
←吊り尾根で、下に見えているのは梓川と上高地、左岸と右岸の両方に建物がある所がかっぱ橋、その右端に離れてポツンとある赤い屋根の建物は上高地帝国ホテル。担いでいるのはガーネット・レッドのヴィンテージ・ケルティ、一人で無い時の小屋泊まりではこれを担いでいた。
昨日、本屋に行ったとき、登山関係の雑誌を少し捲っていた。大体は目次をみてからパラパラして終わるけど、パラパラしてページを繰ったら「歩き方」なんてのが目に付いた。そこだけ見たら歩き方について「下りはつま先から」と短文で記されていた。
そして体幹は真っ直ぐに(鉛直の事かな)と、すなわち山の下りでは「気をつけ」の姿勢でつま先から降りると書いてあった。この雑誌、山ガールの層を対象とした雑誌だと思うけど、以前に他の大手雑誌でも同じように「下りはつま先から」と解説していた。
下りのショックを和らげるのに、足首の関節を使ってショックを和らげると言う。そして体幹は真っ直ぐに、すなわち垂直にと言う。私はそんな無理な方法で下山はできないし、そんな方法で下山したら危険この上ない、そして体を痛め、体力を無理に消耗するだけ。
もしかして足首を固く固定している普通の登山靴が前提ではなく、足首の浅い軽登山靴(トレッキングシューズ)が前提なんだろうか?でも、ハイキングでは無くてアルプスの稜線のコースを案内している雑誌なんでそのトレッキングシューズが前提という記事ではないよね。
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足首の固定が必要という登山靴の基本機能が、つま先から先に地面に着地させたいという著者の希望と相反する。登山靴を履いて足首の角度を変えるような動作が出来ると思っているのか?登山をする人達は、「つま先から先に」という事は強く否定すると思う。そんな危険な歩き方をする人はいないと思う。
基本的に、足の置き方はフラット。足首のクッションと言うけれど、足首が固定されている登山靴で、足首の可動領域をクッションにつかうなどという事は不可能。拇指球辺りが先に着地され、続けて同時に足裏全体で地面を踏むことがほとんどだと思う。
残雪期に雪の斜面を下る時は踵を斜面に打ちつけながらアンカーを作って下る、登りでがつま先で雪の斜面を蹴ってアンカーを作りながら登る。雪の斜面でつま先から降りたらどうなるんだろう、やった事は無いけど多分スリップですよね。
「足首をクッションに」というのは一見聞こえがいいし「なるほど」と思わせるかもしれない。そんなことが出来るならその動作見本をYouTubeあたりで見せてほしい。着地のショックを緩和するのはヒザと腰の動きじゃないんですかね。
足裏の着地と同時(並行して)ヒザを前に出す、この事で着地のショックを緩和する。ヒザの前への動きは体全体を斜面に合わせて体を斜面に添って下方に移動させ、体を進める蹴り(登山の場合は蹴ると言うより推力の感覚)で使った側の足を自然に斜度に合わせて着地させる動きに繋がる。
当り前だけど登山には脚部の筋力が必要、スキーのワールドカップクラスの女子選手、足を捩じる筋力はプロのサッカー選手と同等とのレポートが以前ありました。登山には捩じる筋力はあまり使わないと思うけど、平地を歩く筋力だけでは荷を担いだ長時間の歩行は出来ない。
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そして「体幹は真っ直ぐに」と言うけど、ザックの重量は問題にしないのかな。重心点という言葉があるけど正にその重心点という問題。当たり前だけど、何も背負わなければ重心点は体幹の中心を通る。
背中にザックという荷重がかかれば重心点はそのザックの重量で後方に移動する、これは安定とは相反する。人間は自然とその荷重を判断して、重心点の最適化の為にわずかに前屈をする、これを行ってはいけないと言うのかな?
良くスキーで「バランス感覚が大切」と言いますけど、このバランス感覚は地球の重力に対するバランス感覚ではなくて、斜面形状や滑走スピードから求められるアンギュレーションが取れるか否かですよね。例えばギルランデなんて正にこれですよね。
bergfex Skikurs: Freeriden/Tiefschneefahren für Einsteiger - Skifahren
↑1:40あたりから。
いつもそうだけど、上高地とか山岳地に行ったとき、登山者の歩き方はいつも気になる。スキーがうまい方はスキーを持った歩き方も実に安定しているけど、同じように登山者の足の運びも気になるのでいつも観察してしまう。
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以前、昔の写真をスキャンしたデータがあったので貼ってみた。当時は一人でテントが多かったので、カメラを持つより「食糧」という姿勢で写真は少ない。私が背負えるのは25kKg程度が限界だったのでほとんどカメラは無しでした。下の写真、随分と前の写真なんで人相は今と全く違うので修正しませんでした。
槍ケ岳、横尾山荘前の休憩時(槍沢ロッジに宿泊)の写真だけど、風景が今と違いますね。
蝶ヶ岳、当時山頂には板しか無かったけど今は山名を彫った石があるようですね。

↑合戦小屋付近から槍の遠景、子槍も見えます。
奥穂へ。涸沢ではテントを貼った事は無い、北尾根のモルゲンロートを涸沢小屋から見るのが楽しみだったから。涸沢小屋、今は大きいんですよね、出入口は以前は側面でした。今は岳沢小屋ですが、雪崩で飛ばれる前は岳沢ヒュッテ。タイトル画像が奥穂頂上を経て吊り尾根。

↑涸沢小屋、今は大きくなったようですね。

↑穂高岳山荘前で(白出乗越)。

↑雪崩で飛ばされる前の岳沢ヒュッテ。
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山とスキーだね | 日記
Posted at
2017/11/01 08:10:51