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クリューのブログ一覧

2025年02月09日 イイね!

15年経って思うこと

15年経って思うこと2月7日でみんカラを始めて気が付くと15年が経ちました。
始めたときは40代でしたが、いまはもう還暦にもう少しとなってしまいました。
ま、もともと好きな車のことや、学生時代にかじった自動車会社の動向について知識を深めたいと思っていることもあってブログには稚拙ながら自分の考えをかけるという魅力も、ここまで継続できたのではないかと思います。

みんカラをはじめたきっかけは、職場で悩むことが増えストレスがたまり、少しでも自分の中で職場のことを忘れたいことがきっかけでした。

この間にみんカラを通して多くの方と知り合うことができました。プレマシーのころは整備手帳もパーツレビューも多く上げることができましたが、この15年の間に車は、手を入れることができないようなシステムでブラックボックスが進み、装備についてもほどほど満足することが多く、購入しないといけないようなアフターパーツも少なくなりました。
ただ、オフ会は皆さんのご協力とご理解で毎年2回開催できるようになり、これもまた楽しい時間となりました。

いま、ここで私が継続できるのは、多くの方がここで支えてくださったり、ご意見をいただけたからと思っています。
これからも、よろしくお願いします!
Posted at 2025/02/09 11:25:56 | コメント(3) | トラックバック(0) | みんカラ | 日記
2025年02月01日 イイね!

セダンといえば…その49 長く乗りたい いすゞ アスカ(初代)

セダンといえば…その49 長く乗りたい いすゞ アスカ(初代)セダンといえば…今回は今では乗用車市場から撤退したいすゞが、1983年にGMとの提携により「グローバルカー(世界戦略車)構想」へ当初より参画して作られたJカーといわれたモデルのの一つであるいすゞアスカである。

いすゞフローリアンの後継車として1.5〜2.0Lクラスのオペル・アスコナC、ホールデン・カミーラ、キャデラック・シマロン、シボレー・キャバリエ、シボレー・モンザなどの姉妹車の一つとして投入された。
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左上からホールデンカミーラ 右上オペルアスコナ 左下シボレーモンザ 右下キャデラックシマロン

しかし、オペル、GM、いすゞの3社が個別で同時進行したため、足回りや一部の外装以外、部品の共通性は無いといわれる。
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さて、この車の知名度上げたのは、ディーゼルターボの高性能だと思う。ガソリンターボはインタークーラーは未装着なのに、なんとインタークーラーが装着されたターボディーゼルは、エンジン出力グロス150馬力(ネット値120馬力)を誇り、このクラスの車としては比較的軽量な1,000kg少々の車体とあいまってゼロヨン15.3秒を叩き出したという。これは当時の世界最速値であったそうだ。

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さらには「NAVi5」というセミオートマを搭載したり、>ハイパフォーマンスモデルとして、2リッターターボ車をベースにドイツのチューニングメーカー、イルムシャーが監修してサスペンションチューニングや内外装のドレスアップを施した、『アスカ イルムシャー』を投入したこともあった。
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さらに面白いのはこのイルムシャーの人気に乗じてアスカの中古車に特別仕様車として新たにパーツを組み替え、「カゲムシャー(影武者)」として販売したり、「ワカムシャー(若武者)」と命名して販売していたと言う。
余談だが、その当時のジェミニやピィアツッアにも同様のシリーズを設定し、ムシャー(武者)シリーズとして販売していたと言う。なんともシャレた販売方法である。
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 以後アスカはスバルのレガシイやホンダのアコードのOEMを受け入れ販売するようになった。今でこそ、海外メーカーとの提携関係が薄くなったことから海外のチューニングメーカーが国産車を監修することはなくなったが、またいつかそんなチューニング車が出てきて欲しいと思うのは私だけだろうか?
Posted at 2025/02/02 09:03:14 | コメント(1) | トラックバック(0) | セダン | クルマ
2025年01月25日 イイね!

