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タケラッタのブログ一覧

2022年04月23日 イイね!

ランボルギーニとエンジニア

ランボルギーニとエンジニア突然ですが、体調が良くありません。(←ホントに突然だな)


新しい契約先が決まったって事もあるけど、プライベートでも忙しいので、色々とキャパオーバーって感じです。


ストレスからお腹は下すわ、睡眠が上手く取れなくなるわ……


さすがに寝不足で運転すると事故る可能性が有るので、本日 ハンドルを握るのは自重しました。


折角の晴れた週末だったんですがねぇ。


若干、愛車のバッテリー上がりが心配になっているタケラッタでした。






って、終わっちゃダメでしょ!


愛車ネタが無かったので(←トラブルネタなら有るんだけどね……)、行ってもいない AUTOMOBILE COUNCIL をネタにしたのですが、実はランボルギーニについて語ってみようかなーと思ったからでした。(←つまりは、“振り”って事ですか?)


前回ブログでは、レオナルド・フィオラヴァンティ、マルチェロ・ガンディーニ、ジョルジェット・ジウジアーロといったデザイナーに焦点を当てましたが、実は 創成期のランボルギーニには、著名なエンジニアが大勢いたのをご存じでしょうか?


まずミウラのシャーシ設計、というかミウラという車そのもののプロジェクトの発案者がジャンパオロ・ダラーラ


(ジャンパオロ・ダラーラさんについて語ろうとすると、それだけで1つのブログテーマになっちゃうので、今回は割愛します)



ダラーラの同僚には、テストドライバーでもあり、また イオタを開発した事でも有名なボブ・ウォレス


(もっとも、上の写真は現在もっとも有名なイオタ・レプリカである ミウラSVRですが)


そして、カウンタックの父とも言うべきパオロ・スタンツァーニ等がいました。





創成期とは言えないかもしれませんが、パガーニ・アウトモビリを興したオラチオ・パガーニもランボルギーニに在籍しており、カウンタック 25th Anniversaryの開発に関わっています。







当時のランボルギーニは、規模も小さく 歴史もないメーカーだったのですが、これだけの伝説的なエンジニアがいたのですから、如何にイタリアがスーパーカー作りに特化した環境だったかが分かりますね。


いや、これだけのエンジニアがいながら、メーカーとしてのランボルギーニは厳しい状況にあったのだから、如何に企業経営が上手くなかったって事になるのかな?(汗)
Posted at 2022/04/23 23:51:39 | コメント(1) | トラックバック(0) | Lamborghini | 日記
2021年08月14日 イイね!

カウンタック復活!

カウンタック復活!本日2度目のブログ更新です。


昨日、ランボルギーニから“カウンタック LPI 800-4” が発表されました。


カウンタックと言えば、我々の様なスーパーカー世代のオッサンには忘れる事の出来ない車であります。


スーパーカーブームの頃、その独特のウェッジシェイプのボディと、ドアが上に開くという、およそクルマらしくないスタイリングを持つカウンタックは、キング・オブ・スーパーカーと言える存在でした。



しかし、実際には日本の少年たちの間に巻き起こったブームなんてレベルではなく、カウンタックは世界中に衝撃を与えた車でした。


何しろ、以降のランボルギーニの車はこのカウンタックのイメージを踏襲する車作りとなり、そしてそれは今だに続いているのですから。





今回発表された“カウンタック LPI 800-4”は、カウンタックのデビュー50周年を祝う限定車(生産台数は112台)として登場しました。


「あれっ、カウンタックの市販開始って1974年じゃなかったっけ?」


そう思った方、正解です。


今回の50周年は、1971年のジュネーブショーでカウンタックのプロトタイプ(LP500)が発表された事を祝うモデルなのです。




そう言われてみれば、リアクォーターの処理など、生産モデルにあるお弁当箱の様なエアインテークが無く、プロトタイプモデルのそれに近いですね。







プロトタイプであるLP500は、その名の通り5.0ℓのV12を搭載していましたが、量産モデルであるLP400は4.0ℓ(3929ccなので、厳密には3.9ℓですかね)に変更され、375HPの最高出力で最高速度300km/hを誇りました。



