
学校で習った歴史、社会人となり視野がひろがるにつれ
学ばされた歴史と学んだ歴史の落差に驚いた。
文化の密度が世界の人々を引き付けているのかなと思うようになった。
日本をこよなく愛してくれる外国人は多い。
私は日本を説明する知識を持ちえてるだろうかと自問すると
自信が無い、教育のアンバランスに嫌悪する。
胸を張って悲観論を唱え、自虐が美徳と「知識人」は言う。
福島の様を見て、「原発反対」という後出しじゃんけんの「知識人」
そして海洋生物への影響も考えずに「海洋風力発電」と言う。
世界と触れているのは市井の民、その民が今の日本の顔を作っている。
決して「私は」と言う人々では無い。
それでも外国人が東京暮らしを愛する理由
・・・引用ここから
「本当に東京の暮らしが好きなんですか?」
日本経済はもはや世界の羨望の的ではないし、外国人が手っ取り早く稼ぐために
日本にやって来ることもなくなった。それでも日本の文化や人々は、
新しい働き方や21世紀の生き方を探ろうと切望する外国人たちを引き付けてやまない。
私たち外国人の多くが日本の暮らしを楽しんでいる。あのように礼儀正しく、
しかし奇妙な質問をする日本人には東京の良いところが
ちっとも見えていないのではないだろうか。
・・・引用ここまで
日本人の美質を受け継ぐ子供たち
・・・引用ここから
「3・11からまもなく、1人のベトナム人記者が取材で被災地に入った。
避難所で少年にインタビューする。少年は津波で両親を亡くし、
激しい寒さと飢えで震えていた。
一つのおにぎりを家族で分けて食べるような状況だった。
記者は見かねて少年に自分のジャンパーを着せかける。
その時、ポケットから1本のバナナがこぼれ落ちた。記者が、“欲しいか”と問うと、
うなずくので、手渡した。
ところが、少年はそれを食べるのでなく、避難所に設けられたみんなで共有の食料置き場に
持って行き、もとの場所に戻ってきたという。記者はいたく感動する。
帰国すると、“こういう子供はベトナムにはいない”と報道した。この記事が大変な反響を呼ぶ。
かつて、ドラマ“おしん”が大人気になったお国柄だ。
ベトナムからの義援金は100万ドル(約8000万円)にのぼった。
五百旗頭・防衛大学校長がジョージ・アリヨシ元ハワイ州知事から聞いたエピソードだ。
敗戦の1945年暮れ、占領軍の若い将校だったアリヨシは、
東京・有楽町の街角で少年に靴磨きをしてもらった。
寒風のなか、小柄な少年が懸命に心をこめて磨く。
アリヨシは白いパンにバターとジャムを塗り込んだのをプレゼントした。
少年は頭を下げながらそれを袋に収める。“どうして食べないの”、“家に妹がいます。
3歳です”と答えた。
少年は7歳だという。アリヨシは感銘を覚えた。
五百旗頭に、“世界のどこの子供がこんなふうにできるだろうか。
モノとしての日本は消失した。しかし、日本人の精神は滅んでいない。
あの時、日本は必ずよみがえると確信した”と語った。
・・・引用ここまで
日本を愛する外国人
・・・引用ここから
帰国を思いとどまり、被災地の宮城県石巻市内に引き返した英国人男性がいる。
石巻専修大准教授のリチャード・ハルバーシュタットさん(45)
「国外退避を手伝う」と在日英国大使館から17日に緊急連絡が入った。
英政府は福島第1原発の半径80キロ以内からの退避を勧告。
石巻市は退避勧告の対象外だが、津波の被害で電気も水もない。
周りの友人は帰国を勧めてくれた。用意された車で18日に仙台市のホテルへ。
震災後初めて見たテレビは、石巻市の惨状と住民の姿を映していた。
「おばあちゃんたちは元気に生きていた。腰抜けの自分が情けなかった」。
翌朝、東京行きのバスには乗らず引き返した。
・・・引用ここまで
・・・
それでも、日本に残ると決めた外国人たちからの応援メッセージ!
「TRAVEL GUIDE TO AID JAPAN」
Posted at 2012/01/29 21:52:59 | |
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東日本大震災 | 日記