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青もみじがきれいなテラスで頂きました。
関越の本庄児玉ICで一般道(国道452号)に降り、国道50号を横切って大間々に向かってひたすら北上。大間々駅前を通り、東国文化歴史街道に入る。
青木湖や富弘美術館(大盛況)を通り過ぎ足尾へ。途中、対向車は多いが渋滞も全く無く、快適・快適。新緑の中を整備されたクネクネ道が続く~
↓草木湖

↓富弘美術館
そして足尾銅山観光。トロッコで坑道まで行く、急勾配の所はアプト式、途中切り離し。見学には40分かかるって書いてあったけどパタパタ歩いたらアレッ、ハヤッ、あっという間に出口!
↓トロッコで

↓いざ坑道

↓坑夫
そして足尾駅を見てから
古河掛水倶楽部へ。
昨年、TBSで放送された
スペシャルドラマ『The Partner ~愛しき百年の友へ~』のロケが行われたのを御記憶の方もいらっしゃると思います。
↓足尾駅

↓古河掛水倶楽部
古河掛水倶楽部の歴史のある食堂の椅子に座り珈琲をのんでから日光へ。神橋のあたりはいつものように渋滞だったけどスムースに通過。目の前に青もみじが見えるテラスでオムレツライス。
↓食後に東武日光駅前に向かう、神橋交差点。

↓東武日光御駅脇にある「明治の館ケーキショップ」でチーズケーキとコーヒー。
帰りは宇都宮か金精峠にしようかと思っていたけど、往きの道が気に入ったので帰りも往路と同じ道を通った。
↓で、本庄児玉ICから関越に乗ったんでいつもの寄居で大休止。
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ドラマ『The Partner ~愛しき百年の友へ~』で画かれたベトナムと日本。
ベトナムと日本の関係、立場が異なれば真反対の意見の対立になってしまいますが浅羽佐喜太郎の支援とファン・ボイ・チャウの関係はまぎれもない真実。興味のある方は”
ベトナム秘史に生きる「日本人」”をご参照あれ。
何故ファン・ボイ・チャウが日本にあこがれたか、それは日本が日露戦争で勝利したから。当時アジアの殆どが欧米の植民地、アジア人が欧米に勝てると誰もが思ってなかった。日露戦争の勝利はアジア人にとって大きな励みとなっていた。
ベトナムで日本軍の米の徴用で200万人の餓死者が出たと言う、餓死者が出た年に徴用した米の量は前年の1/10。水害と連合軍による爆撃で輸送ルートが断たれ、さらに記録的な厳寒。そして日本軍指示と偽装したフランス軍による強制的な米・トウモロコシの買い付け。
第一次インドシナ戦争、ベトナムに残った600名の日本兵、ベトナム側について戦った。「歴史認識」と声高に叫びアジアから孤立していると言う人達はこのような「事実」から必ず目を背ける。何か都合が悪いんだろうか。
ベトナムでは無いけど、例えば・・・
黄河決壊事件、中国国民党軍は日本軍の進撃を阻止するために黄河の堤防を決壊させた。水没範囲は11都市と4000村に及び、3省の農地が農作物ごと破壊され、水死者は100万人、被害者は600万人。(これも諸説ある)
中国側はいつものように日本軍の空爆で決壊と虚偽の広報。南京事件と同じ。日本軍は住民の救助と食糧援助、そして決壊部分の修復に全力をあげた。その結果、日本はこの地方の中国人民から信頼を勝ち得た。
2014年5月15日、習近平中国国家主席は、「中華民族の血には人を侵略したり世界を押さえ込んで制覇する遺伝子がない」と話した。 「歴史は私たちに戦争は邪鬼と悪夢のようなことという点を悟らせる」としながら「深刻な災難と苦痛を招くので必ず非常に警戒しなければならない」ともした。
↓しかし。
中国 南沙諸島で虐殺
経済評論家:森永卓郎
「仮に日本が中国に侵略されて国が無くなっても、後世の教科書に「昔、日本という
心の美しい民族がいました」と書かれればそれでいいんじゃないかと。
Posted at 2014/05/25 20:38:32 | |
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