セダンといえば…その48 FOUNDATION(創設) HONDA コンチェルト

セダンといえば…その48 FOUNDATION(創設) HONDA コンチェルトセダンといえば…ホンダが80年代に提携していたオースチン・ローバー・グループ(ARG、後のローバー)と共同開発をしたホンダコンチェルトである。
当時サッシュドアのシビックとは違う6ライト・ウィンドウは珍しく思えたし、またリアの左右のテールライトと同色のガーニュッシュで一本につなぐエクステリアは欧州車の雰囲気を醸し出していたのが印象的であった。
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また上級グレードには本革使用もあった。
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販売店がホンダクリオなのでレジェンドを筆頭にホンダでは高級・上級車セダンを専売だったこともあってこのクラスではスポーツというよりも上質なセダンということになるだろう。アコードとシビックの間を埋めるべく投入された車であった。
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画像では濃いブルーであるが、私はなぜか、明るいガンメタリックのコンチェルトと遭遇する機会が多く、また私より少し年齢が上のオーナーが多かったように思う。エンジンは、シビックと同じ1.5ℓ(D15B)と1.6ℓ(ZC)であった。
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サスペンションは4輪ダブルウィッシュボーン式でこの辺はシビックからの流用だろうか?直線基調のシビックセダンに対して同じ直線でも優雅なイメージを感じさせるのはグリーンハウスの形状のせいだろう。
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この80年代後半はセダン=リアスポイラーが大流行でどんな車にもオプションでリアスポイラーが設定されていたが、このコンチェルトはスポイラーがなくても違和感のない正統派のセダンだったように思う。
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ローバー420
このセダン、後継車はドマーニになる。ドマーニもローバー400と姉妹車の関係になるのだが、私にはドマーニのエクステリアにはコンチェルトにあった凛とした高級車?というイメージは感じられなかった。ドマーニは4ライトウィンドウとなり、コンチェルトからすればプレーンなデザインだったからだろうか。
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ホンダドマーニ(MA)
コンチェルトはドマーニにバトンタッチすることやローバージャパンから姉妹車のローバー400を販売することが関係して清算・販売を終了する。
もし、英国風のセダンを継承していれば、日産のティーダラティオと同様な高品質なセダンになったのではないかと思うのは私だけだろうか?

Posted at 2025/01/25 21:35:38 | コメント(3) | トラックバック(0) | セダン | クルマ
2025年01月19日 イイね!

EVと日産と欧州メーカー

EVと日産と欧州メーカー昨年は、EV旋風が鈍化したと同時に欧州メーカーの方向転換と日産とホンダの経営統合の大きなニュースが報じられた。
例えば、かなり揺るがないメーカーと思えていたフォルクスワーゲン(VW)グループのドイツ国内工場の閉鎖を検討しているというのは衝撃的だった。
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VWのオリバー・ブルーメ最高経営責任者(CEO)は発表文で、「経済環境は一段と厳しさを増しており、新たなプレーヤーが欧州に参入してきている」と説明。この新たなプレーヤーとはきっと中国のEVであることは間違いない。この中国の安価なEVが出回ってきたことでコストがかかるEVを対等に販売できなくなってしまったと思われる。環境団体の活動による政治家の発言や政策、補助金が打ち切られた国々では当然欧州のEVは高所得者しか購入しなくなるわけで、利益どころか赤字に転落したのではないだろうか。ましてやロシア/ウクライナ紛争のため、ロシアから輸入してきた天然ガスも高騰化して電気代も高くなってきたという。そのため販売台数も減少してきたらしい。
そしてさらには経営がうまくいかなくなってきたメーカーやサプライヤーの企業を中国メーカーが買収するのではないかという話も出てきている。
 また、いち早く電動化に舵を切ったボルボは、市場ニーズや関税問題などの変化に対応するため、電動化の目標スケジュールを調整することを発表した。そしてボルボはEVシフトを鈍化させるのではなく、むしろSDV(ソフトウェア・デファインド・ビークル)化を加速させていることが見えてきた。SDV(ソフトウェア・デファインド・ビークル)とはソフトウェア(Software)によって性能や振る舞いが定義される(Defined:ディファインド)自動車(viechle:ビークル)のことであり、そのパイオニアといえるのが、自動車メーカーとして世界一の時価総額を記録したことでも知られる米テスラだという。PCやスマートフォンのようにオンラインで車両の機能がアップグレードされるOTA(Over The Air・ソフトウェアアップデート)は2012年から導入されており、ナビ性能やバッテリーやモーターなどの動力性能、自動運転や運転支援機能、ブレーキ性能、充電性能、空調などのカスタマイズや向上に加え、リコール対応なども遠隔で行われているそうだ。

また、メルセデスは2024年2月に“全ての新車を2030年までにEVにする”という方針を撤回。理由については「顧客に押しつけてまで人為的に目標を達成しようとするのは、理にかなっていない」として、EVの需要鈍化を挙げている。
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そんな中で国内でもEV技術において先んじていた日産、また電動化に舵を切ったホンダも業績が悪化してしまった。
環境にやさしいといわれ、そして急激な異常気象によって多くの人々はこのEVにかけていたところがある。しかし、現実は量産体制になったとき、多くの国々の思惑が絡み、経営不振に陥った。
 欧州メーカーは日本車の技術やハイブリッド技術に太刀打ちできなくなってきたところにこの異常気象のタイミングでEV政策に舵を切ったのだが、ボルボにもメルセデスにも株主に中国企業がいたことから、対日本車政策としてタッグを組んだはずが、はしごを外されたようなものではないかと思う。
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また、中国は昔からあらゆる工業製品でコピーをするということは有名(ロシア戦闘機SU-27をコピーしJ-11Bを開発)だが、一つ一つのパーツが細かく、部品点数の多い内燃機関より、部品点数の少ないEVはコピーしやすいため、中国企業は欧州メーカーに手本にコピーしたという人もいる。
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 また、このEVの原材料のレアメタルのほとんどを中国企業があらゆる地域に進出しているという。日本時間1月21日に就任式で就任する次期トランプ大統領がグリーンランドを購入するとの発言をしたが、このグリーンランドもレアアースの鉱山があり、中国企業がかなり深く入り込んでいるという。
 さらに欧州メーカーも国内メーカーもバッテリー工場を建設するとニュースがよく昨年は報道されたが、バッテリーの肝心なセルの大切なところは多くの中国企業がシェアを持っているという。

