
←卒業生からノーベル賞受賞者が出た場合の胸像用の台座
が立ち並ぶ民族史観高校。
下は同じ目的の浦項(ポハン)工科大学の台座。
3月28日の中央日報日本語版に掲載されていた記事、『
若い教授に年1億ウォンずつ10年支援、ソウル大ノーベル賞「200億ウォン大計」』。
ま、記事の内容はノーベル賞を獲得するたに、若い研究者に資金提供して育てようという事だけど設備費はどうするんだろうね。でも記事にそれより気になった部分がある。
・・・引用ここから
成総長は「日本の中村修二教授は米国の大学の支援を受けてノーベル賞を受賞した。このようなケースのように潜在力がある学者を外国に奪われないためにも今回のプロジェクトは必要」と述べた。
日本の徳島大で修士学位を受けた中村修二教授は日亜化学工業の研究員として入社した後、研究成果が認められないため、カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授職の話を受けて米国に渡った。その後、青色発光ダイオード(LED)を世界で初めて発明した功労で2014年にノーベル物理学賞を受賞した。
・・・引用ここまで
何だか、この文章を素直に読むと、中村は日亜に認められず、カルフォルニア大学へ行き、そこでの研究の結果青色ダイオードを発明したって読めてしまう。
中村修二はクリー社から提示された20万株のストックオプションを提示され、中村修二もクリー社に自身を売り込んでいた事もあってヘッドハンティングされた。クリー社が中村に提示した条件は日亜化学を叩く事。そこから裁判費用をクリー社が丸抱えした所謂404号特許裁判が始まったわけですよね。
中村修二とクリー社は知らなかった、「青色LED」は404号特許で作れない事を。
裁判過程の中で中村とクリー社はそれを知った、でも時すでに遅し。日亜化学は和解に応じ、8億円が中村の手に渡った。その後日亜化学は404号特許を放棄。和解は中村陣営にとっては屈辱、中村はこれで日本に帰ってこれなくなった。
ヘッドハントしたクリー社、中村修二を雇用すれば守秘義務違反で訴えられる。そこで中村はカルフォルニア大学にいかざるをえなくなった。そして中村修二はベンチャーのSORAA,Incを起業した、その出資者の一人がSORAA,IncのCEOをしている김병국(Eric Kim)氏。そんな訳で中村修二はソウル半導体の技術顧問。
↓中村修二のSORAA,Incの社内でポーズするEric Kim。
中村修二は韓国でも講演を行っている、多分日本で行っている講演と同じように剥き出しの自我満載の話をしているんでしょうね。記事の言うような「カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授職の話を受けて」なんて話は日本ではしていないはず。
記事の「米国の大学の支援を受けてノーベル賞を受賞した。」なんて記述は噴飯物以外に無い。多分、中村修二が韓国ではそのような講演をしているんでしょうね。同じく記事の「研究成果が認められないため、」って言ったって役員並みの給与を受けていたのはあなたでしょ。そして部下の研究論文のファーストオーサーに勝手になって会社の金で世界各国にその部下が書いた論文の講演に回っていたのはあなたでしょ。
日亜化学であれだけ自由に金と時間を使い、それが奴隷だったと・・・いい加減にしろ。何でノーベル賞か、今でも疑問。
特許の報酬がたった2万円と中村は言うが、それは当たり前の契約社会。安い報酬で働かされたと言うが、役員と同等の報酬を得ていて何が安い報酬?でもね、何で404特許が青色LEDに使えなかったか知らなかったの?この件については過去のお話では一回も出てこないよね・・・
あんたが作った青色LEDはいわば既存の追試で、決して新たな方法じゃなかったよね。
ネットにはここら辺の事情がいやという程書いてある。読んだ方も多いはず、マスコミの目に触れぬはずは無い。でもマスコミは無言、これも不思議だ。
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二三日前、テレビから22才の別れが流れていた。
あの頃、ボーナスが無い事もあった、忙しくて終電車や会社に泊まり込むなんて事も。でも休日(週休2日じゃない頃)には、春から秋は登山、冬から春はスキー。
中村修二が実験機材を自分で作らされたと言っていたけど、そんなのは当たり前。ガラス管細工やある程度の工作機械が使えない化学屋なんて聞いた事も無い。
あたしゃ機械屋だけど、測定器の回路をいじるなんて結構していた、皆そんなもの。
懐かしの昭和フォーク 風22才の別れ
二十二才の別れ
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2016/03/30 07:37:53