
石川セリが武満徹作曲の歌を歌ったCDを2枚持っている(タイトル写真のCD)。昨年、日の出山荘に行ったとき、NHK-FMから流れてきた本田路津子の歌を聞いていたが、先日YouTubeで本田路津子の歌った「死んだ男の残したものは」を聞いていた。
ご存じのように、この歌は多くの歌手やコーラスグループが歌っていますよね。何人の方がこの曲を歌っているかなと思ってWikiを覗いたが全員のお名前は確認出来なかった。でも今まで気にしなかったこの曲の経緯、持っているCDのライナーノーツに書かれている製作年と食い違っている事に気付いた。ネットを覗くと何人かの方が同じ疑問を持たれていた。
Wikiによると『谷川俊太郎の作詞、武満徹の作曲による無伴奏合唱のための歌。ベトナム戦争のさなかの1965年、「ベトナムの平和を願う市民の集会」のためにつくられ、友竹正則によって披露された日本の反戦歌の1つである。』とある。
しかし、CDのライナーノーツに書かれている製作年は・・・
↓SERI(1995年発売)
↓MI・YO・TA(2006年発売)
1995年発売の「SERI」では1960年となっており、2006年に発売の「MI・YO・TA」では1960年になっているが、その末尾に「?」が付いているものの、1960年の年号自体はSERIを踏襲している。
浅間縄文ミュージアム編「
武満徹 御代田の森のなかで」、この中に「石川セリの歌で1枚のCDを作った」と書かれた原稿の写真がある。そのCDは1995年に発売された「SERI」、このライナーノーツは武満徹が校正の結果1960年になったはず。
その原稿は武満徹のエッセイ「時間の園丁」の中の「忘れられた音楽の自発性」、こう書いている、「石川セリのうたで、最近、一枚のCDを作った。もちろんこれは、ふだんの私の音楽とは違う、全曲、ポピュラーな、歌謡曲に類するものばかりである。」と。
そしてその原稿に書かれているCDとは「SERI」、当然ライナーノーツは武満自身で校正したはずだ。ライナーノーツの最後に武満徹のコメントが記載してあるから氏が校正しないはずは無い。
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では、何故2006年発売の「MI・YO・TA」では年号の後ろに「?」が付いているんだろうか。武満徹の没年は1996年、「SERI」製作の翌年だ、だから氏は「MI・YO・TA」は見ていない。Wikiにあるように世の中では1965年に「ベトナムの平和を願う市民の集会」のためにつくられたという話が喧伝されているからCD製作者は「?」をつけたのだろうか。
気になってネットで調べたらやはり疑問を感じている方がいらっしゃるようだ。私は持ち合わせていないが岩城宏之指 揮東京混声合唱団が録音した無伴奏合唱曲集に寄せた解説で、武満徹が「1960年の安保集会のために書いた」と書いていると言う。そして何人かの方が1960年の安保の時に歌ったと証言している。
何とも不思議な話だ。
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Wikiにある「ベトナムの平和を願う市民の集会」、これは後のべ平連(ベトナムに平和を市民連合)。全学連が右翼から資金提供を受けていたと同じように、べ平連(小田実ら)もソ連から資金を受けていた。日本赤軍や東アジア反日武装戦線等々の新左翼も名を連ねていた。
日本赤軍はロッド空港で銃乱射事件を引き起こし、東アジア反日武装戦線は昼休みの丸の内で三菱重工ビルを爆破し、多くの犠牲者を出した。日本のリベラル(左翼・極左)は「話し合い・話し合い」と口癖のように言うが、実際はテロリストと何ら変わりが無い。
その「ベトナムの平和を願う市民の集会」、武満徹氏は当初参画していたようだ、しかし左傾化した「ベ平連」、趣旨の移り変わりに疑問を感じ、離れて行った。Wikiによると開高健もこの組織から離れて行った。
「
作曲家・武満徹との日々を語る」にこのような記述がある、武満徹氏がギタリストの荘村清志氏に奉げた「ギターのための12の歌」、その中に「インターナショナル」も編曲されて入っていた。その事について武満氏の奥様の武満浅香さんが述べていられた。(大原:大原哲夫氏、小学館出版局編集長。武満徹全集編集長。)
・・・引用ここから
大原
《インターナショナル》も入っていますね。
武満
あれを入れたのは徹さんね。あの曲はとてもきれいなメロディーだって言うの。だけど日本では労働歌で「立て、飢えたる者よ」と何かそういうイメージが嫌いだっていうの。あの曲のメロディーを聞けば、労働歌として歌うんじゃなくて、同じ「立て民衆」といっても、もっときれいに、みんなで歌えるような曲にしなくてはだめだって、今までの《インターナショナル》の歌い方に抵抗するようなつもりで書いた、と言ってました。
・・・
大原
あの《インターナショナル》をロマンティックに感じた武満さんと、その当時、坂本龍一さんもそうだし、高橋悠治さんもそうかもしれませんが、もっと過激に政治的になっている人たちと、武満さんの思いと離反するところがあるわけですね。・・・
武満
そうなのね。そういう意識はもちろんあるし、社会的なこと、政治的なことに絶対無関心はいけないって。生きていることはそういうことと関係あるんだからと。だけど、それを声高に言うのは嫌いだっていうところがあったんです。それで徹さんは《インターナショナル》の歌をすごく思いをこめて、静かにきれいな曲で訴えたかったと思うのね。
大原
でも六十年代、七十年代初頭の若者はもっとラジカルで、声高に歌っていましたからね。
武満
それはわかりますね、当時の若い人はね。
大原
そこの乖離があった。そういう時代でしたね。
・・・引用ここまで
Classical Guitar of Tabei International
荘村清志 Over the Rainbow オーバー・ザ・レインボウ
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谷川俊太郎氏の詩「死んだ男の残したものは」は1965年代の発表作品として括られている。しかし武満徹氏は1960年作曲としている。
武満徹氏が《SERI》のCDを製作した時、ライナーノーツに1960年と記したのは、作曲した「死んだ男の残したものは」が、氏の作曲した思いを否定された使われ方をしてしまったからなのだろうか。上の対談の武満浅香さんの言葉からはそのようにしか捉えられない。
ベートーベン9番、第四楽章で第一楽章~第三楽章の回想の後にシラーの詩の前に、ベートーベンが自ら書いた詩が歌われる。この解釈は色々とあるようだけど、武満徹氏の思いは「このような音ではない」という所にあるような気がしてならない。だから1960年作曲にしたのかなと思っている。
おお友よ、このような音ではない!
そうではなく、もっと楽しい歌をうたおう
そしてもっと喜びに満ちたものを
↓6:20辺りから。
ベートーヴェン 交響曲第9番《合唱》 第4楽章 カラヤン指揮/ベルリン・フィル
ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱」第4楽章
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「死んだ男の残したものは」は広く喧伝されているように反戦歌なのだろうか。
↓武満氏の書いた「時間の園丁」の中に書かれた石川セリの歌。
石川セリ 死んだ男の残したものは
↓武満徹編曲
無伴奏 混声合唱曲 死んだ男の残したものは
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Posted at
2018/01/10 12:48:02