ただ、Wikiを見ると、カタログ値より500kgも重いボディ(1.6t)で、エンジン出力も330馬力程度しか無かった為に、最高速度も260km/hといったところだったらしい。(さすがイタリア、カタログチューンだったんですね)



今回の“カウンタック LPI 800-4”は、最高出力780CV(*)を発生するV型12気筒 6.5リッターエンジンと34CVを発生する電気モーターを組み合わせるハイブリッドモデルで、システム全体の最高出力は814CV。

(*:「CV」というのは、イタリア語で Cavallo(馬)Vapore(蒸気)の略で、PSと同じメートル法に基づく計算で求められる単位であり、PSと同じものです)



さすがに50年前の車とは違い、0-100km/h加速2.8秒、0-200 km/hで8.6秒、最高速は355km/hという性能を誇ります。(多分、この性能はちゃんと出るでしょう)


モーターが34psと小さいですが、48Vのマイルドハイブリッドなんですね。


アヴェンタドールが最後の純エンジン車って言ってたけど、マイルドハイブリッドじゃあ、電動車とは言えないんじゃないかなぁ。


ランボルギーニから新世代の電動車が出てくるまでには、まだ時間が掛かりそうですねー。





さて、そんな“カウンタック LPI 800-4”ですが、リアルなイベントであるモントレーカーウィークの中のクエイル・モータースポーツ・ギャザリングにて一般公開されました。



ワクチン接種が進んでいる国だと、リアルなイベントが開けるようになっているんですね。(日本も早くこうなるといいですね)


ちなみに、限定生産台数が112台なのは、初代カウンタックの開発プロジェクトコード「LP112」にちなんだものだそうです。


まあ、この生産台数も、発表時には既に購入者が決まっているんでしょうね。





ところで、ランボルギーニのCEOであるステファン・ヴィンケルマンは、レトロなデザインを好まないので有名なのだそうです。


なのに何故、50年前のカウンタックをオマージュした限定モデルが出てきたのでしょうか?


その件について、デザイン部門を率いるミィティア・ボルケルトがこう答えています。


「ヴィンケルマンCEOが復帰する前から開発が始まっていたのです」


ははは、そういう事ね。


とは言え、上でも書いたけど、現在のランボルギーニも、全ての車種がカウンタックのイメージでデザインされているので、意外とアヴェンタドールと変わらない気もします。


どうせレトロ路線で行くなら、むしろ、この車を出して欲しかったんだけどねぇ。

Posted at 2021/08/15 00:09:44 | コメント(1) | トラックバック(0) | Lamborghini | 日記
2019年11月13日 イイね!

ランボルギーニのモデル変遷(4座モデル編)

ランボルギーニのモデル変遷(4座モデル編)連載企画「フェラーリとランボルギーニ」、依頼主から完遂を認めるコメントを頂きましたが……まだ終わっていません。(汗)


本日は、ランボルギーニの4座モデルについてです。


4座モデルと言っても、後席のあるモデルの総称とし、2+2から多人数乗りまで、全てを4座モデルにひっくるめさせて頂きます。(笑)


で、どんなモデルがあるかと言うと……タイトル画像に出しちゃっている様に、現在のラインナップではウルスがそれに当たりますね。


っていうか、「それだけなんじゃないの?」 って思ったりしていませんか?


意外と、「あ、タケラッタの事だから、『アレ』の事を書くつもりだな」なんて思っている人もいるかも。


アレって?






