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クリューのブログ一覧

2025年01月25日 イイね!

セダンといえば…その48 FOUNDATION(創設) HONDA コンチェルト

セダンといえば…その48 FOUNDATION(創設) HONDA コンチェルトセダンといえば…ホンダが80年代に提携していたオースチン・ローバー・グループ(ARG、後のローバー)と共同開発をしたホンダコンチェルトである。
当時サッシュドアのシビックとは違う6ライト・ウィンドウは珍しく思えたし、またリアの左右のテールライトと同色のガーニュッシュで一本につなぐエクステリアは欧州車の雰囲気を醸し出していたのが印象的であった。
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また上級グレードには本革使用もあった。
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販売店がホンダクリオなのでレジェンドを筆頭にホンダでは高級・上級車セダンを専売だったこともあってこのクラスではスポーツというよりも上質なセダンということになるだろう。アコードとシビックの間を埋めるべく投入された車であった。
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画像では濃いブルーであるが、私はなぜか、明るいガンメタリックのコンチェルトと遭遇する機会が多く、また私より少し年齢が上のオーナーが多かったように思う。エンジンは、シビックと同じ1.5ℓ(D15B)と1.6ℓ(ZC)であった。
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サスペンションは4輪ダブルウィッシュボーン式でこの辺はシビックからの流用だろうか?直線基調のシビックセダンに対して同じ直線でも優雅なイメージを感じさせるのはグリーンハウスの形状のせいだろう。
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この80年代後半はセダン=リアスポイラーが大流行でどんな車にもオプションでリアスポイラーが設定されていたが、このコンチェルトはスポイラーがなくても違和感のない正統派のセダンだったように思う。
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ローバー420
このセダン、後継車はドマーニになる。ドマーニもローバー400と姉妹車の関係になるのだが、私にはドマーニのエクステリアにはコンチェルトにあった凛とした高級車?というイメージは感じられなかった。ドマーニは4ライトウィンドウとなり、コンチェルトからすればプレーンなデザインだったからだろうか。
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ホンダドマーニ(MA)
コンチェルトはドマーニにバトンタッチすることやローバージャパンから姉妹車のローバー400を販売することが関係して清算・販売を終了する。
もし、英国風のセダンを継承していれば、日産のティーダラティオと同様な高品質なセダンになったのではないかと思うのは私だけだろうか?

Posted at 2025/01/25 21:35:38 | コメント(3) | トラックバック(0) | セダン | クルマ
2025年01月12日 イイね!

セダンといえば… その47 HARDTOP   INNOVATION アスコットイノーバ

セダンといえば… その47 HARDTOP   INNOVATION アスコットイノーバセダンといえば、今回は流麗なスタイルで快適な居住性の新しいハードトップ「アスコット イノーバ」である。車名の由来のイノーバーとは革新的・刷新を意味するイノベーション(INNOVATION)の略である。

デビューは1992年。当時本家4代目アコードが1989年にデビュー。さらに国内では販売店に合わせて姉妹車アスコット、インスパイア、ビガーがデビューしたが、販売が伸びた3ナンバーハードトップのインスパイア、ビガーに対してアコードとアスコットはサッシュドアだったことから、ホンダプリモのフラッグシップのアスコットのスポーツバージョンというポジシュションで登場した。
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しかし、イノーバは欧州版アコードのサッシュドアをサッシュレスドアに仕立て直して販売されたモデルだった。エンジンはアスコットやアコード同様の2ℓだが、スポーツバージョンだけ輸出用プレリュードのエンジンと同じ2.3ℓもラインナップされた。
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しかし、1980年代後半より徐々に販売台数を伸ばしてきたRV(Recreational Vehicle)のブームと重なり、この初代で販売を終了する。のちに2代目アスコットに統合されてしまう。
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ただ、このモデルのベースになった欧州版アコードはBTCCで大活躍
1995年に欧州仕様のCB型アコード(アスコットイノーバ)をBTCCに投入。
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同年よりフロントエアダムとウィングの変更が許可されていたため、アコードは参戦当初から戦闘的なスタイリングに仕立てられていた。
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心臓部は2.2リッター直列4気筒のH22A型をショートストローク化した2リッターのレース専用エンジンを搭載。シーズンを追うごとに戦闘力を増していったアコードは、2年目の1996年にデヴィッド・レスリー選手が初優勝を含む3勝、その他にも4度の表彰台を獲得した。国内では大ヒットしたわけではないが、モータースポーツではスポーツバージョンだけに記録を残したともいえる。
もし、この活躍が国内でも報道されていたら、2代目もデビューしたかもしれない。
Posted at 2025/01/12 20:05:16 | コメント(2) | トラックバック(0) | セダン | クルマ
2024年12月01日 イイね!

