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王滝村のHPより引用。
「木曾路(きそじ)はすべて山の中である。」ではじまる
島崎藤村の夜明け前を読まれた方は多いと思います。
先日TVを見ていてその中にある物語と同じような事が
今も住民を苦しめている事をはじめて知った。
王滝村は緑あふれる村、しかし財政再生団体になる
可能性が強い状態との話であった。
王滝村村長の瀬戸普(せと ひろし)氏は、「財政再建の手段として廃棄物処理業者等からの
話も来ている。しかし王滝は名古屋の水源でもあり水と自然を守りたいのでそれは出来ない」
とおっしゃっていた。
王滝村は緑の中、しかしその緑は国有林で手が付けられない。
正に、小説の「夜明け前」で村人が苦しんでいた状況が、今の時代に現実としてあるのかと
不毛の状況に苛立ちをおぼえた。
「夜明け前」から、その部分を略して引用します。
引用ここから--------------------
藩が管理する巣山と留山とは絶対に村民の立ち入ることを許されない森林地帯であり、
明山のみが自由林とされていた。その明山でも、五木ばかりは許可なしに伐採することを
禁じられていた。陣屋の役人の目には、どうかすると人間の生命(いのち)よりも重かった。
「昔はこの木曾山の木一本伐ると、首一つなかったものだぞ。」
陣屋の役人の威(おど)し文句だ。
役人が吟味のために村へはいり込むといううわさでも伝わると、あわてて不用の材木を
焼き捨てるものがある。囲って置いた檜板(ひのきいた)を他(よそ)へ移すものがある。
多分の木を盗んで置いて、板にへいだり、売りさばいたりした村の人などはことに狼狽
(ろうばい)する。背伐(せぎ)りの吟味と言えば、村じゅう家探(やさが)しの評判が
立つほど厳重をきわめたものだ。
それから村じゅうのものが呼び出された。その科(とが)によって腰繩(こしなわ)手錠で
宿役人の中へ預けられることになった。もっとも、老年で七十歳以上のものは手錠を免ぜられ、
すでに死亡したものは「お叱(しか)り」というだけにとどめて特別な憐憫(れんびん)
を加えられた。
当時十八歳の半蔵は、目を据えて、役人のすることや、腰繩につながれた村の人たちのさまを
見ている。それに吉左衛門は気がついて、「さあ、行った、行った――ここはお前たちなぞの
立ってるところじゃない。」としかった。
この出来事があってから二十日(はつか)ばかり過ぎに、「お叱り」のものの残らず手錠を
免ぜられる日がようやく来た。福島からは三人の役人が出張してそれを伝えた。
手錠を解かれた小前(こまえ)のものの一人(ひとり)は、役人の前に進み出て、
おずおずとした調子で言った。
「畏(おそ)れながら申し上げます。木曾は御承知のとおりな山の中でございます。こんな
田畑もすくないような土地でございます。お役人様の前ですが、山の林にでもすがるより
ほかに、わたくしどもの立つ瀬はございません。」
引用ここまで-------------------
これに続く話もありますが省略します。
目の前にある森林を守り、自然を守り、水を守り、でも村人の生活は誰も守ってくれない。
今の時代に青山半蔵がいたら、彼は何というのだろうか。
間違っている、絶対に間違っている。
瀬戸村長の苦渋の様を癒すことは出来るんだろうか?
キャスターは覇気が無いと言う。勝手なことを言うな!
瀬戸村長。がんばれ!!!!!
Posted at 2010/12/28 21:02:39 | |
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