ランボルギーニ LM002(1986年~1993年)



ウルスの登場時に、この車の話題が無かったわけではありません。


曰く、ウルスの始祖と……。


でもねぇ、ウルスがかなり特殊とは言え、乗用のSUVであるのに対して、LM002は、軍用オフローダーと言ってもいいような車です。


言ってみればジープみたいなものです。


そして、そのジープみたいな車に、カウンタックの5.2ℓ V12エンジンをぶち込んじゃったのだから、相当ぶっ飛んだ車です。


車両重量は、驚異の2.7トン!


燃費は1.0km/ℓを割る為、燃料タンク容量は290ℓと大型トラック並みでした。


そんなLM002は、8年間で328台の生産に留まったそうです。





って、この車の事を書きたかったわけじゃないんです!


書きたかったのは、こちらの車たちです。






ランボルギーニ エスパーダ(1968年~1978年)



ミウラと同時期にラインナップされていた、ミウラと同じV12をフロントに積む4座のFRクーペ。


当初、フェルッチオ・ランボルギーニは「ミウラはショー・カーであり、ランボルギーニの他の車の販売促進に役立てばそれで充分」と考えており、その『他の車』にあたる車がエスパーダでした。


言ってみれば、ミウラは“技術的なアドバルーン”でしかなく、ランボルギーニ社として稼ぐ“飯のタネ”はエスパーダの方だったのです。


しかし、ご存じの通り、ミウラは大反響となり、ランボルギーニを一躍有名にした“スター”になったのに対し、エスパーダは脇役に回り、10年間作り続けたものの、1,217台の生産に留まったのでした。






ランボルギーニ ハラマ(1970年~1976年)



エスパーダと同様、3,929ccのV12エンジンをフロントに積むFRクーペ。


エスパーダが完全な4シーターであったのに対し、ホイールベースを2,380mmまで短縮して操縦性を優先させたパッケージングの為、2+2のクーペに仕上がっています。


ミウラがミッドシップの割にリアヘビーで、初期モデルはハンドリングも決まっていなかった為、ハラマはサーキットでは時折ミウラよりも良いタイムを出したそうです。


そんなハラマを、フェルッチオはお気に入りだったらしく、後に最も魅力的なモデルとしてミウラやカウンタックといったランボルギーニの象徴ともいえるミッドシップのスーパースポーツではなく、このハラマの名前をあげたそうです。


当初は年間1,000台規模の生産を予定していたハラマですが、総生産台数は327台に過ぎませんでした。


やはり顧客の目は、華のあるミウラやカウンタックに向けられていたという事でしょうか。





セールス的には残念な結果に終わった2台のFRクーペ。


しかし、販売時期に注目してください。


2台はミウラと同時期、そして終盤はカウンタックの販売時期と重なります。


この時期には、ベビーランボのウラッコの生産も開始されており、ランボルギーニ史上、もっとも豊富なラインナップがあった時期になります。





そして、もう1点、注目したいのが、この2車の存在がカウンタックを生んだかもしれないという事。


ランボルギーニのV12モデルの変遷についてのブログ内でも触れましたが、ミウラ程の大成功を収めたモデルの後継でありながら、キープコンセプトに走らず、カウンタックというガラリと違う車を登場させました。


これは、私が勝手に思っているだけなのですが、ミウラはV12エンジンを横置きに搭載しており、他の車とメカニズムに共用性がなく、その為、相当にコスト高だったのではないかと。


そこで、次代のミッドシップには、苦肉の策としてFR車のミッションを流用、前後を逆さまにして搭載する事を思いついたのではないかと。



しかし、その事によって、カウンタックはエンジンに次ぐ重量のミッションがほぼ車体の中央にあり、単にミッドシップとするよりも理想的な重量配分となりました。


さらには、前方に出力軸を出している為、4WD化しやすいと言う副次的な効果もありました。


もし、FR車を生産していなかったら、横置きだろうと、縦置きだろうと、コストは大差がありませんから、ミウラの後継モデルも、重量バランスの悪い横置きミッドシップのままだったかもしれません。





エスパーダとハラマ。


その車自体は、商業的に成功とは言えませんでしたが、ランボルギーニの将来を変えた要因となった車たちだったのです。



















「あのぉ……」


ん? 誰?