セダンといえば…その46 The Daily Modern NISSAN TIIDA LATIO 

セダンといえば…その46 The Daily Modern NISSAN TIIDA LATIO セダンと言えば…今回は「日産リバイバルプラン」後にデビューしたMURANO、FUGA、LAFESTA、NOTE、TIIDAらとともにデビューしたコンパクトセダンたるティーダ ラティオである。日産においてはサニーの後継になると思われるが、開発当初、上質なまったく新しいセダンをコンセプトとして開発されており、「サニーの後継車」という意図で開発されたものではないという。また、ルノーと共同開発したBプラットフォームのロングホイールベース版を採用した。
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ベースとなるティーダが「SHIFT compact quality」をコンセプトに開発されたことを受け、ティアナと同じ開発スタッフが手掛けており、後部座席のニースペースを高級車であるシーマ以上になるといわれ、初代プリメーラと同様実用性を重んじられて開発されたと思われる。半面、エクステリアは、本家のハッチバックのスタイルにセダン用トランクを付けたスタイリングは、それまでの伸びやかで後部座席を割り切ったようなスタイリングを持つセダンとは一線を画した形ともいえる。
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内装は、カラーリングの含め、上質さを十分に感じさせるものであった。当時のCMからは30~40代の家族をターゲットにしており、ファミリーセダンとしてポジションであるが、当時はRVブームの草創期でアウトドアを念頭に入れたステーションワゴンや現在のSUVに人気が移行したためか、私の中では、ビジネスカーのラティオを多く見たような気がする。また、そのコンパクトセダン故、現在でも高齢者がドライバーと思われるような車もよく見かけることができる。

TIIDAが、それまでのサニーのコンセプトから、上質なコンパクトカーとして国内市場に投入された結果、その上質なことが受けて、大ヒットとは言えなくても販売台数を伸ばしたことからそれに乗じて花火台数を伸ばした。しかし、RVブームの到来の中でだんだんとその市場での存在は薄れてしまい、2代目にバトンタッチをする。しかしこのモデルは中国を含めアジア圏内でも販売され、当時の中国においてはハッチバックのTIIDAともに日産を支えたといわれる。
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しかし、私の個人的な見方であるが、セダンとしては、実用性重視のためか、それまでのセダンの伸びやかなスタイリングは感じることがないことや、中国をはじめ、アジア圏内でのヒットしたことが、このモデルの基本概念がアジアに向くようなものになってしまったと思う。そのためか、欧州車を知った日本の国内市場では何かが違うと思わせるようなイメージがさらに強くなってしまったと思う。
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この原因の一つには価格があると思う。つまりアジアにおいては当時の中国も現在のほどの発展は始まったばかりで販売を伸ばすには価格を下げないといけなかったと予想できる。二代目においてもマーチのプラットホームを採用したことが関係しているのか、従来の1.5ℓエンジンと1.2ℓのエンジンの搭載したモデルが国内に投入された。これでは、国内ではほしいと思う購買層はほぼなく、2代目はビジネスカーとして生き残らざるを得なかったのではないか。
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高度経済成長でのみんなが購入したいと思う車は、コンパクトセダンでも十分であったが、バブル期を経験し、さらに高級志向に移行した日本において、コンパクトなセダンよりも休日に過ごすことを夢見ることができるRVのほうが車の存在を大きくしていった。その中で日産の迷走の車の一つがこのラティオだと思う。
Posted at 2024/12/01 16:45:16 | コメント(1) | トラックバック(0) | セダン | クルマ
2024年08月13日 イイね!

セダンと言えば‥‥その45  アンチクラウン ニッサンセドリック

セダンと言えば‥‥その45  アンチクラウン ニッサンセドリックセダンと言えば…今回はアンチクラウンともいえた、セドリックである。以前取り上げたグロリアとは名を変えた姉妹車ではあるが、グロリアが高級スポーツのイメージに対して保守的な高級車であるのがセドリックである。
またグロリアがもともとプリンスの車だったのに対して、ニッサンがアメリカ車を意識して投入された大型セダンだったのがセドリックと言うところもイメージにあるかもしれない。

私の記憶ではスカイライン同様、刑事ドラマでの起用が多く、古くは「特捜最前線」「西部警察」「あぶない刑事」などであったが、だんだんと姉妹車のグロリアを起用することが多かったように思う。

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ちょうど自分が免許を取得するかどうかというときにセンセーショナルなCMでクラウンよりも都会的なイメージで登場したのが、7代目のY31系のセドリックだった。
近年クラウンが様々なカラー展開で注目されたが、当時の大型高級セダンと言えば、白か黒、また茶色であったのだが、この時はワインレッドを採用し、坂本龍一ら新進気鋭のアーティストを起用したCMであった。

またスポーツ系のグランツ―こと「グランツーリスモ」をグレードを設定したのも斬新であった。「ブロアム」という保守層をターゲットとしたグレードよりも魅力的になったのも間違いないだろう。

ただ、クラウンの牙城があまりにも高いことや欧州の輸入車に対抗すべく、その後ニッサンは「シーマ」をデビューさせることになるわけだが、結果セドリックはその陰に隠れてしまう。
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またモデルチェンジでヘッドライトを4灯化させ、さらに高級らしからぬエクステリアを採用したが、「Mr.g」としてグロリアの方がさらに注目されることになった。その後、クラウンのモデルチェンジでエクステリアが不評だったことから、キープコンセプトだったセドリックは販売持ち直す。
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ちなみに鉄道カメラマンの坪内政美氏が999999㎞を超え、100万キロに到達したのもこの頃のセドリックである。

