
9月19日から始まった
MOMATコレクションに行った。
全26点、その内の14点が1941年から1945年の描かれた
所謂戦争画を言われる作品。
全てが見上げないと全容が見えない大作ばかり。
戦った一人々の兵士や民の思いを、藤田嗣治が代弁したか
のように感じる。
出品リストをみると藤田嗣治の戦争画の「収蔵経緯」の
項は「無期限貸与」になっている。これは戦後GHQに接収
された「戦争記録画」153点が1970年に日本に返還され
東京近代美術館に収蔵されているからで所有権は未だに
米国になっている。戦後は終わっていない。
藤田嗣治の戦争画はネットでも見ることが出来、多くの方々が解説・解釈をされている。
しかし、現物の前ではその迫力が圧倒し、足を止めさせてしまう。
藤田嗣治、失意のもとに日本を離れ、憤怒、日本国籍を捨てフランス国籍を得る。
今回の展示の中に日本をこよなく愛した駐日フランス大使のポール・クローデルの著作の
挿絵も展示されていた。姉カミーユ・クローデル、カミーユはその芸術性をロダンに利用
された。ロダンは妻と別れカミーユと結婚するとの約束をしたがロダンは果たさなかった。
カミーユは精神を病み「ロダンがアイデアを盗みに来る」と言いながら精神病院で孤独な
終末となってしまった。ロダンの「カレーの市民」、カミーユが絞り出したアイデアだった。
「地獄の門」構成する手や足、多くがカミーユの作、どちらにもカミーユの名は無い。
日本に現存している藤田の戦争画、一度に見られる機会はめったにないと思う。
サイパン島同胞臣節を全うす
シンガポール最後の日
アッツ島玉砕
ネットミュージアム【第三期-特別章-】藤田嗣治展/大星洋アート 1:26
イサム・ノグチの「門」の基部にあるサイン。
・・・・・・・・・・
見終わってから昼飯を食いに丸の内へ。
やはり連休、いつもの祝日より人出が多かった。
KITTEのテラスから東京駅と「かがやき」
いつものように町村牧場のソフトクリーム。
いい天気でした。
・・・・・・・・・・
帰路は広尾・恵比寿を散歩してから。
広尾、ソレイユ。河口湖湖畔にあった中原淳一美術館、無くなって久しい、今は
北原ミュージアム。
ガーデンプレイスでは「恵比寿麦酒祭り」、アメリカ橋の交差点から目黒清掃工場の煙突。
ブログ一覧 |
絵とか彫刻とか | 日記
Posted at
2015/09/22 16:01:21