
天皇皇后両陛下がベトナムをご訪問されているけど、長いベトナムと日本の歴史。古くは奈良時代、大安寺にフエから遣唐使船団で日本に渡った僧仏哲、彼は奈良東大寺の開眼法要で雅楽(林邑楽)を奉納したとありますよね。
彼が来た奈良時代、最初の絵巻物が出来た時代。貴族や町人以外は竪穴住居に住んでいた時代。現代も竪穴は精密加工で活躍しています、温度変化をきらう超精密加工、工場を半地下に建てています。
そして朱印船時代、ホイアンに渡った日本人商人、彼らは日本人街を作り交易を行っていましたよね。江戸時代の外国貿易禁止令、戻らざるをえなかったがホイアンの恋人に会いたいがためにホイアンに戻ろうとした谷弥次郎兵衛。しかし倒れ亡くなったしまった。村人は彼の為に墓を作り今でも弔っている、優しい国ベトナム。
谷弥次郎兵衛のお墓はここ。(赤丸)
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明治38年、ベトナムのファン・ボイ・チャウ氏はフランスからの独立運動のための武器援助を日本に求めにやってきた。しかし後に首相となった犬養らに「人材を育成せよ」と諭され日本はベトナムから留学生を受け入れた。
しかし、この運動は仏蘭西政府の知るところとなり、仏の強行な抗議に日本政府は持ちこたえられなかった。静岡の医師浅羽佐喜太郎、ベトナムから密航してきた民主活動家阮泰抜を助けた。その阮泰抜への支援をファン・ボイ・チャウが知ることとなった。
そこから浅羽佐喜太郎とファン・ボイ・チャウの熱い交流が始まり、浅羽氏は彼らを金銭的にも全面的にバックアップした。がベトナムの独立を阻止せんとする日仏条約が締結、彼らは日本から出国せざるを得なかった。
浅羽氏は結核で43歳で死去、それを中国で知ったファン・ボイ・チャウ、危険を冒し偽名で日本に密航してきた。そしてその翌年、またも偽名で密入国。彼を知る浅羽村の村長・村民の協力の基に彼は浅羽への感謝の石碑を建立した。

前列、写真の右から二人目はファン・ボイ・チャウ氏。
石碑には・・・
我らは国難のため扶桑(日本)に亡命した。
公は我らの志を憐れんで無償で援助して下さった。
思うに古今に類なき義侠のお方である。
ああ今や公はいない。
蒼茫たる天を仰ぎ海を見つめて、我らの気持ちを、どの様に、誰に、訴えたらいいのか。
此処にその情を石に刻む。
豪空タリ古今、義ハ中外ヲ蓋ウ。公ハ施スコト天ノ如ク、我ハ受クルコト海ノ如シ。我ガ志イマダ成ラズ、公ハ我ヲ待タズ。悠々タル哉公ノ心ハ、ソレ億万年。
大正七年三月、越南光復会同人
Tóm tắt Phim người cộng sự The Partner パートナー full) YouTube
[Teaser] Người cộng sự - The Partner - パートナー
↑2021/6/2追加。下の動画が削除されていたので・・・
ベトナム訪問の両陛下 革命家の記念館を訪れる(17/03/05)
↑2021/6/2、これも追加。
↓すでに削除されているけど、アンカーだけ残しておく。
ベトナム独立の夢を日本に賭けた男1 NHKBS
ベトナム独立の夢を日本に賭けた男2 NHKBS
ベトナム独立の夢を日本に賭けた男3 NHKBS
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そして大東亜戦争、終戦後ベトナムに残った約800名の日本兵、ホー・チ・ミンはその残留日本兵に協力を求めた。(ホー・チ・ミンは中国でファン・ボイ・チャウと交流があった)。日本兵は教官としてベトナムの青年を指導した。
その日本兵らはベトナムで家族を作っていた、これがリベラルの方々の言う「侵略」か?
ベトナムにいた日本兵、彼らの尽力で仏蘭西からの独立を果たしたベトナム。突然の日本への帰国命令、国交が無いので家族は連れて帰れない。ファン・ボイ・チャウの時と同じく外交で日本は米仏中に負けた。
2015「二つの戦争〜翻弄された日本兵と家族たち〜」
グエン・ティ・スアンさん(94歳)、彼女の右側にある巻かれた赤い布(ベトナム国旗)、その国旗の下には夫の日本の軍服が折り畳まれている。彼女は毎晩この枕で夫と共に眠ると言う。
天皇皇后両陛下のベトナム訪問でその家族に光明が当たればと思う。
歴史認識と言い日本を愚弄し続ける近隣諸国と日本の「リベラリスト」と自称する方々。長い歴史の中で、日本はどのような事をしてきたか、そして植民地を求めてきた国々は何をしてきたか。あなた方は歴史を嫌悪し、知ろうともしないよね。だけど「歴史認識」と口角泡を飛ばして言う、それって何だい?
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奈良時代にベトナムからやってきた僧仏哲が伝えたと言われる雅楽(林邑楽)。
蘭陵王_012007
そして現在のベトナムでは。
フエ王宮 宮廷舞踊
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インドネシアでは。
インドネシア独立戦争と日本軍の貢献
インドネシア独立運動と日本兵
例の「学術会議」云々の件、拒否された方々のグループに含まれるお方の著書「独立運動、インドネシアで日本兵がと言うが何の影響も与えなかった」と。
Posted at 2017/03/01 15:28:33 | |
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