
←新日鉄釜石の全日本7連覇
1984年 釜石vs同志社
松尾勇治氏の引退試合。
忘れられない試合がある。
1983年10月22日、ラグビー日本代表のウェールズ遠征。
後半、ウェールズに差をつけられ始めた松尾ジャパンは
戦法を変える。陣地をかせぐためのタッチキックをやめ、
ボールを回しはじめた。
その攻撃を見たウェールズ アームズパークスタジアムのメインスタンドからは割れるような歓声。
ウェールズのファンからは、これぞラグビーと賞賛され、
ウェールズがタッチキックを行うと痛烈なブーイングがあった。
日本のラグビーの黄金時代がそこにあった。
前へ、という真面目で真剣なスポーツに対する姿勢が観客を感動させ、私も感動した。
再放送の時、テレビにかじりついて見てました。
そして、なでしこ。
彼女達もその前へという真剣さがドイツの、そして世界の人々を感激させたんだろうと思います。
優勝し、MVP、そして「フェアプレー賞」まで受賞。
日本サッカーミュージアムにはフェアプレー賞の盾の置場所がもうないそうだ。
日本ラグビー テストマッチとは 1/2
1983年 日本代表ウェールズ遠征 7/7
日本ラグビー テストマッチとは 2/2
1983年10月22日 ウェールズ アームズパーク スタジアムで行われた伝説の一戦
※
上の動画で松尾氏がブラウンという選手は脚にワセリンを塗っていたのでタックルすると滑ってタックルできなかったと言っていたが、「ヌルヌル秋山」の起源なのかな?
↑動画削除されたので、他のにしました。コメントはそのまま残します。(2011/08/27)
V7の栄光よ再び 釜石ラグビー物語
1983年 日本代表ウェールズ遠征 1/9
↑全編があるんですね。1/9のアンカーだけですが、9/9までありますね。
↑この動画も削除(2011/08/27確認)
・・・・・・・・・・
2019/11/18追記。
上の動画「日本ラグビー テストマッチとは 2/2」の10:19からの松尾氏のコメント「あっ、これからだ、木田左って言うのは」。見事に木田のトライ。
1985年の正月の日本選手権、貴重な動画が残されていたんですね。松尾氏が手で8の字のサイン、背番号8の木田がトライ。見事なサインプレー!
松尾の8の字サイン 新日鉄釜石 vs 同志社 1985年1月15日
1985年ラグビー日本選手権 釜石vs同志社(後半)
↑8の字サインは5:56。(2020/12/27、元動画削除の為入れ替え)
北の鉄人たち-新日鉄釜石ラグビー部(1995年放送)
Posted at 2011/08/06 21:47:14 | |
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