
←以前(哲学堂と言っていた頃)は直接入れたが、今は
高崎市美術館から入る。
少し青空が見えていたので高崎の旧井上房一郎邸まで、以前は高崎哲学堂と呼ばれていたこど、高崎市が管理するようになってから旧井上房一郎邸となったようです。美術館の入館料を払って入る。
独特な低く深い軒、四角い木材では無く丸太を美しくかつ強度を効果的に使うという稜構造、天井が無く直接屋根裏が見えますよね。丸太で作られたトラス構造、美しいですよね、富岡製糸場も同じトラス構造ですよね。
山梨辺りにと思って走り始めたら、そちらの方の雲行きが悪かったので旧井上房一郎邸にも往きたかったのでそちらに。道中交通情報を聞いていたら中央道は事故で大渋滞だった模様ですね。
往きは関越道の鶴ヶ島から入り、藤岡JCTの先の藤岡ICで降り、そこからは帰路も一般道。関越、三車線いっぱいに車だらけでした。
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2006年9月17日の哲学堂。
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今日は関越道は三車線に車が一杯、藤岡JCTで上信越道に分岐するけど上信越道に向かう車が渋滞気味。
帰路、走行距離が20,000kmを越えた。昨年の7月に乗り始めてすでに20,000・・・
信号待ちでもあれば良かったけど、走行中なので適当にカメラを向けて撮ったらブレた。
帰路の途中にあるので高坂のモンプレジールでお茶。関越道の跨道橋から関越道を見たらまだ渋滞は始まっていなかった(右側が上り)。
今日の宮沢賢治。
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旧井上房一邸を設計したアントニン・レーモンド、堀辰雄の「
木の十字架」の冒頭にこんな文章がある・・
・・・引用ここから
木の十字架:堀辰雄
「こちらで冬を過すのは、この土地のものではない私共には、なかなか難儀ですが、この御堂が本当に好きですので、こうして雪の深いなかに一人でそのお守りをしているのもなかなか愉しい気もちがいたします。……」
この雪に埋まった高原にある小さな教会の管理をしている、童顔の、律儀そうなHさんはそんな事を私に言ったが、こういうごく普通の信者に過ぎないような人にとっても、こちらで他所者として冬を過しているうちには、やはりそういうロマネスクな気もちにもなると見える。
その教会というのは、――信州軽井沢にある、聖パウロ・カトリック教会。いまから五年前(一九三五年)に、
チェッコスロヴァキアの建築家アントニン・レイモンド氏が設計して建立したもの。簡素な木造の、何処か瑞西の寒村にでもありそうな、朴訥な美しさに富んだ、何ともいえず好い感じのする建物である。カトリック建築の様式というものを私はよく知らないけれども、その特色らしく、屋根などの線という線がそれぞれに鋭い角をなして天を目ざしている。それらが一つになっていかにもすっきりとした印象を建物全体に与えているのでもあろうか。――町の裏側の、水車のある道に沿うて、その聖パウロ教会は立っている。小さな落葉松林を背負いながら、夕日なんぞに赫いている木の十字架が、町の方からその水車の道へはいりかけると、すぐ、五六軒の、ごみごみした、薄汚ない民家の間から見えてくるのも、いかにも村の教会らしく、その感じもいいのである。
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そんな或る日の事(二月の末だった……)、私はひょっくり出先から戻ってきた其処のHさんという管理人と二こと三こと口を利き合い、そのまましばらく教会の側面の日あたりのいい石の上で、立ち話をしあっていた。丁度私達の傍らに立っている聖パウロの小さな、彩色した彫像は、
彫刻の上手なレイモンド夫人がみずから制作したものだという事を私の教わったのも、そのときの事だった。そして別れぎわになってから、そのHさんがこう言ったのである。
「……この御堂が本当に好きですので、こうして雪の深いなかに一人でそのお守りをしているのもなかなか愉しい気もちがいたします。……」
・・・引用ここまで
小説の中に画かれているアントニン・レーモンド夫妻。
その軽井沢、聖パウロ・カトリック教会。
教会の壁面にあるノエミ・レーモンド夫人の手になる彫像。

Posted at 2018/09/09 16:21:18 | |
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