
堀辰雄氏の「木の十字架」の冒頭、
Hさんという教会の管理人との話で始まる。
この写真はその対話の中に出てくる、教会を設計した
アントニン・レイモンド氏の夫人が製作した彫像。
軽井沢聖パウロカトリック教会。
彫像は教会の建物の左側面にあります。
私はキリスト教の信者でもないし、敬虔という言葉の意味
もまだ良く判らずに歳を過ごしてしまっている。
映画「ブラザー・サン シスター・ムーン」で、フランチェスコが
ローマの教皇さまに謁見に出向く。
無事教皇さまのお許しを得、フランチェスコが教会を立ち去る時、
居並ぶ司教の一人が「これで貧乏人がおとなしくなる」とつぶやく。
この「貧乏人」の意味がいまだにわからない。
封切の時に3回見に行った。
丁度、ベトナム戦争が終わった時。
聖フランチェスコ、マザーテレサ、裕福な家庭に育った方々ですよね。
同じように正に献身的な奉仕活動をしている修道女の方を存じ上げて
いるのですが、その方も裕福な家庭に育った方です。
裕福と無私?
漱石の草枕ではないが、「どこへ越しても住みにくいと悟った時、
詩が生まれて、画が出来る。」とあるが、我々貧乏人は越すことが
出来ないので「詩も生まれず、画も出来ない。」んだろうと僻み根性で
思ったりする。
世の中浮石だらけ。ついと足を置こうとすると石が「かたっ」と笑う。
もう間に合わん、「えいっ」と踵を置く。
体重を乗せると隣の石に支えられ、石が「ぎりぎり」と悲鳴を上げる。
何が人生万事塞翁が馬だ、片方しか見えぬ。
もう片方の片鱗でも見させてもらいたいものだ。
堀辰雄氏が過ごした追分は、藤村の「夜明け前」の文学世界。
「狂死」した青山半蔵。しかし、これは文学上の人間像。
カミーユ・クローデルはロダンに裏切られ「狂死」してしまった。
静岡県立美術館の
ロダン館にカミーユ・クローデルの「波」が
展示されてます。
作品の撮影は三脚の使用は不可ですが、手持ちなら撮影可です。
(上記HPに注意事項が記載されています。)
もし、沼津I.Cに降りる時間があったら、
ヴァンジ彫刻庭園美術館。
ベルナール・ビュッフェ美術館。
追分の
堀辰雄文学記念館には「木の十字架」にある、立原道造の書簡も
展示されている。
国道20号から富士見に上がると、「風立ちぬ」の
富士見高原病院がある。
小説に出てくる当時のサナトリウムもあります。
そのまま登って行けば私の好きな八ヶ岳エコーラインに交差する。
朝のアルプスはきれいです。
※写真は2008年8月16日に撮影。
Posted at 2010/08/11 19:41:26 | |
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