
Wikiにあるように日本の弓は古来大弓と言いますよね、判り易いようにタイトルを含め、以下和弓と書きます。
最近は下火にはなっているけど、又、突然燃え上がるんでしょうね某国の起源論。弓、はじめはお隣の半島の方々が起源を主張されてましたけど大陸の方も参戦しましたね。
某旭日旗を社旗にされているある新聞社の以前の社主の方は半島の方々は「兄の国」とおっしゃっていました。
・・・和弓は教えて頂いた結果なんですか~ぁ。・・・
大陸や半島に何とか残された弓が描かれた壁画、そして現在の大陸と半島で使われている弓。当たり前だけど同じ形。短弓と言われるモンゴルを起源とする弓ですよね。どちらにしても和弓はこれらの弓と類似点が全く無い。
和弓、世界に類の無い長弓。一見上下対称のように見えるけど非対称。そして他の弓は弓の長さの真ん中を握るけど和弓は下から1/3の所を握りますよね。(三倍振動の節)弥生時代の銅鐸に彫られた弓、すでにこの頃から何処を持てば一番いいか知っていた和人。
振動は一番少ない位置を持つと命中率が上がるという事を経験でつかみ、それを具現する最適な形状に昇華させた。
何故、世界に類のない形状と持ち方の弓が造られたんだろうか、不思議だ。
↓
国宝 銅鐸 伝香川県出土 弥生時代(中期)・前2~前1世紀

↓倭国では「かえる」や「うさぎ」でらす弓の持つ位置を学んで知っていた。

↓縄文時代に使われていたと言われる
井戸尻考古館の丸木弓。
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下の画像は半島や大陸に残された壁画に描かれた弓、形はモンゴル弓そのものですよね。後年、日本では火縄銃の時代になりすたれていったけど、半島では火縄銃の尾栓のねじが造れず銃の製作は失敗し、銃への移行は近年まで持ち越された。
この残された壁画を見れば和弓との関連性が無い事がわかりますよね。
↓吉林省集安市

↓陝西省横山県、元代の壁画

↓高麗古墳群、徳興里古墳

↓左:モンゴル弓、右:半島
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弓道、終戦後、GHQの命令により武道全般の学校教育は禁止され、弓道ももちろん禁止された。弓道が許可になったのは昭和26年、戦後6年目の事。
Wikiの騎兵の「日本における騎兵」の項にこんな記述があります。
・・・引用ここから
元寇における鎌倉武士の様子をモンゴル帝国の官吏・王惲は「兵杖には
弓刀甲あり、しかして戈矛無し。騎兵は結束す。殊に精甲は往往黄金を
以って之を為り、珠琲をめぐらした者甚々多し、刀は長くて極めて犀な
るものを製り、洞物に銃し、過。但だ、弓は木を以って之を為り、矢は
長しと雖えども、遠くあたわず。人は則ち勇敢にして、死をみることを
畏れず」
・・・引用ここまで
↓元軍を弓矢で攻撃する白石通泰ら。

↓弓で撃たれ逃げる元軍。
元軍、和弓に責められて大変でしたね。
元軍に勝ったのは台風説があるけど、実際は負けて逃げ帰る時に台風に襲来され、その結果全滅したんですよね。
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弓道鹿児島archery15ナショナルジオグラフィック 武士道と弓矢 #1 YouTube
DAILY MOTION 武士道と弓 ナショナルジオグラッフィック
御弓師 XXI 柴田勘十郎
弓道で暗闇の中でも的を射ることができるか?吉本清信 範士の正射正中 kyudo
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和弓、三倍振動の節を握る事が特徴ですが、設計でこれと同じ方法を使った事がある。
昔、パワーアンプの筐体を設計した時、筐体の振動について気を使った。アンプの筐体を叩いた時に不快な共振音が出るのはいただけないので。本業だったテープデッキでは振動源となるモーターと振動を嫌う磁気ヘッドが同じシャーシにあるので構造や固定位置・方法に頭が痛いやっかいな一面がありましたけど。
下の写真で上面のパネル(10mm厚のアルミ板)を固定している6本(赤丸)のボルトの位置。和弓と同じく、2本のボルトは長手方向の振動(三倍振動)の節の位置(1/3の位置)にした。普通は等間隔に止めますよね。目論見通り不快な共振音の発生は抑制できた。でも、この方法は当たり前ですがどんな条件の時にも適用できる訳じゃないんでご注意を。
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2015/10/23 09:12:03