「ボクの紹介は?」


キ、キミはっ!


ランボルギーニ ウルス!(2018年~)



世界的なSUVブームに乗る為、フォルクスワーゲングループの共通プラットフォームであるMLB evoプラットフォームを用い、恐らくはアウディ系のエンジンを積んだモデル。


スタイリング以外にはランボルギーニらしさが感じられないものの、いかにも売りやすそうなモデル。


ああ、だから「売るっす!(ウルス)」って言うのか。(←親父ギャグ)
Posted at 2019/11/13 23:10:19 | コメント(1) | トラックバック(0) | Lamborghini | 日記
2019年11月08日 イイね!

「ランボルギーニ売却」はあるのか?

「ランボルギーニ売却」はあるのか?本日は、連載企画「フェラーリとランボルギーニ」の番外編です。


Web CGの記事で フォルクスワーゲンの“ランボルギーニ売却”報道から考える というものがありました。


先月、「フォルクスワーゲン(VW)グループが、アウトモービリ・ランボルギーニを売却、もしくはスピンオフ(分離独立)か?」と、米『ブルームバーグ』が2019年10月11日、関係者の話として伝えていたのです。


記事中では、ランボルギーニのライバルであるフェラーリが、2015年10月にニューヨークおよびミラノ証券取引所に上場することでFCA(フィアット・クライスラー)からのスピンオフを実施、FCAは潤沢な資金を獲得している事を挙げていました。


今や、自動車業界が自動運転や電動化に備えて巨額の投資が必要になっている事や、「ウルス」の好調と、近い将来発売されるハイブリッドモデルへの期待で、ランボルギーニの市場価値は急上昇している事など、売却は極めて適切なタイミングだとしています。






ただ、私は「無いな」と思います。


理由は、フェラーリが自分の技術で車を開発しているのに対し、ランボルギーニは実質的にグループ会社の技術に依存しているからです。


先日のブログでも触れましたが、ガヤルド、ウラカンがアウディ製のエンジン、ボディであったり、ウルスがVWグループのMLB EVOプラットフォームを使用していたりと、自前技術だけではラインナップが成立しません。


例え、株式を上場したとしても、グループからの独立は考えられないのです。


実際、VW側は売却を否定していますしね。


何でそんな事も分からないんだろう?


経済紙の記事ならばまだしも、自動車雑誌系のWeb記事なのにねぇ……。





かように、ランボルギーニとフェラーリでは、製品としての車たちはライバルでも、会社としては遠く及ばないのが実情です。


フェラーリが「F1の参戦費用を得る為にロードカーを生産している」等と言っていた頃から絶大な顧客の支持を受け続けていたのに対し、ランボルギーニは、波乱万丈な会社経営でした。


創設者であるフェルッチオ・ランボルギーニがトラクター事業で得た資金からロードカー製造会社として興した会社は、当のフェルッチオに、トラクター事業におけるボリビア政府の大量契約破棄事件などがあり、1972年頃からスポーツカー製造事業を段階的に手放す事になります。