つまりEVについての原材料、コスト、製造技術において既にあらゆる老舗の自動車メーカーをより中国企業が先んじていたわけだ。また前述のSDVといわれる車でも半導体を中国メーカーが先んじているわけだ。いやテスラがいるという人もいるだろうが、テスラとてどうもアメリカ国内にEVの墓場が出始めているという。
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では、日本の自動車メーカーは欧州メーカーと同じように凋落するのか…。
現在トヨタは車をより楽しいものにしようとあらゆるところに手掛けている。また、マツダは車を操ることこそ楽しいものとして開発を進めているという。
 自動車は移動するためのツールという一面と操ることが楽しいという一面を持っている。その操るという一面を拡大していくことで日本車は目指していくことで生き残りをかけるということだと思う。
 昨今の欧州メーカーの車の中には、車本来の「走る·曲がる·止まる」が車の良さが薄れ、航続距離や加速性能の良さだけを追求された車もあるようだ。
戦後日本の自動車業界は外部からの圧力に耐え忍びながら成長を続けてきたように思う。GHQの自動車の生産制限、石油ショック、円高、バブル崩壊、リーマンショック・・・数多くの危機を日本のメーカーは乗り越えてきた。それも表立った政治力ではなく、モノづくりという技術力を持って乗り越えてきた。
 確かに日本の自動車メーカーのいくつかは危機的状況にある。しかし、だからこそ、車を見て育った私たちが応援していく必要があるのではないだろうか。
Posted at 2025/01/20 21:44:08 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日産 | クルマ
2025年01月12日 イイね!

セダンといえば… その47 HARDTOP   INNOVATION アスコットイノーバ

セダンといえば… その47 HARDTOP   INNOVATION アスコットイノーバセダンといえば、今回は流麗なスタイルで快適な居住性の新しいハードトップ「アスコット イノーバ」である。車名の由来のイノーバーとは革新的・刷新を意味するイノベーション(INNOVATION)の略である。

デビューは1992年。当時本家4代目アコードが1989年にデビュー。さらに国内では販売店に合わせて姉妹車アスコット、インスパイア、ビガーがデビューしたが、販売が伸びた3ナンバーハードトップのインスパイア、ビガーに対してアコードとアスコットはサッシュドアだったことから、ホンダプリモのフラッグシップのアスコットのスポーツバージョンというポジシュションで登場した。
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しかし、イノーバは欧州版アコードのサッシュドアをサッシュレスドアに仕立て直して販売されたモデルだった。エンジンはアスコットやアコード同様の2ℓだが、スポーツバージョンだけ輸出用プレリュードのエンジンと同じ2.3ℓもラインナップされた。
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しかし、1980年代後半より徐々に販売台数を伸ばしてきたRV(Recreational Vehicle)のブームと重なり、この初代で販売を終了する。のちに2代目アスコットに統合されてしまう。
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ただ、このモデルのベースになった欧州版アコードはBTCCで大活躍
1995年に欧州仕様のCB型アコード(アスコットイノーバ)をBTCCに投入。
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同年よりフロントエアダムとウィングの変更が許可されていたため、アコードは参戦当初から戦闘的なスタイリングに仕立てられていた。
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心臓部は2.2リッター直列4気筒のH22A型をショートストローク化した2リッターのレース専用エンジンを搭載。シーズンを追うごとに戦闘力を増していったアコードは、2年目の1996年にデヴィッド・レスリー選手が初優勝を含む3勝、その他にも4度の表彰台を獲得した。国内では大ヒットしたわけではないが、モータースポーツではスポーツバージョンだけに記録を残したともいえる。
もし、この活躍が国内でも報道されていたら、2代目もデビューしたかもしれない。
Posted at 2025/01/12 20:05:16 | コメント(2) | トラックバック(0) | セダン | クルマ

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「嫁のやつ こんなの送って煽って来やがる」
何シテル?   06/21 09:13
妙にこだわりのあるへんなやつですがよろしくお願いします。あまりうまくしゃべれません・・・・人付き合いが下手です。泣 最近、突然フォローの申請をされる方がおられ...
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