
訴えられた2013年の冬富士での救助活動中の事故対応か?
2016年01月24日の読売新聞の記事。
「
ヘリ救助上限、3200メートルの山…静岡市長」
・・・引用ここから
市消防航空隊が2013年、富士山で滑落した登山者
を救助中にヘリコプターから落下させ、この登山者が
死亡した事故を受け、再発防止策として、市消防局が
ヘリで救助できる山の高さに3200メートルと上限
を設けたことを明らかにした。
・・・引用ここまで
2013年の12月に冬富士の標高3,500mで、遭難救助活動中に要救助者の落下・死亡について救助側の不手際という事で9,170万円払えと民事で訴えられた。裁判はこれからだろうが静岡市側は今後の対応として3,200m以上の救助活動は行わないと決定したそうだ。
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遭難の経緯は概ね下記の事だと思う。
馬鹿な訴えをしたもんだと思う。
京都府勤労者山岳連盟の事故調査によると事の発端はメンバーの内の一人のアイゼンのツアッケの摩耗が判明し登行不可能と判断し、下山を開始した。しかし下山の為にステップを切っていたらその切った氷片が下方の登山者に向い、その登山者から抗議を受けステップを切っての下山をあきらめた。
富士の硬い氷の斜面に食い込まないアイゼン、苦渋の結果彼らのパーティーはアンザイレンを選んだ。経験豊富な彼らはその危険性を痛いほど知っていたはずだと思う。その知っていた危険な事故が起きた、アンザイレンしていたパーティー4名が滑落。
その滑落を目にしたステップカットを抗議した登山者、救助に向かった。遭難者の一名をブリザードパック(緊急寝袋)に入れた、しかしこの事が救助活動中の落下を招いた。股下に通すハーネスが通せなかった。(静岡県側の報告書にはナイフを装備していたらとあった)
ステップカットを理解し抗議(下方の登山者側は注意と言っていたが、遭難したパーティーは抗議と受け取っていた)をしなければ彼ら4名のパーティーはアイゼンが利く所まで下山できた可能性はある。そして遭難者をブリザードパックに入れなければ救助活動中の落下はありえなかった。
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元々、市消防航空隊の活動範囲は市内最高高度の間ノ岳3,190mを基準としていた。今回の遭難は県との協定で県のヘリが点検中で出動出来ないので県からの依頼を受けた市消防航空隊の出動となったようですね。
救助の確率を100%なんてたまったもんじゃない。もちろん隊員は絶対に救助するという強い意志で救助活動に臨んでいる。その救助する側は命がけ、現実的に救助中に殉職する隊員がいることは訴えた京都府勤労者山岳連盟は知らぬはずはないですよね。
隊員の「命」は軽いとでも?
何方も異口同音におっしゃられているけど登山はあくまでも「自己責任」、これは不変。冬富士なぞその「自己責任」の上限、この時の市消防航空隊の隊員は活動中に低体温症と凍傷を負った、その状態で長時間の救助活動を行っていた。それを責めるのか?
落下した要救助者、何故隊員は捜索に行けなかったのか。凍傷を負い力尽き上司の判断は撤退。20m近い風の中、そして夕刻、続ければ確実に二重遭難が待っていたと思う。多くの方々が言っているけどこれが責められるのかと思う。
法令で救助ヘリなぞ失くしてしまえばいい、でもそんな事をすれば今度は「人命を無視するニカ」と言い始めるんでしょうねリベラルの方々は。
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↓その時の市消防航空隊の動画がアップされていた。
13/12/1 富士登山 救助ヘリ
救助活動は標高3200mまで 静岡市消防ヘリによる落下事故
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↓ガスの中、涸沢側から穂高岳山荘に救助に向かったトーホーエアーレスキューのヘリ。
穂高岳山荘に救助ヘリ着陸。JA9192
↓涸沢小屋の方の山岳救助活動記。
MT Hotaka mountain rescue 山岳救助
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山とスキーだね | 日記
Posted at
2016/01/27 11:25:14