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昨夜はこれを見ていた。
先月、ガイドの
赤沼千史氏のブログを見ていたので
その大変さが映像から伝わってきた。
このロケで氏は・・・
鼻の頭が凍傷になった件について
新穂高ロープウェイは何回か乗車し、
西穂山荘は
何回か行ったけど映像で映った大きさには驚いた。
ネットで見ると以前火事で焼失したそうですね。(当時は今の半分ほどと記憶が・・・)
今、ロープウェイは二階建てになっているけど、これになってからは2回くらいしか行ってない。
昔、裏銀座から双六・弓折を通って小池新道で新穂高、そしてロープウエイで西穂から上高地。
この時は徳沢にテント張った、そして会社の団体旅行でも西穂に行った事がある。
その時の西穂の写真がこの間ブログを書いた時にあったスキーの写真と一緒にあった。
紙袋には1980の年号が、月日は6月13日出発、14日西穂登頂・西糸屋泊、15日帰りとある。
バス数台の団体で、登山グループとロープウェイ往復でバスで上高地の2班だったかな?
折角西穂まで来たんでそのまま直進したかったけど皆の前「バイバイ」も出来ず折り返し。
写真をスキャンしてみた、色あせていたけどいつもながらフォトショップ恐ろしや。
では
34年前の写真を。
↓西穂山荘、下の写真の「西穂高山荘」と記憶していたけど今は「西穂山荘」なんですね。
↓独標、今は標高まで記載してある立派な標柱がたってるんですね。
↓ピラミッドピーク、当時は白ペイントで「ピラミッド」だけ、立派な標柱になりましたね。
岩に「ピラミッド」って白ペイントで書いてある。
↓西穂高岳山頂、これも現在は標柱になってますね・・・
↓西糸屋、何気なく見たら今と「西糸屋」の表札、位置は違えど同じ。上:過去、下:現在
当時はテント背負って歩いていたんでカメラより「食糧(というより嗜好品)」が優先でカメラ
置き去りでした。カメラ置いていけば・・・という優先順位でね。
デジカメ、うらやましいですよね、当時あればと思ってもしょうがないですがね。
・・・・・・・・・・
下の動画は
ハチプロダクションの作品から。
ハチプロを運営し、穂高岳山荘のスタッフでもある宮田八郎氏のブログ
「ぼちぼちいこか」もよろしく。
1月8日のブログ「
いのちの記憶」には故篠原秋彦氏の事が・・・
私も篠原秋彦氏の事を書いた事がある、「
風に賭ける:ドン・シェルドンそして篠原秋彦氏」。
Angel Trip穂高を翔ぶ 予告編.mov
穂高をゆく 予告編
Posted at 2014/02/09 10:58:19 | |
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山とスキーだね | 日記