
震災後、至るところで「自粛」という言葉が飛び交っている。
最近、この「自粛」に疑問を感じる人の意見を、ネット上のあちこちで目にするようになった。
疑問を持つ人の意見をうかがうと・・・
「自粛」によって金回りが鈍くなり、経済が潤わない。
結果として失業や倒産(最悪の場合これらが原因による自殺者)を招きかねない。
いつまでも「自粛」というのはいかがなものよ?
・・・という感じの内容が多い。
だいこんも個人的には、現在は過剰な「自粛」が多いような気がする。
震災直後は、そのようなことはちっとも思わなかった。
要するに、何でもかんでも「自粛」すべき時期は、もう終わったと思う。
だいこんよりもずっと過酷な環境で過ごす被災者は、少しずつ復興に向けて頑張っている。
それなのに、大した被害を受けていない関東在住の人たちが復興に向けて動こうとしないで「自粛」って、釈然としない。
「自粛」したことに慣れてしまって、結果的に「萎縮」してしまっているのではないだろうか。
オリエンタルランドのCMでは「営業再開に向けて頑張っています」というメッセージを流している。
反面、「花見は自粛すべきだ」と声を大にして言う人もいる。
TDRは自粛しなくても、上野公園で酒を飲むのは自粛しろというのか?
http://www.jiji.com/jc/zc?key=%bc%ab%bd%cd&k=201103/2011032900919
そもそも「『自』粛」なんだから、人から指図を受けて活動の範囲を狭められるのは「自粛」でもなんでもない。ただの命令だ。
ましてや有力者が「自粛すべき」と発言するなんて、言葉遣いがおかしい。
行動する人が「慎む必要がない」と思ったなら、そのときから「自粛」は必要ないと思う。
社会の調和を考慮したら、何でもかんでも「自粛しない」というわけにはいかないだろう。
「自粛」に対して明確なルールがないから、催事を慎むべきか開催すべきかの判断は難しい。
震災のニュースしかテレビで放送されていない中、NHK教育テレビは僅かな時間であるが、子供向けの番組を真っ先に再開した。
シンディ・ローパーは震災当日のコンサートを中止にしなかった。「こんなとき私にできることは音楽」とのことである。
震災によって大きな被害を受けた人たちにとって、「自粛してもらう」ことはそんなに嬉しいことなのだろうか。
程度の差は随分あるかもしれないが、遠く離れた地で復興した日常生活を見せてくれた方が、よっぽど励みになるのではないだろうか。
「自粛」することばかりが良いこととは思わない。
「自粛」して「萎縮」してしまっては、本末転倒である。
社会の調和を考慮して、周りの顔色をうかがって「萎縮」するのはもうおしまい。いつも通りの状態に戻すことだって、立派な社会貢献、復興の一環だと思う。
Posted at 2011/03/30 17:26:06 | |
トラックバック(0) |
東日本大震災 | 日記