院が苦手なはずなのですが、どういうわけか自分の眼の状態に興味津津。いろいろ聞いて、眼底写真なんかもいろいろ見せてもらいました😁そうやって正気を保っていた??)
・そのあと、医者も驚く奇跡が起きたのです。
受傷した右眼が、だんだんと光を感じ始めたのです。しかも、なんとなくモノも見えるようになっていきました。
このとき安堵した感覚はいまでも鮮明に覚えています。
・その後いろいろあり、数週間後にまた奇跡。
手術をしなくてもよさそう! ということが明らかになったのです。
ただ、とんでもない大ケガであることに変わりはないので、毎週受診して経過観察しました。
・当時はまだ中学二年ということで回復力があったのか、断裂して歪な様子だった網膜もだんだんと回復。
・いまでも視野欠損や歪み等の後遺症はありますが、日常生活には支障がない程度にまで回復しています!
絶対にしなくてもいい経験でしたが、いろいろ考えることがあった時間でした。
ここからは笑い話??
この怪我のせいで、修学旅行には行けませんでした。しかも、実行委員長でした。😅
私の中学校では、修学旅行ノートというものをひとり一冊作成します。沖縄の戦争のことや、現地で学んだ平和について、書き留めていくというものです。行動記録をふくめ、全60ページを埋める必要がありました。
しかし!
私は行っていないので書けないわけです。事前調査以外の内容は。
では、何を書いたか?
眼と眼の病気について、図解した医学部のノートみたいなものを作りました(笑)
元来、理系だったのでしょうか。このノートを作るために、医学書、薬科辞典の勉強、病院への資料請求。。。面倒な性格です😅
このころ、私の部屋は、眼関連の本やら資料で埋め尽くされていました。理由もなく必死に勉強しました。
診察時、医者と会話できるレベルに😁
その後はなんだかんだ、
ロケットなんかを開発したりしたわけですが、この頃の将来の夢は医師でした。
じつは。。。
いまでも時々考えているのです。医学部への入学を。目指すは眼科医です。
セカンドキャリア?というには早い来はしますが、諦めるものではないと思います。
博士号を工学でとるか医学でとるか。
なやんでいるこの頃です。
Posted at 2024/08/16 14:37:52 | |
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