
10月5日から群馬県立館林美術館で開催が始まった『
ピカソ展 ゲルニカ[タピスリ]をめぐって』に開催初日に行ってきた。群馬県立近代美術館所蔵の「ゲルニカ」、前回は2014年の10月に群馬県立近代美術館でだったので5年ぶり。
作品の損傷を防ぐ為に、展示の機会が少ないのでこの機会をお勧めします。世界に三点しかないゲルニカのタピスリ(タペストリー)、今回の展示では『ピカソ《ゲルニカ》42点の習作』が展示され、その展示の次にゲルニカが展示されている。
フランコの風刺「フランコの夢と嘘 1,2」そしてスケッチ(エスキース)による推敲の過程がゲルニカの展示室前に展示されている。それによって出来上がった作品、プロパガンダと芸術の差。
貧しき食事
貧しき人々
フランコの夢と嘘
ゲルニカ
パンフレット。
ピカソが版画に使った紙は越前和紙。藤田嗣治が「日本にはこんなにいい紙がある」とピカソに持って行ったらすでにピカソは越前和紙を使っていた。ジャポニズムより遥か前の西暦1600年頃、レンブラントはすでに和紙を使ったいたんですよね(「
レンブラントと和紙」をご参照)
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往きは普通なら下道だけど美術館へ行くので圏央道から東北道に抜けで館林ICまで。利根川を渡る手前の羽生PA、いつも楽しみにしていたモロゾフが閉店していた、残念至極。ランチは美術館のレストランと思ったけど、店内が暑く踵を返して退散。
帰りはゆっくりと下道で、足利か佐野のアウトレットに寄ろうかと思ったけど暑くてどこにも寄らずに退散。
モロゾフ閉店、困った。
利根川を渡って。(丁度6シリーズクーペMが第三通行帯を走行中)
群馬県立館林美術館に到着。
帰路、いつものように道の駅「はにゅう」で一休み。
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ピカソのゲルニカ、藤田嗣治が描いた「サイパン島同胞臣節を全うす」や「アッツ島玉砕」が対照作品としてよく引き合いに出されますよね。
ピカソのゲルニカ、愛国者のピカソはナチズドイツに空爆で一般市民が蹂躙されたゲルニカを描いた。そのゲルニカの対照的作品としてよく引合に出されるのがピカソと同様に愛国者であった藤田嗣治の「サイパン島同胞臣節を全うす」や「アッツ島玉砕」。ピカソは市民の無差別空爆を非難したが、藤田は市民の自決を美化したと言う。
しかし、「サイパン島同胞臣節を全うす」、藤田は忠誠を描いたのだろうか。「生きて虜囚の辱めを受けず」の結果の自決なんだろうか?ドラクロワの作品にオスマントルコによるキオス島住民の虐殺を描いた「キオス島の虐殺」がある。藤田の「サイパン島同胞臣節を全うす」、インスピレーションを得たのかオマージュなのかと思える構図。評論家たちの言う「自決を美化するために描いた」という事だけなんだろうかと思う。
サイパン島同胞臣節を全うす

ドラクロワ「キオス島の虐殺」

ドラクロワ「ライオンハント」
「アッツ島玉砕」、絵画そのものより野見山暁治が「四百字のデッサン」で書いた文が藤田を揶揄するように面白おかしく引用され、何処かの国が言う「戦犯」風に追われて当然の印象を与えるがごとくに書いている。
・・・引用ここから(野見山暁治「四百字のデッサン」、戦争画とその後-藤田嗣治)
学校で絵を描いていたら誰かが、面白いぞ、と大声をあげてながら教室に入ってきた。今なァ、美術館に行って、お賽銭箱に十銭投げるとフジタツグジがお辞儀するぞ。本当だった。隣りの美術館でやっている戦争美術展にさっそく行ってみたら、アッツ島玉砕の大画面の脇に筆者の藤田嗣治が直立不動の姿勢でかしこまっていた。当世規定の国民服で、水筒と防毒マスクを左右の肩から交互させて背負っている。脚には皮の長靴をはいて、ともかく見事ないでたちだ。もちろん頭は5分刈りだったが、これもまた似合っている。
・・・引用ここまで
これをこのように書く方がいる。『三か月後に、上野でこの画が公開された。画の前には賽銭箱が置かれ、人々はこの画の前で手を合わせた。藤田は軍装で、直立不動の姿勢で画の傍に立ってい た。何かが乗り移ったようだったとのことである。藤田は、自分の画が拝まれたことを見て、「これこそ快心作だ」といったともいう』。
当り前だけど賽銭箱は藤田が用意したものでは無い、日本に古くからある「投げ銭供養」の行為、絵が痛む為に美術館側が用意したのかと思う。
そして『戦後、彼は戦争画を描いたことを由なく非難されたとして、日本を憎み続けていた。これは彼が多くの同胞を失った日本国民の心情を理解するに至らなかったからであろう。』と書く。
そう書くけど事実は彼は日本を決して憎しんでいない、藤田は後年このように言っている、「戦争画をかいた事から藤田の悲劇が始まった等、私は私の悲劇とは思いません。日本人として祖国を思う日本人がした丈のことです。した事も後悔していません。」と。そして「私はこれを悲劇とは思つてない。特に単に日本国を天皇制国家とは思つて居ない。日本は我等の日本であつて、吾等が守らなけれバならぬと思つた」とも。
アッツ島玉砕
藤田はGHQから何の御咎めもなかった。朝日新聞は戦中は戦意高揚の記事を書いていたけど、戦後は戦争画を描いた画家らの追及を始め、藤田に集中的に責めはじめた。そしてその結果藤田はGHQの協力でアメリカに渡り、そこからフランスに渡った。
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レオナルド・フジタへのオマージュ。
fashiontv | FTV.com - JIL SANDER - MEN S/S 2010 MILAN
Défilé Christophe Lemaire Spring Summer 2011
モンパルナスの日本人 Leonard Foujita in Montparnasse
Later years of Leonard Fujita レオナール・フジタの晩年
↓フランスに渡ったフジタ、「日本を憎み続けていた。」と言う方がいるけど、祖国日本を決して憎んではいないですよ。
藤田嗣治の肉声テープ発見 日本への思慕語る
↑2019/10/11追記。
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こんな記事があった。
米国を拠点に活躍するジャズ作編曲家、挾間美帆が10月にデンマークラジオ・ビッグバンド(DRBB)の首席指揮者に就任した。DRBB首席指揮者はこれまでサド・ジョーンズ、ボブ・ブルックマイヤーら、米ジャズ界で指折りの作編曲家が務めた名誉あるポスト。
彼女がコペンハーゲンに到着した際、バンドのメンバーが楽器で彼女を出迎え、指揮棒を渡した。ほのぼのとした風景、いい!
The Welcome // Danish Radio Big Band & Miho Hazama
Crisis in the Danish Radio Big Band
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某国のように唾棄打擲するためだけに銅像を作ると同じく、写真を燃やし、その灰を踏みにじる映像を芸術と称する。鎮魂、何処行った!
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絵とか彫刻とか | 日記
Posted at
2019/10/10 13:25:44