
アイガー北壁を初登攀したハインリヒ・ハラーが、その功績で
ナンガ・パルバットの初登頂を狙うドイツ遠征隊に参加する事になった。
ハラーはナチス党員とは言えオーストリア人
出発の駅のホームでインタビューを受けるハラー
ドイツの英雄が登山チームの一員
ドイツ帝国の大きな誇りです
僕はオーストリア人だ
しかし、あなたは国家社会党の党員です
ナンガ・バルバットの頂上にぜひ帝国の国旗を
・・・
オーストリアは微妙な立場
チャプリンの「独裁者」でヒンケルに間違えられたチャーリー
オストリッチに脱出したハンナに呼びかける名演説がありましたよね
・・・
予備調査を終わった遠征隊は英領インドにいた
しかし、第二次世界大戦の勃発で彼らはイギリス軍の捕虜となる
抑留生活中、ハラーは妻に手紙を送る、しかし帰ってきた答えは
「同封の離婚届にサインして返送を」
ハラーは何回も脱獄を繰り返していたが、ついに脱獄に成功
そして長いチベット生活が始まる
そしてラサに入り、ダライ・ラマ14世と親交を持つ
その頃、中国は金品と武力でチベットへの侵攻を始めつつあった
この時点ではチベットは独立国家
出産前に遠征にでたのでいまだ会ってない息子に手紙を出すハラー
しかし帰ってきた手紙には
ハインリヒ・ハラー様
父親でない人からの手紙は欲しくありません
ロルフ・メインドルフより
失意し、帰国を断念したハラー
ダライ・ラマに王宮に呼ばれ助言を求められ親交が始まった
しかし、領土を拡張したい中国の侵攻に苛まれるチベット
とうとう、「外国勢力からのチベットの開放を」と中国はチベットに武力侵攻してきた
しかし、そのときチベットにいる外国人はハラーたちだけであった
質。量ともに劣った軍備しかないチベットは、ロシアから中国に引き渡された日本の武器の前に
なすすべもなかった(武装解除で多くの武器、弾薬がロシア経由で中国共産党にわたった)
「平和を愛する民族に軍隊が組織できると言うのか」、とハラー
中国に蹂躙されるチベット
ハラーはダライ・ラマに逃げるように進言する
しかしダライ・ラマは民を捨てて逃げられないと言う
ダライ・ラマは言う
御仏は言われた、人は生にすがり危険と死を恐れる
死を考える人間が人を殺すことはない
この言葉はすべてのチベット人の心に染み込んでいます
だから我々は平和を愛し暴力を忌み嫌うのですす
↓ハラーが帰国後、息子と初めて登山し、頂上にチベットの国旗を立てる所で映画は終わる
チェロのソロはヨー・ヨー・マ
「セブン・イヤーズ・イン・チベット」予告編
中国軍チベット巡礼者殺害映像(日本語字幕付き)
New Lancia Delta TV spot (60'') - Richard Gere.
※
ブラッド・ピット、中国に入国できません。フリー・チベットの運動を行っているリチャード・ギアも同様
この映画でのラサの僧院、セットです。チベットでロケが出来る訳でもないので
ハリウッド恐るべしですよね、でも密かにチベットに入り風景等の撮影はしたそうです
※
ナンガ・パルバットを初登したのはハラーと同じくオーストリア人のヘルマン・ブール
単独・無酸素での登頂で、頂上にピッケルを残したが、これを後年に日本隊が発見し、
このピッケルはオーストリアに戻った
↓左:ヘルマン・ブール著「8000メートルの上と下」、中:登頂後のブール、右:日本隊が発見したピッケル

Posted at 2012/11/05 21:39:39 | |
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