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石原慎太郎、松平康隆共著「徹底対論 鍛える!」。
イ・イ戦争、イラクのフセイン大統領は指定期日以降、イラク上空を飛ぶ全ての航空機は撃墜すると宣言した。日本人、救援が来なかった、しかしトルコ航空が期日ギリギリに救援機で日本人を救助した。この時、トルコ航空のパーサーは「飛行機に走って乗ってくるのを初めて見た」と述懐していた。
そのイ・イ戦争で日本人が助けられた時(1985年)の17年前にソ連で起こった1968年の「プラハの春」、チェコスロバキアで日本人はソ連の侵攻から助けられた。
プラハの春、ソ連軍の機動部隊がチェコに侵攻してきた時、1972年のミュンヘンオリンピックで男子バレーボールを金メダルに導いた松平康隆監督は日本男子ナショナルチームと共にチェコにいた。チェコでの試合を終え、スイスに向かう時だった。
石原慎太郎、松平康隆共著「徹底対論 鍛える!」で松平康隆氏は語っていた。
・・・引用ここから(一部要約です、詳細は書籍をお読みください)
ソ連がチェコスロバキアに戦車で侵攻してきた日に、私たち全日本男子バレボールチームは現地にいました。
チェコのナショナルチームとの最後の試合を終え、ヨーロッパ遠征最後の訪問地スイスに向かうというその日の朝早く、チェコのチームドクターの「タンク、タンク・・・ロシアのタンク!ロシアのサマトリア(飛行機)」という慌ただしい声に叩き起こされました。
ラジオのスイッチをひねると、プラハ放送が悲痛な叫び声を上げていました。「今ソ連のタンクがわが国全土に侵攻を開始しました。この放送局の入り口にも今まさにロシアの兵隊が入ろうとしています。タンクが侵入しようとしています。この放送もあと一時間とは続けられないでしょう」。
アナウンサーがいよいよチェコスロバキア自由放送の最後の声だと言いながら、国歌の演奏が始まりました。
その頃には、私たちは日の丸を付けたブレザーを着て宿舎の中庭に集合していました。チェコのナショナルチームのマティヤシック監督以下選手たちも続々集まってきた。
チェコの選手たちは涙を流しながらも拳を振り上げ、「チェコスロバキア万歳!」と叫んでしました。あのときの彼らの姿は今も忘れません。
地図を見るとオーストリアのリンツに向かう道が一番近いことが分かりました。早速バスを仕立ててもらうことを頼み込んだんですが、バスの運転手は誰もしり込みをして引き受けようとしない。
でもそれは無理もなかった。そうした状況の中を国境に向けてバスを走らせるという事は逃亡とみなされるからで・・・
尻込みする運転手たちをマティヤシック監督は激しく怒鳴りつけた。「日本チームは我々のの友人だ。この事件は彼らに関係のないことだ。無事国外に送り届けなければチェコスロバキアの恥になるぞ」。
彼は真っ赤な顔をして言いました。それを聞いた一人の運転手が「よし!」と言って引き受けてくれた。私たちは直ちにバスに乗り込みました。ところが私たちだけかと思ったら、マティヤシック監督以下チェコの全選手も乗り込んできたんです。「あなたたちも一緒に国外に出るのか」と尋ねると、彼らはこう答えました。
「いや、そうではない。この国は私の、私たちの国だ。君たちが無事に国境を通過してオーストリアの地に出るのを見届けたら、私たちはプラハにすっ飛んで帰る。銃撃や爆撃の音がしている。私の妻や子供がどんなになっているか、本心で言えば心配で仕方ない」
森を抜け、小高い丘の上にゆやく国境守備隊の兵舎が見えたとき、そこにはまだチェコスロバキアの国旗が翩翻と翻っていました。それを目にした瞬間、チェコ、日本両国の選手は肩を叩きあい、手を取り合って喜んだ。彼らはまさに号泣し、私も他国の国旗をあんな思いで見つめたのは初めてでした。
・・・引用ここまで
二千語宣言に署名したチャスラフスカ、ザトペックも彼女と同じく二千語宣言に署名した。ソ連は厳しい迫害を行った。チャフラフスカは耐えた、しかしザトペックは折れ自己批判を行った。後年、ザトペックはその事を悔い失意に生きた。
国境の国旗に涙する事は国旗に対する忠誠では無く、その国旗の基に国民が団結する、その団結を担うのが国旗なんでしょうね。国旗を冒涜する事はその国民を冒涜するのと同意、だから全ての国家は国旗を守る、そして法律でも。しかし外国国章損壊罪で外国の国旗の毀損(侮辱行為)は罪になる、しかし自国の日本国旗に対する法律は・・・何もない。
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森永卓郎は『日本が中国に侵略されて国がなくなっても、後世の教科書に『昔、日本という心の美しい民族がいました』と書かれればそれはそれでいいんじゃないかと 』と言った。プラハの春、あの時にチェコに行ってそれを言って来い。
日本だけで通用する「所謂、私を含めたリベラル派」と言うリベラル派、国旗・国歌を忌避している。リベラルという言葉で、自らの非リベラルである行為を詐称している。昼休みで多くの人々が歩く丸の内で多くの死傷者を出した無差別爆弾テロ。26人の死者、73人の重軽傷者を発生させた日本赤軍によるテルアビブ空港乱射事件。全てあなた方の言う「リベラル派」の方々の側にいる者がおこした。
テルアビブ、犯人の人道的行為だと称賛する人もいる。曰く、「手榴弾で自爆する時に自らの体で爆発する手榴弾を覆い、民衆への被爆を防いだ」と。手榴弾での自爆を確実にする為のデフォルトの行為が彼ら「リベラル派」の方々には人道的行為に写るようだ。
人の家の塀に許可も得ずにポスターを張る「リベラル派」、テレビや新聞でも「リベラル・リベラル」の大合唱。共産党がおこした白鳥事件はどうなった、共産党も今は「リベラル」と名乗っているよね。中国に政治亡命した白鳥事件の容疑者、彼らはすでに亡くなっているけど事件は迷宮入りにはなっていない。
↓許可も得ずに貼ったポスターに「立ち上がろうリベラル勢力!」とあるけど、立ち上がらんでくれ、お願いだから。青山のホンダの本社ビル、下から見ると窓ガラスが見えない、丸の内の三菱重工爆破事件、爆破の衝撃で割れたガラスが下を歩く人々に降り注ぎ死者を出した。それを鑑みホンダはベランダを設けたんですよね。
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ミュンヘン男子バレー 金メダルへの軌跡
1972年ミュンヘンオリンピック 全日本男子バレーボール金メダル
Bedřich Smetana--Die Moldau (Herbert von Karajan)
"Die Moldau" Bedrich Smetana|Berliner Philharmoniker| Herbert von Karajan
Posted at 2017/10/17 09:39:07 | |
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