社会人だからという訳ではないですが、私はお歳暮を送る人です。(まだ、貰う側ではありません)
といっても、上司や先輩に送るのではなくて友人2人にだけです。
もう何年続けているかは忘れてしまいましたが、今からX年前の冬から始めました。
その年は例年にも増して暑い夏でした。私と友人2人の3人は朝8時から私のウチに集合して、それぞれのMTBを整備していました。
これから低山へのアタックを試みるためです。
前日までの雨が明け方には止み、雲間から夏の抜けるような真っ青の空が覗いていました。
はやる気持ちを抑えてもくもくと作業をこなし、30分後にはクルマにMTBを積み込んで目的地へ向け出発しました。行き先は県内にある某山です。
駐車場に到着すると、MTBを取り出し組み立てました。そこからはほぼ「荷物」になるであろう相棒を押して向かったのはハイキングコースと言うの名の地獄でした。
どこまで行っても階段。しかもコンクリート製の丸太風タイプ(見た目は良いが、上に乗ると滑る)でした。
そこを、装備一式詰まったザック+MTB1台を担いで登ります。当時、我々はMTBで登山をするという奇行にはまっていました。長い道行の途中で、少しでも「乗れる」箇所があればMTBに跨り、頂上をあるいは麓を目指してペダルを漕いでいました。だから、この日も何の疑問を持つ事無く、どこかで乗れると良いなぁくらいの気持ちでMTBを担ぎ上げていたのです。
季節は8月初旬の朝。雨上がりの森は密度の濃い水蒸気で、まるで蒸し風呂のようでした。
すぐに滝のような汗が出てきて、喉が渇きます。用意したペットボトルのスポーツ飲料で給水しながら階段に挑み続けるのですが、汗はとめどなく流れてくるし竹林からずっと薮蚊が付いて来ているのでうかつに休憩もできないまま、階段を登り続けました。
最初は暑くて汗を流していたのですが、途中から徐々に寒くなってきました。汗が冷えたのかもしれないなと感じていたのですが、その割りに一向に汗が止みません。石段は上にも下にも続いています。もう何段登ったのかさえ判りません。
そして、次第に歯がガチガチ音を立てるほど震えてきました。真夏なのにです。
それでも汗が引かないという異常事態に次第に自分でも変だと思いだしたのですが、自分より歳上の仲間が先に行っているという焦りから階段が終わるところまでは頑張ろうと重たい足を何とか進めました。
そして、仲間の待つ所まで(後で知ったのですが800段あったそうです)登り切った途端、その場に倒れてしまいました。
実は唇どころか、全身が痙攣してしまい立っている事すら出来なくなってしまったのです。
私は過去の経験から、これが「熱中症」だと瞬時に悟りました。
仲間が心配して駆け寄って来ました。そりゃ、目の前で倒れたらびっくりすると思います。
私は朦朧とする意識の中で、これが熱中症である事をろれつの回らない舌で説明し、何でも良いから体を冷やし、水分を摂らせて欲しいと告げました。
1人が救急車を手配してくれていたのですが、山中だった事と現在地が判らなかった事から到底手配できないと言われたそうです。
その間に、もう1人が私のザックやMTBからペットボトルを取り外し、飲ませてくれました。そしておもむろに自分のザックから凍らせたペットボトルを取り出し(この暑さで1/3くらい溶けていた)、その水を私の頭からジャブジャブと掛けてくれました。
結果的にコレが幸いして、私の体温は何とか平常時に戻り、震えも発汗も収まりました。
その間は酷く長く感じたのですが、恐らく30分くらいだったのでしょう。
私は、救急車が来られないと聞いた瞬間に強烈に「自分の死」を意識しました。そして次に思ったのは(馬鹿げているかもしれませんが)「俺が死んだら、このMTBを誰が下まで持ってくのかな?」でした。
自分が死にかけているのに、なんてアホなんでしょう・・・後で思い出す度に笑いそうになります。
ともあれ、仲間の機転と行動で急死に一生を得た私は(また800段を、今度はMTBを押し歩きして下り)岐路に着きました。
その帰り、麓の焼肉屋で2人に焼肉を奢りました☆そして体力を付けて、もう一度この山に挑むと決意したのです。
その年の冬から、私は2人にお歳暮を送るようになりました。
「2人のおかげで、今年1年も無事に生きて来れました。また来年も変わらず仲間でいて下さい」という気持ちを込めてです。
面と向かってはナカナカ恥ずかしくて言えませんが、命の恩人に感謝の贈り物。
そろそろ着く頃だと思います。喜んでくれるでしょうか?
今日は1エッセ。 象牙
Posted at 2008/11/26 20:52:42 | |
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