
←青色LEDを手にする壁画、これがソウル半導体の起源。
12月19日の中央日報にこんな記事が掲載されていた、『
ソウル半導体、海外企業を相手取り特許侵害“宣戦布告”』。ソウル半導体、御記憶の方も多いと思いますが、他人の褌でノーベル賞を強奪した中村修二が技術顧問をしてましたよね。
・・・引用ここから
ソウル半導体がグローバル照明・テレビメーカーを相手取り「特許戦争」に出た。
米国3大電球メーカーと言 われている「Feit」、欧州の有数照明企業「Ledvance」、中国3大テレビメーカーの一つである「創維(Skyworth、スカイワース)」など が含まれている。
問題の技術はパッケージングレスで既存の発光ダイオード(LED)より明るい光を放つ「WICOP」、家庭用高 電圧で作動する「Acrich MJT」、照明デザインに関連する「フィラメント」等だ。これらの技術はソウル半導体が自社開発したもので、LEDテレビ やスマートフォンフラッシュ、LEDフィラメント電球などに使われている。
ソウル半導体は情報技術(IT)業界で特許に対する強い対応を取ることで有名だ。2006年、世界最大のLED 開発企業である日本の日亜化学工業と特許争いを繰り広げたソウル半導体は、3年間の訴訟の末、該当技術を共同で使うクロスライセンス契約を交わした。日本 レンズメーカーのエンプラスとは2013年に特許訴訟を行って400万ドル(現レートで4億7000万円)規模の賠償判決を受けた。
・・・引用ここまで
果たしてどうなるんだろうか、今までのソウル半導体の手口とは、他社から購入した特許を盾に係争を起こし、賠償金をくすねるという手口。過去の事例では決して自社開発の技術では無い。
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日経テクノロジーにこんな記事がある『
【ライティング・フェア】Seoul Semiconductor社に,日亜との係争の経緯や白色LEDの開発動向を聞く』。青色ダイオードの日亜との特許係争の件で和解に至ったが、その係争の中でソウル半導体が持っているという特許についてソウル半導体のLee氏のインタビュー。
・・・引用ここから
我々も基本特許と呼べる特許を複数保有していることを強調しておきたい。例えば,我々の米国特許5075742(以下,742特許)である。先日,米国テキサス州の法廷において,活性層にInGaNを使用するLEDは構造特性上,742特許を使わざるを得ないという判断がなされたばかりだ。この特許にある技術は,日本やドイツ,英国,フランスでも特許登録されている。
・・・引用ここまで
上で言っている『我々(ソウル半導体)が持っている米国特許5075742』と言うが、この特許はフランス共和国が持っていた特許。ソウル半導体は日亜と正に係争中に、係争を有利に運ぶためだけにこの特許を購入した。日亜はこれで足元をすくわれ和解に至った。
エンプラスとの特許係争(バックライトレンズ)の際にも、ソウル半導体が持っていると称する特許は日亜の時と同じく係争の為に他社から購入した特許、くどいがどの特許もソウル半導体が発明した特許では無いという事、全て特許係争ビジネスの為に購入した特許という事。
人の褌でノーベル賞を奪っていった中村修二が米国でSORAA,Incを起業したが、ソウル半導体とはノーベル賞受賞以前からの付き合い、だから中村修二はソウル半導体の技術顧問(現在もそうなのか?。他社から特許を買い上げその特許を盾に係争を起こす、中村と気が合うんでしょうね。
でも面白いのはついこの間の2016年9月12日に中村修二もソウル半導体に特許係争で訴えられた。なんでも、ソウル半導体が『源泉技術』を保有しているLED製造関連特許8件を侵害したとの事だそうだ。どっから買ったんだ、その『源泉技術』。
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韓国版のハイフンポストの記事が翻訳されていた『
オーストリア旅行家の目に写った120年前の朝鮮~ヘッセ=ヴァルテッグ著「朝鮮、1894年夏」』。世界旅行中に1894年に日本を離れ、朝鮮旅行を始めたエルンスト・フォン・ヘッセ=ヴァルテッグ。
・・・引用ここから
ソウル(漢陽(ハンヤン))は途方もなく汚かったが伝染病の発生は珍しかった。
ソウルは産業も煙突もガラス窓も階段もない都市、劇場やコーヒーショップ、喫茶店、公園や庭園、床屋もない都市だ。家には家具やベッドもなく、便所は直接通りに通じている。男女に関係なく全住民が白い服を着ていながら、他の場所よりも汚く、糞天地人都市が他にあるだろうか?…。
その一方でソウルは決して健康に害になるところではなく伝染病の発生も珍しい。その理由は一方では冬が非常に苛酷で長い間の雪と氷そして寒さが伝染病の登場を防ぎ、他の一方では夏の夕立ちが汚物を洗って行ったからだ。それでも残った汚物は犬が食べてしまう。犬は最も忠実で家もよく守る下水道清掃夫だ。
王は神聖な存在なので特別な接待を受けた。
朝鮮で王はどれほど神聖視されているかは他の指針でも見られる。王の前では誰も眼鏡をかけることはできない。馬に乗った人は王宮が近づけば降りなければならない。王の肖像はコインや切手にできない。なぜなら王の肖像に国民が触れると王を冒とくすることになるからだ。従って朝鮮人にはヨーロッパのコインはまったく理解できない。
鉄でできた物が王の体に触れてはならない。1800年、恭靖大王(定宗(チョンジョン))が悪性腫瘍で死んだのは手術用メスで腫瘍を切ることがこの礼法に外れたためだ。何年か前にある王子が自身の腕に手術を行えるようやむなく許諾した。ただし、その後、彼は自分の気の毒な主治医の命を救うために様々なことをしなければならなかった。礼法を破った罪で王が主治医を斬首刑に処することに決めたのだ。
・・・引用ここまで
ヘッセ=ヴァルテッグが旅行をしていた1894年の日本と朝鮮。
1894年(明治27年)6月、丸の内最初のオフィス建築「三菱一号館」竣工。

↓1984年、こんなのが走ってた(米国ヴァルカン社製)。明治27年(1984年)日本で初めての時刻表が発行。
そしてその頃の半島。
京城南大門と藁屋の床店 撮影年代 日清戦争時(1894年か1895年)

Posted at 2016/12/21 08:57:57 | |
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