しかし、このあたりから日産の迷走が始まり、表現が良くないが個性のないオーソドックスなエクステリアの9代目に移行する。結果、最終モデルではセドリックはグランツーリスモはなくなり、ブロアムに一本化された。

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クラウンの対抗馬として4ドアハードトップをラインアップしたことで人気を博したが、輸入車やバブルによる車の高級化と多様化によってライバルだけでなく、派生の姉妹車に人気を奪われてしまった悲運の高級車ともいえる。ライバルがあるからこそ、ライバルにないものを求め取り入れたが、ニッサンはフーガという新たな高級セダンに移行したことにより、セドリックと言う名は消滅した。奇しくもフーガも日産は育てられなかった。今、クラウンはセダンだけでなく、海外に輸出をし様々モデルをだすことで延命を図っている。もし、セドリックを残していたら、どのような派生モデルができただろうか。

Posted at 2024/08/13 12:02:47 | コメント(1) | トラックバック(0) | セダン | 日記
2024年06月16日 イイね!

セダンと言えば…その44 XVL改め V35スカイライン  追記あり

セダンと言えば…その44 XVL改め V35スカイライン  追記ありセダンと言えば…今回はその歴史に至っては異端児と言えるV35スカイラインである。日本では、それまでのスカイラインから明らかに違うところに位置し、直列6気筒から離れ、V6気筒エンジンを搭載し、デザインはポルシェに協力をしてもらったという思い切ったセダンであった。

主査は、水野和敏氏。その理論からスカイラインの本来の考え方に立ち戻って開発されたことをテレビ番組でも公にしている。
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ウィキペディアによると以下コピペ

開発当初このモデルはスカイラインとしてではなく、インフィニティブランド向けの完全な新規モデルとして、日産のFR車のパッケージングを革新する布石となる世界に通用する高級セダンを目指して開発された。R32型の成功以降のスカイラインの右肩下がりの販売台数と日産の経営状況の悪化のためにR34型の後継車の開発の凍結が決まっていたが、1999年の東京モーターショーにXVLを出品した際、好評を博し、またXVLのコンセプトがスカイラインの根源的なそれと重複する部分も多かったためにXVLが次期型スカイラインとなることが決定された。
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V35型以前のスカイラインはそれまでのスカイラインの固定観念にとらわれ、プラットフォームを大幅に変更することさえままならず、スカイラインが9代目R33型であった際に次期型でプラットフォームを大幅に変更することが計画されていた。また、R34の開発主管だった渡邉衡三も実際に、R34開発当時、水野和敏車両計画課課長の提案は魅力的で、実際に試作車にも乗り、V35のパッケージを採用したいという意を強くした。しかし、ATTESA E-TSとV型エンジンの組み合わせがシーマ用のVHエンジンしか存在しなかった事で開発期間が延びる事やVQエンジンを製造するいわき工場が月産2万機の1ラインだけでフル稼働中だったことから第2ライン新設の莫大な費用問題などから実現には至らず、次期型のR34型はR33型からのキープコンセプトとなり、その1世代後のV35型にモデルチェンジするにあたってようやく新たなパッケージングを採用し、大幅な改変を行うことに成功したという


グループCの考え方からフロントミッドシップパッケージや、そのインテリアの細かいところまでドライバーを中心に据えながらデビューしたこの車は、北米ではかなりの高く評価されたのに対して、スカイラインという特別な歴史とファンを持つ日本では、ルノー傘下に入った日産の経営時期と相まって批判も多かった。

しかし、ステアリングとメーターが一緒にドライバーに合わせてセッティングできたり、セダンでありながら後部座席はリクライニング機能を持たせたり、リアのブレーキランプはLEDを採用したりと商品性としては高かった。
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スカイラインが普通のセダンではないという以前からの商品性と、スカイラインの伝統と言われる丸形テールランプなどなどの歴史が帰って邪魔になって、新鮮な商品の本来の良さを市場が見いだせなかった悲運のセダンともいえる。
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以前はよく警察24時にて覆面の機捜のパトカーで活躍しているところをよく見かけていた。特に神奈川県警のトヨタの直列6気筒のセダンとのオオトリ物は、動画サイトでも見ることができる。
今でも車庫にニッサン車が2台並んでいるところにセカンドカーはノートでもう1台は、この古めのV35スカイラインを手放さずにおいているところを見かけるところがある。乗らないファンには人気がないが、実際に購入したオーナーにはやはりスカイラインだったと言える車だったかもしれない。
Posted at 2024/06/16 09:25:15 | コメント(1) | トラックバック(0) | セダン | クルマ

プロフィール

「@Axeloid さん ありがとうございます。凄い作り込みですね!素組みしただけでもいいんですが、ここまでの制作は素晴らしい!アップしたのが恥ずかしいです(笑)」
何シテル?   09/07 09:18
妙にこだわりのあるへんなやつですがよろしくお願いします。あまりうまくしゃべれません・・・・人付き合いが下手です。泣 最近、突然フォローの申請をされる方がおられ...
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