
←植村直己著「青春を山に賭けて」。本、何度も読んだんでボロボロ。右、ユーミンの「星のクライマー」が入っているアルバム。
先日、モーリス・エルゾーグ著「処女峰アンナプルナ」を探していたら、この本が目に付いた。私にとってこの「青春を山に賭けて」と、堀江謙一著「太平洋ひとりぼっち」、小澤征爾著「ボクの音楽武者修行」は三部作。この三冊、何回も何回も読みました。彼らの一途な思いとアメリカの大きな包容力を感じた三冊。
植村直己氏、フランスのモルジンヌにいる時に明治大学のゴジュンバカン遠征隊に呼ばれ、遠征隊に参加した。頂上アタックに成功せずに、最後のアタック隊に植村とシェルパのペンパ・テンジンが指名され登頂に成功。
植村はトップでルートを開拓しながら登ったので、それで体力を使い果たした。頂上直下、ペンパが最後の一歩を植村のために残した。しかし、頂上直下でのビバークを余儀なくされ、彼は毛の下着とセーターとヤッケという装備、テンジンのフランス隊から支給された暖かい羽毛服に凍りつくクレバスの中で抱きついていた。
植村氏は一緒の帰国を促されたが、遠征の準備や推進の努力をした皆に申し訳ないという気持で日本に帰国せずに一人モルジンヌに戻った。
植村氏がモルジンヌ・スキー場に求職に赴いたとき、面接したのがディレクターであるジャン・ビュアルネ氏、スキーは出来るのか(絶対条件)と聞かれた時、氏の前でスキーの格好をしたそうだ。植村氏、スキー経験無し。ジャン・ビュアルネ氏は植村氏を雇ってくれた。でも、始めは5mも滑れなかった彼が大会に出場する程の足前になったと言うからすごい。(ジャン・ビュアルネ氏、アルペン滑降の第一人者、オリンピックの金メダリスト。)
エベレストの南壁の国際隊に山岳同士会の小西政継氏と一緒に指名されたとき、小西氏はトレーニングを兼ねて植村氏を連れグランドジョラス北壁に挑戦する。しかし、大寒波が彼らに襲い掛かり、小西氏は足の指10本を凍傷で失う。他のメンバーも凍傷で指を失うが植村氏ともう一名は無傷、小西氏はマナスル登頂後に消息を絶つ。
植村氏、日本人初のエベレスト登頂者、そして世界初の5大陸最高峰登頂者。その他にもパイオニアとしての業績が数多くある。
・・・・・
「星のクライマー」は植村氏とその奥様である公子夫人を知ったユーミンがREIMYのため詩を書き、REIMYが曲にした。写真のCDに入っているのはその初のカバー。
『星のクライマー』(松任谷由実)
植村直己さんとはなんの面識もなかったんですけど、植村さんに啓示を受けて、歌詞を書きました。麗美の作品を作っている時期で、彼女の中に無垢の人を見守るようなところがあって、そこに触発された部分もありますね。昔は冒険的なことって、バカじゃないのと思っていたんですが、70年代後半に友達から冒険の素晴らしさを教えられて、人がフロンティアに行くことの尊さを実感するようになったんですよ。
パリ・ダカールラリーにくっついていったこともあるんですが、自分もラリーに出るために免許をとって、エントリーして……と、考える余裕があるなら、今、自分がやっていること自体がラリーと一緒なんだから、そこに立ち返ってやろうと。結局、人はそれぞれがクライマーであるというところに収束すると思っているんですが、この曲も今の自分の気持ちのままに歌いました。
松任谷由実 「星のクライマー」
麗美:「星のクライマー」
星のクライマー
Mt. McKinley: Naomi Uemura 1984
※
今朝、なでしこを見ようと思って2時30分に起きた、でも寝てしまったようで、あっと思って起きたら試合終わってた。勝った!!!!!
昨日のブログでiCの名前を間違えていた、上野原じゃなくて「相模湖」。そっと直した。上野原全く関係ありません、犯人扱いしてゴメン。
ブログ一覧 |
山とスキーだね | 日記
Posted at
2011/07/18 11:18:38