スイス人実業家ジョルジュ・ロゼッティとレネ・ライマーの手に渡ったランボルギーニですが、石油危機もあって業績は低迷。


1978年には遂に破産状態となり、イタリアの公的機関の管理下に入る事になります。


満足に新車開発が出来ない時期が続きますが、1987年にクライスラー(現FCA)の傘下に入るとようやくディアブロの開発が出来るようになりました。


しかし、親会社クライスラーが怪しくなると、再び不安定な会社経営となります。


1994年にはインドネシア系企業の傘下に入るなど、現在のVWグループになるまでは、めまぐるしいオーナー遍歴を辿ったのでした。





その点、フェラーリは安定していました。


レースに集中するため、フィアットグループに入りますが、不安定だったのはむしろ親会社のフィアットの方でした。


ランチアやマセラッティ、アルファ・ロメオといったブランドを傘下に収めていきますが、どちらかと言うと、フェラーリからそれらのブランドに技術の提供を行っていました。


ランチアには、ストラトスにディーノのエンジンや、テーマに328GTBのエンジンを提供しましたし、マセラッティは一時期フェラーリの傘下にしました。


アルファ・ロメオも、現行のジュリア クアドリフォリオなどに積まれるV6エンジンに技術提供(実質、カリフォルニアTのV8エンジンの2気筒を落としたエンジン)を行っています。


現在、FCAはPSA(プジョー・シトロエン)と経営統合に向けて協議を行っていますが、大衆車のフィアットはともかく、高級車のマセラッティ、アルファ・ロメオと言ったブランドは、統合会社にはあまり相応しくない気がします。


むしろ、フェラーリに任せちゃえば? なんて思う今日この頃です。





ランボルギーニ売却の噂から、ランボルギーニとフェラーリの会社の力量の話になりました。


ま、経済評論家じゃなくて、車変態が考えた事なので、会社経営の視点は全く入っていませんけどね。(笑)
Posted at 2019/11/09 00:27:17 | コメント(1) | トラックバック(0) | Lamborghini | 日記
2019年11月07日 イイね!

ランボルギーニのモデル変遷(ベビーランボ編)

ランボルギーニのモデル変遷(ベビーランボ編)お待たせ致しました、連載企画「フェラーリとランボルギーニ」の再開です。


え? 別に待ってない?


そんな事言わずに、お付き合いください。(汗)


えー、再開後のテーマは、ベビーランボです。


「ベビーランボ」、「ベビーランボルギーニ」、人によって略したり略さなかったりですが、ピッコロ・フェラーリと違ってイタリア語で言う人はいないんですね。


ランボルギーニも、V12以外のランボルギーニの事を指し示す言葉です。


まあ、今まではこの一文で済んだのですが、最近になって登場したランボルギーニのSUV、ウルスがV8を搭載していますのでそうはいかなくなりました。


あくまでスポーツカーのランボルギーニで、V12以外のランボルギーニと言う事になります。


なので、ガヤルド、ウラカンのV10系って事になりますが、もう少し遡って、ベビーランボの始祖から話を始めたいと思います。





ランボルギーニ ウラッコ(1973年~1979年)



ランボルギーニ初のV8エンジン搭載車がウラッコです。


当時、ミウラが大ヒットしていたランボルギーニが、次なるターゲットとしたのが、ポルシェ911の「2+2」スポーツカー市場で、フェルッチオ・ランボルギーニがパオロ・スタンツァーニに車体設計を命じた……と言われていますが、実際に意識したのは、やはり、ライバルであるフェラーリが出したディーノだと私は思っています。


ウラッコの発表は発売開始の1973年を遡る事3年、1970年のトリノ・ショーですが、それにしたって1964年発売の911を意識するには遅すぎます。


それに、フェラーリをライバルとして、V12以外に目もくれなかったランボルギーニが、V8エンジン車の生産を開始するには、理由が弱すぎます。


やはり、1967年に発売を開始したディーノ206GTや、1968年の246GTの成功を目の当たりにしての事と考えるのが自然です。


まぁ、ディーノを意識してV12以外のランボルギーニを作る事を決心した後、911の市場も食ってやろうといった野心も芽生え、上記の指示をしたってところでしょうね。


しかし、野心的な計画とは裏腹に、発表から発売が遅れた事もあって、販売状況は思わしくありませんでした。


ディーノと911の両方を食ってやろうという目標の所為で、どっちつかずの車になってしまったと私は思います。






ランボルギーニ シルエット(1976年~1979年)



私は、ウラッコの後継車だと思っていましたが、併売だったんですね。


ウラッコのオープンバージョンという位置づけになっています。


ウラッコから、後席を外し、フロントスポイラーとオーバーフェンダーを追加して、違う車のように見えます。


シルエットという車名は、同時期に始まったグループ5レースカー、通称シルエットフォーミュラを意識していたのではないでしょうか?




