
←私が好きな所
左が前穂高、右が奥穂高。
その間に湾曲した稜線が吊り尾根。
真ん中の雪渓のある所が涸沢カール。
そのカールの手前の山の稜線の一寸上に
見えている小さい赤屋根が涸沢ヒュッテ。
左下の岩肌が見えている所が、
井上靖の小説「氷壁」で有名な屏風岩。
昨日、「宮古市」で思い出したので少し書いたが、昔、天気図の作図を一生懸命練習していた。
理由は簡単、山歩きのためだった。
登山の教則的な本には必ずといっていいほど、天気図を書こうと書いてあった。
NHKで観測点の気象情報を放送しているので、それを聞きながら天気図用紙に書き込んで行く。
マークを覚えていても、結構大変な作業だ。
天気図用紙は何処で買ったか忘れてしまっている。
今、書けといわれても、書けません。
山登りの初めの頃は脅迫観念的に、「これが書けないと危険」なんて思っていたが、
何回も行く内に自分で書く必要性が薄れてしまった。
山登りに行く季節は、テントを持ってゆくとは言っても山小屋が開設しているシーズンのみだ。
テント場の料金を支払いに行くと、ほとんどの場合、小屋には小屋の方が書いた天気図が
掲示してある。それを見れは用は足りてしまう。
それと、最大の理由は軽量化。
一人でテントを背負って行くんで、箸一本でも軽くしたい。
天気図用紙は必要枚数だけちぎって持ってゆけばいいが、ラジオを持って行くと、
予備の電池も必要になってしまう。
今のような便利な携帯電話なんて無い時代だ。
何回も山に行く内に、誰でも天気は肌で感じられるようになる。
下界では晴れていても、遠くに低気圧があると、稜線ではもろに影響がある。
雲は流れ、風が舞う。
こんな状況になる前に、雲の流れる方向なんかでその後の天気の行方が感じられるようになる。
ほとんどの人は自然に、動物的みたいな感覚が備わってくるようだ。
私の場合も、そういう時は迷わず下山してしまう。
行っちゃうと、風雨に叩かれて、夏でも疲労凍死する人がいる。
(雨風に叩かれて小屋に着いたら、テント張る前に純毛のセーターを肌に直接着てましたね。)
山登りしていた頃、休みの日はほとんど山の中。木曽路じゃありませんよ。
初めの頃は安月給だったので、アルプスには月に一回ほどしか行けなかった。
残りは、奥多摩や奥武蔵。
満月の日、徹夜で歩くと月の明るさがまぶしいくらいだった。
懐中電灯は一度も点灯せずに、月の明かりだけで歩ける。
日が昇る頃に最寄の駅に着くとどっと眠くなる。
雨の日に「訓練だっ」って歩くと、指先が水分でふやけて真っ白になったりする。
同じコースを何回歩いても、毎回違う風景があるのは不思議だ。
多分、この「風景」が山の楽しさなのかもしれない。
Posted at 2011/04/05 22:22:12 | |
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山とスキーだね | 日記