
←海岸の砂浜に
グランドの画かれたTHANK YOU USAの文字。(文字をはっきりさせるため、少々画像処理)
落合信彦氏の著書「アメリカよ!あめりかよ!」で、氏はアメリカ人の寛大さについて書いている。フルブライト奨学生となり、20ドルを握り締めて「あるぜんちな丸」でアメリカに渡った。
目的地であるフィラデルフィアまでの旅費は無く、初めからヒッチハイクで行く予定だったそうだ。そして、ロスからラス・ベガスまでトラックに便乗させてもらった。
ロングビーチから6時間後、ラス・ベガスに到着した。礼を言うと「パンを持っているか」と言われたそうだ。(パンとはお金のことだそうだ)ノーと言うと彼は財布から10ドル札を一枚抜きだし、「これを持っていけ」といったそうだが、落合氏は丁寧に断ったそうだ。
「アメリカ人の寛大さは日本にいるときから良く聞いてはいたが、着いた最初の日にそれを実際に経験するなど思いもよらなかった。」と書いている。途中、ヒッチハイク禁止の州で警官に捕まったときも、警官の寛大さで事も無き処遇を受ける事が出来たそうだ。
・・・・・・・・・・
堀江謙一氏がマーメイド号でアメリカを目指したとき、日本を密出国、そしてアメリカに密入国するのでそれを覚悟で出航した。手を尽くして出国方法を調べたが、当時の法律では彼の方法による出国は認められなかった。
そして、孤独と戦いながらサンフランシスコに到着、彼は当然の事として密入国として逮捕されることを覚悟していた。しかしアメリカは彼をヒーローとして最大限にもてなし、偉業を称えてくれた。
その時、日本に新聞の論調は「密出国、強制送還、逮捕」の文字が躍っていた。当然、アメリカとは違って、彼を罪人扱いの記事ばかり。日本国政府も「帰国したら逮捕」であった。
しかい、いやがおうにもアメリカでの堀江氏へのヒーローとしての扱いの話しは伝わってくる。すると、新聞の論調は徐々に変わり、堀江氏は歓迎の声で帰国しましたよね。もちろん、逮捕もありませんでした。
・・・・・・・・・・
植村直己氏、彼も110ドルを握り締めて「あるぜんちな丸」でアメリカに渡った。
アメリカにわたった理由は登山費用を貯めるため。カルフォルニアのぶどう園でアルバイト、しかし観光ビザで労働は出来るはずもなく、見つかって逮捕されてしまう。しかし、イミグレーションの係官に「登山をしたかったので・・・」と懸命に訴え、係官が寛大にがんばれと言って無罪放免にしてくれ、労働で稼いだ
1,000ドルを手に、ヨーロッパに渡る事が出来た。その後の植村氏の活躍はご存知ですよね。
「規則はあるけれども」という寛大な判断がなければ、植村直己は植村直己にならなかった。
余談ですが、植村氏がマッキンリーに入山する時、単独での入山は認められていなかった。しかし、同時期に入山する他の隊の一員としてとの事にしてくれて入山出来た。規則はあるが、杓子定規で事の判断をしない寛容あふれる判断だと思う。
・・・・・・・・・・
仙台空港は救援に絶対に必要な空路を確保するために、米軍が重機を持ち込み瞬く間に滑走路を整備しましたよね。そして、現在は自衛隊と共に周辺道路の整備に取り掛かっています。
ルース駐日大使のツイートで、
難局に立っている日本にあらゆる支援を届けるため
私はすべての時間をささげます。
そして
君塚陸上自衛隊東北方面総監から説明を受けました。
ウィラード太平洋軍司令官も言ったとおり、
日本を救おうとしている方とお会いでき、光栄でした。
とおっしゃる。
日本政府を当てににしていたら、困窮している被災者を救えないと感じているんだろうか。今の日本政府がどっちを向いているのかお見通しなのかもしれない。口に出しては言わないが、戦後「少なからず、米国の協力が日本の復興の一因となっている」という自負も彼らにはあるはず。だから、彼らは日本が困窮する事にがまんならないのかなと思う。
・・・・・・・・・・
落合信彦氏、『アメリカ人の寛大さ、昔、「なんで」って聞いた事があります。
その時の彼の回答は、「多民族国家だから、色々な考えの人々がいるんで、最大限の事を考えないといけないから」とおっしゃっていたんですが、これは今思うと、とっさに思いついた彼の「嘘」だったのかもしれません。多分、何故ということは彼らは考えもしてないんじゃないかと思うようになってきました。「当然の事をしているのが、何か変かい?」って言われているようです。』
・・・・・・・・・
※
落合信彦氏の「アメリカよ!あめりかよ!」を思い出したら、西山平雄氏の「片山右京 さらばF1」を思い出した。「片山右京 さらばF1」の中での「6週の夏」でドイツGPの時、スタート時の後方で大クラッシュが生じたが、右京は5位から絶妙のスタートダッシュで2位に上がる。
第一シケインでシューマッハにオーバーテイクされ3位に、そして第三シケインでヒルにアタックされるもこれを許さず。この時のことをヒルは「片山はシューマッハにはスペースを空けたのに」といったが右京は「僕はちゃんとインを一台分空けてたよ」と言った。
この「インを一台分空けていたよ」の部分、イニシャルDのFourth Stage、土坂峠。恭子からFD3Sを借りた啓介とランエボVの対決、終盤で狭くなっている個所を2台並んで通過する時、エボは恐怖でブレーキング、啓介が勝つ。エボの男が「非常識だ、オレがブレーキを踏まなきゃ事故ってた」と文句。しかし啓介は「一台分スペースを空けていた」でチョン。
この「一台分スペースを空けていた」の部分が同じ事を思い出した。
※※
「早く放水しないと処分を考える」と言って消防官を恫喝した海江田が、
今度は電力使用の抑制の為に電気料金値上げだと。
プールにガソリンと同じレベル。
Posted at 2011/03/25 19:43:07 | |
トラックバック(0) |
東日本大震災 | 日記