ランボルギーニ ジャルパ(1981年~1989年)



先代シルエットをベースにした……って事ですが、すみませんどこが違うんですか? って言うくらいの車ですねぇ。(汗)


まぁ、ランボルギーニが一番苦しい時期ですから、新規車種の開発なんて出来る訳ないし、マイナーチェンジで乗り切るしかなかったんでしょうね。


基本的なメカニズムはシルエットのままで、エンジンが3.5ℓに拡大されたくらいですね。






ランボルギーニ ガヤルド(2003年~2013年)



久しぶりに復活したV12以外のランボルギーニ。


しかし、搭載されるエンジンは、ウラッコ時代のV8ではなく、V10でした。


そのV10エンジンはアウディから供給されるもの……そう、ランボルギーニがアウディ傘下になった事で復活なったのがV10を積んだベビーランボだったのです。


口の悪い人は、アウディR8にランボルギーニのボディを乗せただけ、とも言いますが、R8は2006年発売でV8でデビュー(V10モデルは2009年)ですから、ガヤルドの方が先です。


むしろ、ガヤルドがあったからR8が生まれたと言って良いです。


じゃ、R8はランボルギーニの技術を流用したのかと言えばそうではありません。


前出の通り、エンジンはアウディ製ですし、ボディもアウディ製のアルミスペースフレームで構成されています。


つまり、アウディの技術で作ったのがガヤルドで、それをR8でアウディに戻しただけです。(笑)


前述の通り、エンジンはV10で、当初は5.0ℓ、2008年からは5.2ℓとなっています。


基本的には4駆ですが、限定車LP550-2 ヴァレンティーノ・バルボーニが好評だったことから2駆モデルも用意され、以後4駆モデルがLPxxx-4、2駆モデルがLPxxx-2というグレードになりました。


ランボルギーニの特徴とも言えた、上に跳ね上げるシザードアは日常の使い勝手を考慮して採用されなかった事は、ファンはどう思ったでしょうね。


しかし、日常用途ならば確実に前ヒンジの横開きのドアの方が良いでしょう。


その辺が“普通の”ユーザーにウケたのか、ランボルギーニ最大のヒット作となりました。






ランボルギーニ ウラカン(2014年~)



大成功作となったガヤルドの後継車。


引き続きアウディ製V10を積むウラカンは、兄貴分アヴェンタドールがシングルクラッチのままなのに対し、DCT(ランボルギーニはLDF(ランボルギーニ・ドッピア・フリッツィオーネ)と呼んでいるようですが)を採用しました。


2017年発売のLP640-4 ペルフォルマンテが、発売前の2016年10月にドイツのニュルブルクリンク北コースで、当時の量産車最速となる6分52秒01を記録しました。


ちなみに、この記録はポルシェ911 GT2RSに破られますが、ランボルギーニは兄貴分アヴェンタドールのSVJで破り返します。


この記録もポルシェ911 GT2RSに、マンタイ・レーシングと協力してニュル様にセットアップした“GT2 RS MR”でさらに破り返しているのですが……。


ニュルの最速記録は置いておいて……実は、このペルフォルマンテ、気になる車でありました。


過去形にしているのは、今はマクラーレン720Sに気が移っているからなのですが。(汗)


我ながら、気が多いですね。









現行のウラカンは5.2ℓ V10、ペルフォルマンテは640psあります。


5.2ℓ V10がベビーですかねぇ。


V12が大人だとしたら、大学生くらいになってる気がするんですが……。(汗)
Posted at 2019/11/07 21:07:58 | コメント(2) | トラックバック(0) | Lamborghini | 日記

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