
柳沢峠を越えて山梨県立文学館に行ってきた。企画展「北杜夫展 ユーモアがあるのは人間だけです」。
北杜夫、辻邦夫、堀辰雄、好きな作家です。特に北杜夫。「白きたおやかな峰」は厳重にカバーをかけて山に持って行っていた、テントの中で読んでいた。1980年頃からの作品からは、何故だか遠ざかってしまった。違ってきてしまったと感じたからかな、それまでの作品は全部読んだけど。
北杜夫の著作を読み始めた頃は登山をしていた頃。「谿間にて」や「どくとるマンボウ青春記」に島々や徳本峠の名前が出てくる、あのあたりを歩き回っていた頃なので北杜夫と同じ風景を見ていたのかもしれない。彼の著作、上高地・穂高の文字は煩雑に出てくる。
「みんな、よく堪えているものだと感心します。」で書き始められる「パンドラの匣」、「夜と霧の隅で」、「幽霊-或る幼年と青春の物語」、「星のない街路」、「牧神の午後」・・・誰もが同じだろうと思うけど、何回読み返したか。
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展示されていた松本高校時代のノート。(玉音放送を聞いた宗吉、抜粋)
・・・引用ここから
8月15日(水)
永久に忘れ得ない悲壮なる日だった。
重大発表があると云うので広場に昼に集まった。
神国日本は敗れたのだ。
嗚呼、三千年の伝統は昨日遂に侵されたのだ。
俺達は泣いた。解散してからうなだれて俺達はだまっていた。
それから涙の中に立ち上がった。
涙の中で本を読んだ。
全く俺達より他に日本を再建する者はいないのだ。
この日の気持ちを忘れない限り、永久にファイトを出して頑張らねばならぬ。
眞の純なる涙をしぼりにしぼったこの日、この空を勝利の二字の前にこぼしたかった。
・・・引用ここまで
斉藤宗吉18歳の時。
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今は差別用語だけど、子供の頃に何かあると「キチガイ病院に入れるぞ」という脅かしがあった、その病院とは青山脳病院。北杜夫が斉藤宗吉の頃に遊びに行った有栖川公園、私もザリガニを採りに行っていた。有栖川公園の回りは随分と変わったけれど、公園は子供の頃の記憶のままにある。
勿論、斉藤宗吉が遊んでいたなんてのは北杜夫の随筆を読んでからだ。有栖川公園の隣にあるナショナルマーケットとそれに続くドイツ大使館、誰の御屋敷なんだかは子供の頃は全く気にしていなかったけど大きな御屋敷だった。
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こんな時間に出発。
いつもの大麦代で小休止。
道の駅「たばやま」でも小休止、珈琲を頂く(帰りにも寄って頂いた。おいしい!)
往路、登り。
柳沢峠、駐車場は登山者で満杯なのでスルー。
下りでいつも気になっているパラシュート。やってみるか。
で、山梨県立文学館。
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帰路、富士アイスの店名と「じまんやき」の幟。酒折の駅の駐車場に車を停めて戻ってみた。上田に行くと必ず富士アイスに寄るんで聞いてみた、すると上田のお店とは親戚との事。
青梅街道を登る。上の方は紅葉。
で、柳沢峠。往きは富士は全く見えなかったけど、少し見えた。富士アイスで買ったじまんやきを頂く。
帰る下り。紅葉がきれい。
タバスキーの電燈も点いた。
帰還。
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奥多摩に降りて、某宗教団体の研修所あたりから出てた車に、下の動画の軽四輪とおなじように煽られた、出てきたあたりから吉野街道の軍畑までズットね。軍畑で信号待ちがあったので振り返って写真撮ろうと思ったら脇道に逃げられた。残念。
私の前車は高齢の方が運転する軽自動車、制限速度は守って走っている。こおのあたりは制限速度で走る車は少ないけど、流れに乗れないからって非難するのは下衆。あたしゃ車間距離を守って走ってるのにね、黄色い線を跨いで追い越す勇気までは無かった模様。
↓この動画の場所は奥多摩湖、今日往き帰りに走った所。
危険運転軽トラ
煽り運転する軽トラ
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ドライブ | 日記
Posted at
2016/10/23 09:33:33